2007年12月12日水曜日

12月9日 救い主の誕生 ②

 先週お話したマリヤとヨセフにおこった出来事は、実は私たちクリスチャンの新生の雛型でもあります。マリヤは、言わば「すべてのクリスチャンのさきがけ」として神を宿したわけです。ですから、クリスチャンはマリヤの身に起こった出来事を自分自身の霊的な経験と重ねて読むことができます。
もうひとつの雛型であるアダムとエバの場合と比較して考えましょう。アダムはキリストの雛型です。(ローマ5:14)パウロはひとりの罪人アダムとひとりの義人イエスとの比較の中で、全人類がひとりの人の不義によって罪と死に至り、ひとりの人の義によっていのちを得ると語っています。(ローマ5:17~18)まずエバがサタンにそそのかされ、神のことばよりも自分の感覚を優先した為に、アダムを罪の中にいざない、ともに善悪を知りました。マリヤとヨセフの場合はどうだったでしょう。マリヤが「おことばのとおりになるように」と神のことばを神のことばとして受け入れた結果、ヨセフを救いの計画の中に導きました。このマリヤとヨセフのみことばに対する従順な態度こそが、救い主イエスの誕生の舞台をつくり、新しい時代を開いたのです。
ヨセフは人間の善悪の基準では「正しい人」でした。しかし、彼の正しさや判断は、まことのいのちを宿したマリヤを去らせようとしたのです。神のいのちは聖霊によって宿るものです。人の知恵は御霊のことを理解できず、むしろそれに敵対しようとします。「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることが出来ません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。」(Ⅰコリント2:14) 男は自分の判断や正しさにこだわり、女は自分の感覚に頼る傾向があります。そろってみことばから離れていくいのです。テモテの手紙の中には、今のジェンダーフリーが声高に叫ばれる人権感覚の中では、男尊女卑かと思われるような内容がありますが、パウロがマリヤとヨセフからの、新しいいのちの流れを意識して教会のあり方を示しているものです。(Ⅰテモテ2:8~15)
マリヤの中にあるいのちは罪の影響化にある被造物のいのちではなく、神の御子のいのちです。それは、教会が受け継ぐ永遠のいのちのはじまりを意味しています。人が神のいのちを宿している。この神の永遠の計画が時至ってマリヤというひとりの生身の女性の上に実現したわけです。それは、すべての人がマリヤと同じ霊的経験をするためです。私たちが、「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」(ルカ1:38)と願うなら、私たちはマリヤと同じなのです。ですから、マリヤを聖母だのといって特別視してあがめることが、いかにとんちんかんで、神のみこころを全く理解していないかがわかっていただけると思います。 (Ⅰヨハネ4:9,13,16 5,12)先週のメッセージの終わりに東方の博士たちのことに少し触れました。彼らの態度は今日の私たちの礼拝の良き模範です。欄外の脚注を見ると、ギリシャ語でマゴスと書かれています。これは、メディア王国で宗教儀礼を司っていたペルシャ系祭司の呼び名だそうです。彼らは占星術を行い、ゾロアスター教に近い信仰を持っていたのではないかと考えられています。キリスト教絵画の中では、彼らはすべての民族の代表ということで、白人、黒人、黄色人種に描き分けられていることが多いようです。7世紀ごろのヨーロッパでは、彼らはアラビアの人たちだとして、メルキオール、バルタザール、カスパールという名前までありました。3人は青年、壮年、老人の姿の賢者として描かれ、それぞれが黄金、乳香、没薬を持っていました。黄金は「王権」の象徴、乳香は「神性」の象徴、没薬は「死」の象徴であると信じられてきたようです。シリアの教会やアルメニアの教会でも、それぞれに別の名前が当てられていましたが、いずれも3人でした。しかし、聖書にはマゴス(複数形はマギ)と書いてあるだけです。人数は書かれていません。捧げものは3種類ですが、1人がひとつずつ持って来たとは書かれていないのです。
彼らは、星に導かれてやってきたと書かれています。星が導くなどということがあるでしょうか。全くおとぎ話や神話のように読んでしまうと、さらっと読み流してしまうかもしれjませんが、これはいったいどういう現象だったのかということを探求する学者も実はたくさんいて、博士が見たのは「惑星会合」という天体現象ではないかと考えられています。「惑星会合」とは、水星、金星、火星、木星、土星の5惑星のうちのいくつかが、重なってまばゆく輝く現象です。博士たちは、これを見たのではないかというのです。現在はパソコンを使って、何年何月という日付を入れると、その年の星の動きを画面上で再現できます。こういうのを古天文学と言います。ケプラーという16世紀の著名な天文学者がいますが、彼はコンピューターがない時代にその説を唱えていたようです。他にも、彗星説、変光星説、新星説、超新星説などいろいろあるようですが、いずれにしても、博士たちが星を見て、その動きや輝きを追いながら旅をしてきたことは事実です。天体の星の動きに精密な規則性をお与えになったのは、神様ですから、その星の動きを利用して、星の規則性を観測する人たちに何らかのメッセージをお与えになったとしても不思議はありません。彼らはエルサレムにやってきました。当然、王なのだから都で生まれるだろう。宮殿のあるエルサレムこそがそれにふさわしい場所だと思って来たのです。彼らの予想ははずれました。エルサレムでは、旧約聖書の専門家が、ミカの預言によって、「キリストはエルサレムではなくベツレヘムで生まれるのだ」と教えます。
しかし、考えて見てください。もし彼らが星を見失わず、まっすぐベツレヘムに来ていれば、ヘロデは幼子を殺すことはなかったでしょう。ベツレヘム周辺の2歳以下の男の子どもが殺されたのは、博士たちがのこのこエルサレムへ出かけ、星についての証言をしたからです。(マタイ2:7,16)もちろん、博士たちには大きな罪はありません。ヘロデが悪いのです。ヘロデの狂気は、博士たちの喜びと対照的に描かれています。さらに、救い主である王の誕生を喜ばなかったのは、ヘロデだけではありません。エルサレム中の人々はみんなそうだったのです。ユダヤの王の誕生をどうして、別の国の関係のない人たちが拝みにやってきて、その国の人たちはみな恐れるのでしょうか。「それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった」(マタイ2:3)と書かれています。エルサレムの人々はみな、はっきり言って救い主などいらなかったのです。平壌にもうひとり将軍様はいらないし、平壌の特権階級の人々も同じです。将軍様を人格的に敬えなくても、自分の既得権を失いたくはないでしょう。永田町や霞ヶ関の不正を一掃するような正しい政治家の出現など、そこにいる人たちは誰も望んではいません。私たちは誰もが自分の人生の王でいたいのです。自分が王でいたい人は救い主を拒みます。そして、自分が王であり続けようとする人にはその自由は守られます。人間は自分を作った神を拒み、無条件で救うキリストを拒めるほどに自由な主体として作られているのです。イエスさまは私たちを強引に王座から引きずりおろすことはないのです。私たちが自ら人生の王座を降りることがなければ、救い主は、消されていくのです。マリヤは、「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」(ルカ1:38)と言いましたが、その前にどのようなことばを発しているか覚えておられますか。マリヤは、「ほんとうに、私は主のはしためです。」(ルカ1:38)と言っています。「はしため」というのは、古い日本語なので若い人は何のことかわからないかもしれません。漢字で書くと「端女」、端金の「はした」です。女偏に卑しいという字を当てることもあります。召使いの女、下女という意味です。これは自分を卑下しているのではなく、神を神としているのです。礼拝というのは、「神を神としてあがめること」です。何らかの恩恵や祝福を得ようとすることとは根本的に違います。
幼子イエスは博士たちに何かをもたらしたでしょうか。キリストは全く人間の赤ん坊のように飼い葉桶に寝ているだけでした。博士たちは、神の約束の成就と神が人となったその事実に感動し礼拝したのです。宗教的な御利益を期待したわけではありませんし、彼らは何も得てはいません。彼らはお金を使い、時間をかけて、旅の危険を乗り越えてやってきたのです。彼らは宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬をささげました。(マタイ2:11)先ほど、黄金は「王権」を、乳香は「神性」を、そして没薬は「死」を表していると言われていることを紹介しました。 宝の箱が聖書であると見なせば、礼拝とは、みことばが教える神の栄光とご人格、そして十字架の死について覚え、ともに分かち合い、祈り、歌うことを意味しているように思えます。このように、礼拝とは「神から何かをいただくこと」ではなく、その逆です。「神に捧げること」です。あえて申し上げますが、メッセージが良いとか、賛美が盛り上がること、人が大勢集まるとか言うことは、礼拝の本質とは関係がありません。もちろん、良いメッセージをすること、賛美が盛り上がること、人が大勢集まることを願いもしますし、そのための努力はします。しかし、それはどうでもいいのです。大事なことは、救い主を拝することです。自分の良きものを捧げることです。礼拝が何だかわかっていないと、恵まれるだの、恵まれないだの、自分は仕事や負担が多いだの、少ないだの、わけのわからないことを言い出すわけです。救い主にひれ伏さず、何も捧げない礼拝は礼拝とは言えません。
 イエスさまが、ご自分の肉と血を御父にお捧げになったのは、信仰者としての礼拝の姿です。私たちも自分のからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物として捧げることが勧められています。(ローマ12:1)それは、御父から見れば、御子を私たちに賜った愛の表現でもあるわけです。ベタニヤのマリヤは三百デナリの香油をイエスさま注ぎました。それは彼女が十字架にかかる前のイエスさまに捧げた礼拝でした。しかし、弟子たちはなんて無駄なことをするのかとつぶやき、マリヤの行為を理解しませんでした。マリヤは香油のつぼを割ってしまったので、壺の中には何も残りませんでした。すべてを注いだからです。 御父は御子イエスを私たちに与えてくださいました。御子は御父にとってすべてのすべてです。主はすべてを私たちにすべてを与えてくださったので、新たに与えるべきものなどもう何も残ってはいません。私たちはすでに与えられた御方の価値をかみしめ、感謝し、この驚くべき計画を成就してくださった御方を礼拝する。それだけです。御子を与えた御父の手元にはもう与えるべきものはないのです。だから、毎回の礼拝で、恵んでください、祝福してくださいというのはおかしい。もう何もかも十分なはずです。 マリヤは、自分が注ぐ香油などとは比較にもならない価値あるものを注いでくださることを信仰によって見ていました。だから、自分が捧げるものには、ほとんど気もとめないのです。それが、この世の他の価値と比べて高価かどうかなんてどうだっていいのです。それほどにイエスさまの愛が私たちの心をとらえるのでなければ、礼拝など出来ません。この世の何かをイエスさまとてんびんにかけていること自体が、すでに礼拝ではありません。  私たちはしばしば、礼拝というものを取り違えて考えているようです。礼拝とはアブラハムがイサクを捧げることなのです。イサクとはアブラハムにとって彼のいのち、祝福のすべてです。みことばに従ってそれを捧げるのが礼拝です。「それでアブラハムは若い者たちに、『あなたがたは、ろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る』と言った」(創世記22:5)
救い主の誕生とは何でしょうか。父であるアブラハムが、ひとり子イサクを捧げたとき、御使いがその手を止めました。(創世記22:12)イサクは全焼のいけにえにされずに、親子で幸せに暮らしました。しかし、天の父は、ひとり子イエスを十字架に架けて殺すために、この世に赤ん坊の姿で生まれさせたのです。
この世の馬鹿騒ぎから離れ、主を覚え、主をあがめましょう。

12月2日 救い主の誕生 ①

12月は3週間にわたって救い主の誕生をテーマにお話したいと思います。私たちは救い主の誕生について、この当時のユダヤでは、結婚は今日以上に重要な意味を持っていたでしょう。それが突然、救い主を身ごもるわけです。しかも、特別変わった様子もない生まれた子どもはごく普通の赤ん坊です。救い主だからと言って3ヶ月で生まれたわけでもなく、生まれて話し始めたわけでもありません。近くの羊飼いや、遠くから博士が数人拝みにやってきたくらいで、後は時の王様にいのちを狙われるというものでした。夫婦の関係によらずに赤ん坊を抱えたふたりは、故郷にも帰れず身を隠すわけですから、一瞬だけ拝みに来る羊飼いや博士よりも、いのちを狙われることの方が、印象に残ったとしても不思議ではない状況です。後から考えてみると、生まれる場所と育った地域が一応預言通りというだけで、公に現れるまでのまでの資料はほとんど皆無です。12歳のときのエピソードが残っていますが、それも見方によれば単なる迷子事件で、少年時代のイエスさまは、地域でも評判の神童というわけでもないし、ヨセフとマリアとの間に普通に生まれてきた兄弟姉妹たちとそれほど大きな違いを誰もが感じないで過ごされたのです。それは当時の家族の反応や、ナザレの人たちの評判を聞いても明らかです。これが、人間イエスに関する誕生、成長の事実です。
どのような時代に描かれた聖画や彫刻を観ても、イエスさまは一見してそれとわかる描かれ方をしています。しかし、その全ては現実とは全く違っています。そうしたものがどれほど人間的には敬虔な思いや祈りをこめて描かれたものであるとしても、それは人間の勝手な思い込みであり、宗教心を自己満足させるものに過ぎません。そうした偶像の類を神様が喜ばれるはずはないのです。イエスさまは外見上他の人と全く同じでした。神が全く「ごく普通の人」となられた。ここに意味があるのです。それは聖書の最大のメッセージであり、福音の根幹を成すものです。罪人が神の子となる特権を得るためには、神の子が人の子となる必要があったのです。
ですから、「神の子が神の子らしく」現れても意味がないのです。もし、誰かが神の子らしく現れて、その特別な人の特別な何かにあやかろうとしているなら、これは宗教なのです。イエスさまは人々が期待するような御方ではありませんでした。多くの人々はイエスさまご自身にというより、自分自身の欲望を重ねたメシア像に裏切られたわけです。聖書をよく学び知っていると思っているものほど、その字面に裏切られました。神が人に近づいてくださるのであって、決して人が自力で神に近づくのではないのです。人が神を理解するのではなく、神が人に啓示を与えてくださるのです。これはいつも繰り返してお伝えしているように極めて重要な認識です。キリスト教はキリストではありません。むしろ、その現実とはほど遠いものです。今日世界の多くの地域でクリスマスは最もポピュラーなキリスト教イベントとなり、非キリスト教圏においても、宗教性さえも排除した年中行事になっています。本来主人公であるべきイエスさまを抜きにしたお祭りになっています。それは新郎新婦不在の披露宴のようなものです。イエスさまが来られた時も、ユダヤではキリストを予表するさまざまな祭りがありました。勿論それらは厳粛に行われてはいたのでしょうが、そこにイエスさまの居場所はありませんでした。今日の教会の礼拝、聖餐式の中に、またクリスマスやイースターやさまざまなイベントの中に、果たしてイエスさまにご臨在の余地があるでしょうか。
聖書を本当に神のことばとし、これを至上の価値として認めているクリスチャンが、巷に蔓延する非聖書的なクリスマスとどう関わればよいでしょうか。もちろん「こうしなければならない」というようなものは何一つありませんが、ひとつの提案としてお聞きください。まず、クリスマスに行われている習慣が、聖書的には何の根拠もなく意味もないのだということを知り、キリストの誕生に関して預言者たちは何を語り、福音書の記者たちは何を記録しているかをきちんと学ぶことです。そして、キリストの誕生の真実について、この機会を生かして発信していただきたいと思うのです。いかがですか。自信がありますか。イエスさまが私たちにとってかけがえのない御方であるなら、その御方の真実が踏みにじられていることは、我慢ならぬはずです。かと言って、目くじらを立てて批判しても始まりません。知恵が必要です。クリスマスは、親が子にプレゼントを贈ったり、恋人同士が愛を確かめあったり、仲間が楽しくすごしたりするお祭りになっていますが、それ自体が無意味だと責めるのではなく、本来そこになければならないものや本質について、丁寧にご紹介するのがよいでしょう。そして、サンタクロースやトナカイやツリーやケーキなどのクリスマスの登場人物やアイテム、そして12月25日と言った日程についても、聖書の根拠がないことを伝えてあげれば、けっこう目から鱗かも知れません。

2007年12月10日月曜日

11月25日 使徒の働き29章の証

使徒の働きを読んでも、それは初代教会のいきいきした時代に限られたことであって21世紀の教会というのはそうはいかないと考える人もいます。あるいは、それは誇張して伝えられたものであり、限りなくフィクションに近いものだと考える人もいます。しかし、私は言いました。「私たちは使徒の働きの29章以降の時代を生きている」と。私はそう信じています。みなさんはどうですか。私たちは聖霊の働きの最新のページを綴っているのです。もし、そうでないとしたら、私たちがこうして集まり続けることにはいたい何の意味があるでしょうか。
今日、新しい主の働きにあずかるクリスチャンの当然の姿とはどういうものなのかを、「証」という観点から、福音書の中から3つの例をあげて改めて確認したいと思います。福音書の中で起こったことが私たちのうちに成就していないなら、使徒の時代はやって来ないでしょう。使徒時代の現象だけを追ってみても、そこにはあるのは空騒ぎの占いや手品やイリュージョンです。
クリスチャンになってもなお、私には証をするのに十分な「力がない」「これが出来ない」「あれが足りない」と言って神と人との前に言い訳を続ける人がいます。しかし、私たちの無力は、私たちの証の無力とは何の関係もありません。問題は私たちが自分の力を勘定に入れて証を考えていることにあるのです。クリスチャンというのはまず第一に霊的に死んでよみがえった人でなければなりません。本当に死んでしまった人が主によってよみがえらされることはそれ自体が大変な証です。これは、生まれながらにどうような偉大な能力を持っているよりも強烈な証なのです。問題は、私たちの力が少ししかないことではなく、その少しの力にこだわって自分がすでに死んだ者であることを、依然として信仰によって受け入れられていないのです。
ベタニヤのマルタとマリヤの兄弟でラザロという人がいました。彼の性格や能力について、聖書は何ひとつ語っていません。なぜでしょうか。実は、それはどうでもいいからなのです。ただ聖書が語っているのは、ラザロを「わたしたちの友」(ヨハネ11:11)と呼ばれたこと、そして主は彼を愛しておられたということです。(ヨハネ11:5,36)そして、何よりも重要な事実は、「彼は完全に死んでいた」ということです。「死んでから4日も経ってその死体は臭くなっていた」のです。愛する友が病んでいるというのに、一刻も早くかけつけたいと思わない者はいないでしょう。しかし、ヨハネは極めて不可解なことを書いています。イエスさまはマルタとその姉妹とラザロを愛していたので、なお二日出発を遅らせたと言うのです。(ヨハネ11:5~6)姉妹たちは、死にかけのラザロがイエスの力を借りて癒されることを願っていたし、その可能性は信じていました。マルタもマリヤはそれぞれに信仰の質は違うものの、判を押したように同じことを言っています。「主よ。もし、ここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」(ヨハネ11:21,32)つまり、「イエスさまの力を借りるには、たとえラザロが虫の息でも生きている必要があった」と思っているのです。私たちの信仰はどうでしょう。私たちはそれぞれに主に期待してはいますが、自分たちの何かが回復し、出来るだけ傷つかずにそのまま用いられること、持っているものを失わないでそのまま成長することを望んではいないでしょうか。導きは多様で個人差はありますが、死を経ていないものは、主の栄光にはなりません。
主の栄光が現れるためには、私たちは生きている必要はないのです。いいえ、生きていてはいけないのです。完全に死んで4日ほどほったらかしにされてはじめて、主のよみがえりの力をいただけるのです。私たちが主の友で、主に愛された者なら、私たちが死なないで生きていることは主のみこころではありません。私たちが死んで臭くなり、その上でよみがえることがみこころなのです。
主にあって死んでよみがえった者は、それだけで大きな証の力を持っているのです。ヨハネ12章はマリヤが香油を注ぐ極めて偉大な礼拝の型がありますが、これはラザロのよみがえりの次の章であること、その流れの文脈の中でしか読み解けないことを覚えてください。ヨハネは、このマリヤが香油を注ぐ場面によみがえったラザロがいたのだということを読者に印象づけようと繰り返して書いています。(ヨハネ12:1~2)マリヤの奉仕の背景には、当然マリヤがみことばに聞き入っていた姿がありますが、この兄弟たちの信仰がラザロの死を通ったことがさらに大きな証の力となっています。マルタは同じように奉仕する姿が描かれていますが、ここにはつぶやきや不平はいっさいありません。この箇所は香油を注いだマリヤにスポットを当てて書かれていますが、集まって来た人たちのお目当てはラザロでした。(ヨハネ12:9)人々は、死んでよみがえった人を見にやって来たのです。何かが出来るとか何かを語ったとかではない。イエスによみがえらされ、イエスの力で生きているということ、それが最大の証なのです。そんなわけで、第1のポイントは、まことの証は「死んで、よみがえって、そこにいる」ということです。
もうひとつの例はサマリヤの女です。サマリヤの女はイエスさまを信じたことによって、彼女の渇きが満たされたことは言うまでもないことですが、証ということについて考えるとき、劇的に変わったのは、「彼女と町の人との関係性」です。彼女は人目を避けて時間をずらして水を汲みに来ていたのですが、イエスさまを信じてからは、その自分の水がめを置いて町へ入って行き、そして、触れられたくないはずの自分の過去について、自分から進んで話をしています。これは驚くべき変化です。彼女は、「こうあるべき」とか「こうしなければ」とか考えたわけではないでしょう。しかし、サマリヤの人たちは、「あの方は、私がしたことを全部私に言った」と証言したその彼女のことばによって信じたのです。(ヨハネ4:39)イエスさまに渇きを満たされた者は、イエスさまとの出会いを語らずにはいられないものです。もし、そのような衝動がなく、語ることに喜びがないとしたら、その人はずいぶん霊的に不健康であるか、はっきり信じていないかのどちらかです。「あの方は、私がしたことを全部私に言った」というこの単純な証ですが、そこには非常に深いメッセージが含まれています。それは、女がイエスさまに自分の姿を映されたということです。それは、占い師にいろいろ過去を言い当てられたというようなレベルのものではありません。もっと本質的な自分のリアルな姿が、人となられたイエスさまの中に映し出されたのです。町の人たちは、自分の全ての愚かさを受け入れて、きっぱりと何かに訣別した女の大きな変容を敏感に感じ取りました。その証は決して胡散臭いものではありませんでした。このサマリヤの女の証が、今日広く語られているような道徳や処世術であり得たでしょうか。
本物の証は、聞く人をイエスさまの前に引きずり出すような力、主から直接聞きたいという渇きを起こさせます。(ヨハネ4:39~42)「この先生は立派だから、この先生につきたい、頼りたい」と思わせるようなメッセージは、それを語る人も、それを慕う人も怪しいものです。「もう私たちは、あなたが話したことばによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです。」(ヨハネ4:42) そんなわけで、第2のポイントは、まことの証は「私と私の周囲との関係性を根本的に変える」ということです。信じてもなお、信じる前と同じような人間関係のしがらみをひきずっているとしたら、それはどこかに嘘や偽りがある証拠です。イエスは、「私がしたことを全部言った人」のはずです。大部分ではなく、全部です。全部が主の前に明らかになっていないと、人間関係にも必ずねじれやもつれが生じるのです。
 最後の例は、レビこと使徒マタイの例です。(ルカ5:27~28)レビが召し出される記事は、あまりにも唐突、あまりにもシンプルすぎて、読み流してしまうと、何が起こったのかほとんどわからないような記事です。しかし、しっかり読んでみると、重要な情報はすべてつまっています。 まず、レビは収税所にすわっていました。彼は仕事中でした。そして、仕事にとらわれていたのです。彼の人生、彼の価値観、彼の時間は、「取税人」という決して望まぬ仕事によって運命づけられているかのようでした。本来職業に貴賎はないのかも知れませんが、ユダヤ人にとって取税人という仕事は、間違いなく忌むべきものでした。そんな誰もが見向きもしない、むしろ目をそらしたくなるような人物に目を留めたのはイエスさまでした。レビがイエスさまに目を留めたのではありません。私たちが主を見出したのではなく、主が私たちを発見してくださったのは何と心強いことでしょう。私たちが「あなたについていかせてください」と言ったのではなく、イエスさまが「ついて来なさい」と声をかけられたのです。これも何と頼もしいことでしょう。レビはこのふたつの事実、即ち主に見出されおことばをいただいたからこそ、そこから、立ち上がることが出来ました。そのすわっていた場所から立ち上がったとき、彼は何もかも捨てていました。何もかも捨てることなしには立ち上がることは出来ませんでした。レビはイエスさまに従ったのです。 そしてどれほどの時間が経過したのでしょうか。どのような準備期間や計画があったのかわかりません。レビは自分の家でイエスのために大ぶるまいをし、そこに取税人や罪人たちを大勢招きました。(ルカ5:29) そこは、レビの自宅でした。「何もかも捨てた」人は、「自分の家」を「イエスのため」に開放する事が出来ました。友人たちを招いたのですが、それは友人たちのためである前に「イエスのため」に開かれた宴でした。すわっていた食卓は交わりです。そこに出た料理は決して貧相なものではありませんでした。相対的に見て、「大ぶるまい」と言って差し支えのないものでした。招かれた友人たちは、ちょっとわけのある、レビが声をかけたからこそ、イエスの食卓に出てくる事の出来た人たちでした。普通はそれが難しいものであったことは、パリサイ人たちの批判のことばを見れば明らかです。しかし、イエスさまのお答えにもあるように、レビのこの企画したこの食卓は、救い主の本質を表現するに十分な場面設定だったわけです。(ルカ5:30~32)このように、短いこの記述の中に、多くのメッセージが凝縮されているのです。そんなわけで、3つめのポイントは、まことの証は「イエスのために大ぶるまいをする」ということです。
 今日福音書の3つの箇所から紹介した3つの例は、すべての健全なクリスチャンに見られる健全な証の原則だろうと思います。それは「かくあるべし」という目標としてあげたわけではなく、自然な証はそのような性質を帯びているという説明にすぎません。 改めて自分の証がどうであるかを測り、もし不健全であるなら、健全なふりをして無理をするのではなく、彼らの場合とどこか違っているのかを吟味して、きちんとやり直そうではありませんか。

2007年11月22日木曜日

11月11日 熱と蛇

        
パウロがひとかかえの柴をたばねて火にくべると、熱気のために1匹のまむしがはい出して来ました。それはパウロの手にとりつくのですが、その毒はパウロに害を与える事は出来ませんでした。 その様子を多くの島の人たちが驚きを持って見守っており、大きな証となりました。
この事件は、いったい何を意味しているのでしょうか。かつて主は、「燃える柴」の中からモーセに語られました。(出エジプト3:1~7)モーセが見た大いなる光景とは、「火で燃えていたのに柴は燃え尽きなかった」というものです。ここには、「神が人となる奥義」が隠されています。神の本質がイエスというひとりの人間の中に完全に表現されているのです。それはまさに「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われ」(ヘブル1:3)でした。「ひとかかえの柴」は、人としてのキリストを象徴しています。その中からはい出した1匹のまむしはサタンです。 蛇であるサタンはイエスさまを誘惑し、その人間性の弱さに訴えましたが、イエスさまはそのすべてに、神の子としての権威を行使されず、人の子としてみことばをもって勝利されます。それは肉の弱さの極限状態の中です。律法は、罪の入った人間の不義を示すものです。しかし、イエスは肉において律法を成就されたのです。それが燃える柴です。
現地の人々は、「パウロがまむしにかまれたのは彼が悪い人だからだ」と思いました。(使徒28:4)多くの人はこの世でうまくいかなかったり、災難にあったりすると、それはその人に原因があると思い込みます。これは、人が共通に持っている生まれながらの価値観です。(ヨハネ9:2・ルカ13:2,5・ヨブ)そして、自分自身ではなく、自分の身にふりかかる自分以外の何かを変えようとするのです。しかし、人間におこることはすべて、神の計画によって許されたことのみです。みことばによるならば、「一羽のすずめさえ神の許しなしに地に落ちるということはない」のです。みことばは、正義と愛の神様がこの世のすべての出来事を見守っておられると言っていますが、私たちの目に見える現実は、「神様なんて本当におられるのだろうか」と疑いたくなるような様相を呈しています。飢えや貧困や、病気や戦争、犯罪被害者や重度の障害は、神の存在を否定する証拠となりうるでしょうか。私は目に見える明らかな不公平の背後に、極めて公明正大な正しい裁き主の存在を期待できます。この世界を偏見なく見つめるとき、誰もが不公平だと理解できます。不公平を誰もが理解できるということは、共通の公平の基準があるのです。そんな達し得ぬ基準を誰が人類に教えたのでしょう。それは神です。「この世は不公平じゃないか」というのは、公平な神がおられることのひとつの証拠なのです。また、私たちの身にふりかかることのすべてが、クイズの正当数とポイントのように、納得ずくで増えていくものなら、交通違反と罰金額のようなわかりやすいものなら、納得ずくで奪われていくようなものなら良いと思われるでしょうか。  私は決してそうは思いません。「善を行うこと」が、即時的、即物的に「報いを伴う」ものであるなら、人は容易に「善」を「報い」に置き換えるでしょう。そういう価値観は、級友を顧みない点数稼ぎの学級委員みたいな連中を増やすことになるわけです。宗教に熱中するのはこのタイプです。がまん大会の勝者が偉いとなれば、みんな死ぬ直前までがまんするみたいな・・・。
良いことも、悪いことも、幸運に見えることも、不運に感じることも、なぜかはわかりませんが、ある人には起こり、ある人には起こりません。私たちにその理由の一部を知らされる場合もありますが、多くの場合は、どうしてそうなるのかは隠されています。神には明確な理由があるのですが、人にはわかりません。なぜでしょうか。人が神を神として信じ、あがめるためです。すべてが神から発し、神によって成り、神に至ることを学び、この神にのみ栄光を帰すためです。人が何であり、神が何であるかを教えるためです。(ローマ12:33~36)
柴の中の熱気はまむしを追い出したのでした。まむしは、パウロの手にとりつきますがパウロは全く害を受けません。イエスを信じる者は、もはや分かち難いほどにイエスと一体であり、まむしの毒、即ちサタンの影響からも完全に解放されているのです。これは霊的な事実です。クリスチャンも蛇にかまれます。信仰は蛇をよける鎧にはなりません。祈りは、災いを遠ざけるまじないではありません。クリスチャンも、この世の人と同じように、サタンの誘惑を受け、被害を受けることもありますが、本質的にサタンのもたらす死の害から解放されているのです。そして、私たちが人々の目の前で、自分にふりかかる目に見える災いを振り落とす時に、人々はその証に圧倒されます。何の害も受けず、涼しい顔をして立っているので、「あの人は神だ」となるのです。
まむしを追い出したのは、柴の中の熱気でした。イエスさまが宮の商売人たちを追い出される姿を見た弟子たちは、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす」(ヨハネ2:17)というみことばを思い出しました。イエスという人間の中に宿った聖霊の義憤と情熱が、細なわでむちを作って忌むべきものを追い出したのです。この記事には「宮きよめ」という見出しがつけられますが、社会的には、正当な商売を営んでいるところ男が乱入し、器物を破損し、営業を妨害した事件です。現代なら犯罪としても立件可能な事例です。
燃える柴の熱気は、宮をきよめます。聖霊の宮である私たち自身の中に両替人や商売人を住まわせないという決意が必要です。パウロのように、主イエスの勝利を自分のものにしている人は、サタンの影響も受けず、まむしを手から振り払うでしょう。しかし、多くのクリスチャンは、未だに心の宮に両替人や商売人を何人もかくまっているのです。これは、実に恥ずべき事であり、解決しなければならない問題です。島の人々の考えを変えさせ、心を動かしたのは、パウロが蛇を振り落として何の害も受けなかったからです。私たちを騙す蛇であるサタンに、決してつけ入る隙を許さない態度が必要です。それは容易なことではないかも知れません。イエスさまのように、「みことば」によって切り返す必要があります。サタンも「みことば」を巧みに使います。エデンの園でエバを誘惑したときも、イエスさまを誘惑したときも、「みことば」を使っています。サタンは、「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢」(Ⅰヨハネ2:16)を刺激して、心の中の両替人や商売人に話しかけます。明らかに罪だとわかるようなものに誘惑されているうちはかわいいものですが、これが正しいと確信しながら、みこころから外れていくことほど怖いものはないでしょう。サタンは私たちより遙かに賢く、「みことば」をすみずみまで知っています。しかし、信じてはいないのです。私たちは「みことば」を信じています。サタンに対して、まず勝利宣言をし、具体的に約束を握って、聖書にこう書いてあると明確に答えることです。「みことば」を知っていても意味がありません。「みことば」を信じて、サタンに向かって宣言することが大切です。両替人や商売人を追い出さずそのままにしておくと、彼らは強盗となって、私たちの心の宮を支配するでしょう。(ルカ19:46)
マルタ島で三ヶ月を過ごしたパウロの一行は、いよいよ執着地であるローマにやってきました。 いよいよローマです。私はもう何度も使徒の働きを読んで来ましたが、初めて読んだときは、正直に言うと、「あれ、ここで終わっちゃうの?」という感想を持ちました。たぶん終わりは当然パウロの壮絶な殉教の場面だろうと思って読み進んで来たのでしょう。ところが、劇的に展開してきた使徒の働きは、唐突に終わります。 パウロは「淡々と朝から晩まで証をした」(使徒28:23)と書いてあるだけで、おもだったユダヤ人に自分がローマにやってきたいきさつを語っただけで、詳しいメッセージの内容は出てきません。その上、聞いていた人々の反応はどうかというと、「ある人々は彼の語ることを信じたが、ある人々は信じようとしなかった」(使徒28:24)と書かれています。あまりにも当たり前すぎて、何だか拍子抜けしてしまいます。そして、それはすべてイザヤの預言の成就だということです。「一体何なんだ」と思いました。
しかし何度も読むうちに、これこそが唯一の神の方法であり、神髄なのだとわかってきました。伝道は、特別な方法で、ある種の効果や、顕著な結果を期待するものではなく、神のことばを神のことばとしてふさわしく、淡々と語るべきものなのです。いたずらに興奮もせず、聞き手にも媚びず、真理をていねいに解き明かす。それだけです。語るべき事は、「神の国のこと」であり、「イエスのこと」です。それらは当然みことばに基づいています。決して「この世のこと」や「聖霊のこと」ではありません。「私たちの幸福の秘訣」や「人生訓」ではありません。
今回、改めて読んでみると、結びの2節が実に素晴らしいものであることに気づかされました。「こうして、パウロは満2年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」(使徒28:30~31)ここでも、パウロが伝えた2つのポイントは、「神の国のこと」と、「主イエス・キリストのこと」です。
ルカは、「使徒の働き」の冒頭でこう書いていました。前の書「ルカの福音書」は、イエスの行い始めであり、教え始めだと。「使徒の働き」はその続編であり、継続しているイエスの行いの続き、教えの続きであると断っていたのでした。聖霊の働きは、今も途絶えることなく脈々と続いています。言い換えれば、私たちは使徒29章の世界を生きているわけです。
燃える柴は人の子イエスの姿であり、腕にからみつく蛇を振り落とすパウロは、教会がイエスさまの蛇に対する勝利を宣言する姿だと言えます。

2007年11月8日木曜日

11月4日 荒れ狂う波にゆられて

人生はしばしば航海にたとえられます。「順風満帆」や、「波瀾万丈」ということばにも、やはり「風」や「波」、そして「帆」が出てきます。人生には激しい逆風や荒れ狂う波がつきものだというわけです。私たちを乗せた人生の船も、思うようにはいかないことが多いですが、大きな困難を乗り越えて目的地にたどりつく感動もまたすばらしいものです。
今日もハラハラドキドキの人生を送る人たちはたくさんおられるでしょうが、文字通り難破して死ぬような目に会う人は稀です。パウロという人は、ご承知のように人類史上もっとも重要なメッセージを託された「特別な召しを受けた人物」です。ですから、確かに「特別な人生」を歩みましたが、しかし、それは一般的に期待されがちないわゆる特別待遇ではありません。その真逆で、とんでもない困難の連続でした。いのちを狙われたり、実際に鞭打たれたり、難破したり・・・・と、いわゆる宗教的御利益や恩恵には何一つあずかることなく、多くの宗教指導者のような尊敬やリッチな暮らしとは縁遠い一生を送ったことがわかります。同胞からは忌み嫌われ、兄弟姉妹の中にもパウロを誤解し批判する者もいました。限られた献金しか受け取らず、自分で仕事をしながら伝道を続けました。人というのは偉くなってしまうと、あの防衛省の元事務次官のようなVIP待遇を求め、それに甘んじる弱さを持っています。偉くなる実力がない者は、何か拝んだり、うまい話にのっかたりして、幸運を求めるのです。パウロはそういう人ではありませんでした。
いつも申し上げるように、私たちもまた「特別な人生」送るために「特別な召し」を受けています。「特別」というのは、他の人より好待遇であるという意味では決してなく、人それぞれの導きや生き方、つまり唯一無二の人生設計があるということです。ペテロはヨハネのみちびきを気にかけましたが、イエスさまは、「あなたはわたしに従いなさい」と言われました。それは、主に従い抜くことを決めた人に成就していきます。状況が有利に展開したり、思わぬ幸運が舞い込むということではなく、どのような状況にあっても主がともにおられ、折りにかなった慰めや助け、平安と勝利をお与えになるということです。
パウロはカイザルに上訴した他の数名の囚人たちとともに、ローマに向かって船で護送されることになります。護送の指揮者はユリアスという親衛隊の百人隊長です。彼はパウロに敬愛していたので、その取り扱いは寛大でした。ルカとアリスタルコはパウロの世話係として同行を許されていました。この27章を自分たちもパウロと同じ船に乗っているような気もちで読んでいけるのは、同船していたルカが、「私たちは」という語り方で、そのときの経験を具体的に書いてくれているからです。シドンに入港して停泊中も、パウロは友人にもてなしを受ける自由を与えられます。百人隊長はパウロには逃亡や反逆の危険が全くないと判断したからでしょうが、通常はあり得ないことです。パウロ一行を乗せた船はシドンから出帆しますが、向かい風が強かったので、風を避けながら島影の航路をとりつつ進みました。船がクレテ島まで進んだとき、パウロはこの先の航海の危険を警告しました。しかし百人隊長はパウロのことばより船主や船長を信用して、航海に踏み切ってしまいます。(使徒27:11)いくらパウロを尊敬し信頼しているとは言っても、パウロは航海に関しては素人です。船主や船長の言うことを重んじたとしても仕方がありません。結果として、パウロの警告を無視して出航することになりました。穏やかな南風が吹いて順調に進むかに見えましたが、まもなくユーラクロンと呼ばれる暴風が吹き下ろして大嵐になり、船は巻き込まれて航行不能に陥ります。島影に入ってようやく救命用の小舟を船体に巻き付け、浅瀬に乗り上げるのを恐れて流れに任せます。翌日には積み荷を、三日目には船具を捨てて船を軽くして浸水を防ぎます。いのちの危険を感じる危機的な状況です。太陽も星も見えない真っ暗な海の上です。どれほどの不安や恐れがあったことでしょう。体は疲れ果て、気力も萎えています。「私たちが助かる最後の(直訳:すべての)のぞみも今やたたれようとしていた」(使徒27:20)と書かれています。そのような場面で、パウロだけは、他の人々とは全く違ったことを考えていました。パウロは「失われるのは船だけで、誰も命を奪われるものはない」と確信していたのです。それはパウロの希望的観測ではなく、御使いのことばです。(使徒27:21~26)パウロは他の人よりもいくらかは我慢強かったかもしれませんが、人間的に何の希望も見いだせない状況で神さまのみことばがなければ、パウロだってどうしょうもないわけです。私たちの歩みは過去のうまくいった経験や余力で乗り切れるほど甘くはないのです。パウロがそのことばを受けたのはいつだと書かれていますか。それは昨夜です。昨夜までは、パウロだって不安や恐れがあったはずです。ただし、「主が無駄に苦しみを負わせるはずはない。自分は無意味な死を遂げるわけがない。」という信仰はあったでしょう。
ここまでのポイントを整理します。パウロは囚人です。しかし、彼をローマに護送する責任者である百人隊長ユリアスは、信仰はありませんが、パウロによくしてくれます。パウロの船には、ルカとアリスタルコという兄弟たちも乗っています。同時に多くの囚人も乗っています。ローマに行って証することは、あきらかに神のみこころです。パウロはこれまで経験と霊的判断から、出帆の日を延ばすようにあらかじめ忠告を与えますが、責任者がそれを聞き入れず強行したため、予想通り逆風が吹かれ、いのちの危険にさらされます。
信仰の途上では、パウロの経験したこと同じではなくても、この逆風や嵐にたとえられるような多くの困難があります。自分の気もちはあっても、前に一歩も進めない状況におかれることがあります。まわりの人を巻き込んで、逃げられない同じ船の中で、自分の信念や生き方を問われる場面もあります。信仰があるから、運良くそういうところを逃れられるというわけではありません。私たちは、信仰のある人やない人、権力のある人やない人と一緒に、運命を同じくする船に乗って、不安定な海の上を旅しているのです。
私たちは一体何のためにこの船に乗り、どこへ行こうとしているのでしょう。そして私たちは何を信じているのでしょう。船は私たちの家族でもあり、地域でもあり、会社やその他の人間関係でもあります。私たちがその関係性を煩わしく感じて、別の船を用意したとしたら、福音は正しく伝わるでしょうか。ことさらに学校や仕事や生活を、この世から分離ささたようとするあらゆる考え方は、主に対する愛からではなく、むしろその反対であると私は思っています。
しかし、同じ船に乗っていればいいのではありません。自分の選びや召し、そして役割がわかっていないと、船はただ風に流されるまま、運命を風任せにする他ないでしょう。もし、クリスチャンである私たちが同船する人に対して忠告も助けも与えられずにいるとしたら、その存在価値とは一体どこにあるのですか。 今日のメッセージの中心は、私たちは自分の乗っている船の中で、責任を負い、どんな発信をしているのかというチャレンジです。パウロは囚人であり、276人いた乗組員のひとりです。しかし、この船におけるパウロの影響力と存在価値はどれほど大きかったでしょう。私たちは自分の乗っている船の中で、どれほどの影響力を持っていますか。目立たず忘れられている人ですか。何の発言も発信もなく、人知れず教会に来ていますという人だとしたら、それは間違いです。それはクリスチャンの姿ではありません。教会は、船からはみ出た人どうしが、嵐を避けて肩を寄せ合う場所ではないのです。また、みことばをあずかる人々が、波も風もない向こう岸にいては、嵐の渦中にいる人に対して説得力がないのは当然です。
では、教会のこの世における役割は何ですか。嵐のただ中で出来ることは何ですか。もう少し先へ行きましょう。
 アドリア海を漂流して14日目の夜、激しい嵐もどうやら納まり船が島に近づく気配を感じました。水深を測ってみると次第に浅くなっているので、暗礁に乗り上げるではないかと心配して、錨を投げおろして夜明けを待ちます。ところが水夫たちは、自分たちだけ助かろうとして錨をおろすふりをして小舟をおろして逃げ出そうとしますが、パウロは全員を助けるためにそれを止めます。そして、彼らに食事をするようにすすめます。パウロは一同の前にパンを取り、神に感謝の祈りを捧げて食事をします。それはまさに聖餐式の雛型です。このような状況で、パウロは人々を神への感謝の中に招き入れました。もう一度思い出してください。パウロはローマへ護送される囚人のうちのひとりに過ぎません。しかし、パウロは乗船者一人ひとりの命に心を配って、まるで主人のように振る舞っています。 クリスチャンは、この世の人たちの出会う苦しみや悲しみをともに分かちあいながら、その逆風の中でも神のことばだけを信じ、希望を告白し続け、そして、十字架と復活の恵みの中へ招き入れることです。
 ついに浅瀬に乗り上げ座礁したので、兵士たちは囚人が逃げることを恐れて、殺す計画を立てます。しかし、あくまでもパウロを救いたかった百人隊長の好意によって、結果的に全員のいのちが守られることになります。パウロが語ったことばどおり、船は失いましたが、全員が無事に陸に上がることが出来ました。
 当然のことながら、この世の人々の判断は、ことごとくみことばにはよりません。まず、権威を信頼します。百人隊長は、パウロがせっかく知恵のある忠告をしても、航海士や船長の方を信用しました。(使徒27:11) そして、そのときの状況だけ見て判断します。穏やかな南風が吹けば、「この時とばかり」(使徒27:13)出帆したのです。大多数の人がクレテの港へ早く行きたかったので、判断を誤ったのです。さらに、責任のある人たちが自分の利益だけを考えた行動に出ます。このような状況で水夫が逃げ出したらどうなるのでしょう。残された人たちのことは何も考えていません。嫌らしいのは、皆の安全のために錨をおろすように見せかけて、自分たちだけが逃げるための小舟を準備していたのです。(使徒27:30)今日の日本で行われている偽装や隠蔽の現実を見ると、本当に何を信じてよいのかという気分になります。さいごに、「船が壊れてしまったら、もうおしまいだ」というような絶望的で破壊的な価値観による判断と愚かな行為です。パウロとシラスが捕らえられていた牢のとびらが大地震によって開かれたときも、看守は囚人たちが逃げたと思って自害しようとしました。この場面では、「船がなくなると囚人が逃げる。囚人に逃げられると兵士としての責任が果たせない。だから殺そう」という単純な考えです。職場放棄して逃げ出そうとする水夫よりはましなのかも知れませんが、他に考えようはないのかと思います。これらが、合体したものがこの世の価値観を作り上げているわけで、そういう人たちと同じ船に乗り合わせて、風や波にもまれて生きているわけです。私たちが、強くみことばを信じ、具体的な展望を持ち、そんな世に対して本当の希望を伝えるのです。「岩なるイエスに錨おろせば流さるることなし」という聖歌がありますが、まさにそのとおりです。

2007年11月2日金曜日

10月28日 この鎖は別として

パウロはフェストとアグリッパに対して、非常に力強くシンプルな証をしました。それはエルサレムでのメッセージとほぼ同じ内容で、特に彼がイエスさまと出会った個人的な体験が盛り込まれています。イエスを迫害していた自分が、その名を信じ宣べ伝えることになった180度の人生の転換は、天からの啓示によるものであり、この自分の証こそが、預言者やモーセの語ってきたことの実現なのだというものです。
しかし、ローマ人であるフェストにとっては、そもそも死者の復活などあり得ないことで、パウロが非常に博学であることは認められても、その賢さゆえにあまりにも物事を突き詰めすぎて極端な考えに取り憑かれているようにしか見えませんでした。「気が狂っているぞ。パウロ。博学があなたを狂わせている。」(使徒26:24)とフェストは大声で叫んでいますが、自分の理解や経験を超えた内容について確信に満ちて語るパウロの、圧倒的な迫力に飲み込まれそうになるのを否定したかったのでしょう。だから自ずと大声になったわけです。ある意味では正直な感想です。一方、ユダヤ人であるアグリッパ王は、フェストとは少し捉え方が違います。彼はパウロに向かって、「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている」(使徒26:27)と言っています。つまり、旧約聖書の預言やエルサレムでの一連の出来事を詳細に知っている分、パウロのメッセージの内容については、フェストよりもよくわかっていたはずです。しかしながら、「信じない」と言えば預言者を否定したことになるし、逆に「信じる」と言えば社会的立場を危うくするし、どうしたものかと困ってしまいました。そこで苦し紛れに、「自分がパウロに対してどうか」ではなく、「パウロが自分に対してどうか」を述べてごまかしたのでした。結局、結論としてふたりともパウロのことばを受け入れてはいません。ただフェストやアグリッパは勿論のこと、同席していた人たちは、みなパウロが無罪であると感じていました。
このパウロのメッセージをテキストにしながら、証ということについて、改めて考えてみましょう。カナン教会がスタートした頃、私はみなさんに「救われた証を大事にしてください」というお願いをしてきました。クリスチャンであるなら、誰でも具体的な証を持っています。そんな証を持っていないクリスチャンは偽物です。証をすることは信じる者にとって非常に大きな喜びです。証を尻込みするようなクリスチャンがいるとしたら、その救いはなはだ怪しいものです。それは、ある日ある時たまたま「気分や状況が救われた」だけで、「新しい生まれ変わり」がないのかも知れません。いのちを得ることと宗教心を満たすことは根本的に違います。いのちに基づく健全な証の特徴は3つあります。まず第1に、パウロが語ったように決まった骨組みがあるということです。回心する前、回心した時、回心した後の3点が非常に明確であることです。イエスの死とよみがえりが、そんな自分の体験とぴったり重なるはずです。第2に、回心を決定づける具体的な「みことば」が主から直接語られているはずです。それは、教理を理解することではありません。みことばがその人の信仰と結びついていのちをもたらすと、そのみことばの種はやがて花を咲かせ実を結び、さらに豊かにそのいのちをつなごうとします。それはとても自然で自動的なもので、苦労も無理もありません。第3に、主の光の中で、新しく進むべき方向性を見出しているはずです。証を持っている人は、信じる前とは違ったものを求めて全く別の平面に立っているはずです。選ばれたこと召されたことを明確に感じているはずです。
もう一度この3つのポイントで、パウロの証を振り返ってみてください。第1のポイントです。パウロは信じる前、「信仰以前」の姿をはっきり書いています。(使徒26:5,9)信じた瞬間のこと、時、場所、状況を明確に語っています。(使徒26:13)第2のポイントです。語られたことばについても非常にはっきりしています。(使徒26:14)第3のポイントです。自分の奉仕者・証人としての選びと召しを具体的にとらえています。(使徒26:16~17)
ご自分の救いについても、是非この3つのポイントで振り返ってみてください。きっと、誰かに無意識に証しているときも必ず、このポイントを押さえておられるはずです。聖書のさまざまな箇所で、主に導かれたしもべたちの大きな変容のポイントになったときの証は、非常にはっきりしています。名前まで変わっています。シモンはペテロとなり、サウロはパウロと呼ばれます。ヤコブではなくイスラエルなのです。ヤコブは虫けらですが、イスラエルは12部族の父です。
後半は、さらに細かいポイントについて、学んでいきましょう。私は、この26章のパウロのメッセージの中で、とても気に入っている表現がふたつあります。そのひとつは、「とげのついた棒をけるのはあなたにとって痛いことだ」(使徒26:14)という表現です。これは人の良心の葛藤について鋭く言い得たことばだと思います。前にも一度ふれたことがありますが、9章に出てくるパウロの回心の場面では、この「とげのついた棒」は出てきません。(使徒9:4)エルサレムのメッセージでも、この表現は使われていません。(使徒22:7)パウロが後になってから、その場面を思い返して、証をする際につけ加えられたものではないでしょうか。パウロはヘブル語で語りかけられたのを聞いたと言っています。(使徒26:14)それは耳に響いたことばではなく、霊に直接語りかけられたものなのかも知れません。
「とげのついた棒をけるのは痛い」というのは、「無意味で不可能なことを意味するギリシャの格言で、クリスチャンを迫害するのは無意味で不可能という意味だ」という解釈もあるようですが、私はもっと深いものを感じます。これはヘブル語で語られたイエスさまのことばです。仮にそのような慣用句が古代ギリシャで使われていたとしても、ただそれだけのことを喩えるために、イエスさまがわざわざギリシャのことわざをギリシャ語がわかるパウロにへブル語で語られたことの説明としてははなはだ不十分だと思います。「とげのついた棒をける」というのは、非常に詩的な表現です。イエスさまの弟子たちを迫害することが正しい神の道だと信じてきたパウロの良心の葛藤や痛みを指しているのですが、具体的に何のことなのかはよくわかりません。それだけに、はっきりイエスさまのよみがえりの力を経験するまでのあらゆる人の葛藤とぴったりくることばだと思います。誰であれ、イエスさまに出会うまでは、「とげのついた棒」を知らずに蹴っているものなのです。とげのついた棒を進んで蹴りたい人はいません。「とげのついた棒をける」とは、「こんなはずじゃない」「どこかおかしい」「なんかへんだ」というような違和感や不快感と同義語なのです。
パウロは「ナザレ人イエスの名に強行に敵対することこそ正義」だと信じていたのですが、同時にそんな自分の心の中に分裂を起こし、強い痛みを覚えていました。そこに痛みが発生するのは、パウロの神を求める思いや渇きが本気だったからです。私たちも間違った教えや思い込みの中で、それが神のみこころだと信じて、大いに間違っていることがあります。しかし、その間違いに薄々気づいていても、また間違いを示されても、その間違いを間違いと認めず、誤魔化したり、すり替えたりするうちに、「正しい痛みの感覚」が少しずつなくなって麻痺してしまうのです。ヨハネ4章に出てくるサマリヤの女を思い出してください。彼女は人の目には男をとっかえひっかえして生きてきたふしだらな女です。5人の男と結婚し、6人目の男と同棲していますが、そこにも幸せは見出せません。しかし、イエスさまは彼女の渇きを知っておられ、彼女に会うためにわざわざサマリヤを通り、井戸の傍らに自らも喉の渇きを覚えた状態で待っておられたのでした。イエスさまこそ、彼女の渇きを満たすまことの夫、7人目の男でした。真実を求める者に、イエスさまは必ず現れてくださるのです。もし彼女が3人目か4人目の夫で「結婚はこんなもの」「人生はこんなもの」「幸せはこんなもの」と妥協していたなら、イエスさまと出会いはなかったでしょう。棒を蹴っても痛くない靴など欲しがるべきではないのです。私はあきらめずに、真実を希求する姿勢は大切だと思います。既存のキリスト教会にどこかアーメンできないものを持ち続け、イエスさまの真実、本当の聖霊の助けや、みことばの光を求めておられた方が、インターネットなどを通して、この小さな集まりにつながってくださっているのだと思います。それは私に人を満たす何かがあるのではありません。私にあったのは、ただこのサマリヤの女のようなリアルな渇きだけです。イエスさまがくださるのは井戸からくんだひしゃくいっぱいの水ではありません。決して枯れない井戸そのものを私たちの内側にくださるのです。自分の渇きに対して妥協しない人は、渇きを満たされます。妥協は罪なのです。渇きを満たすための誤魔化しやすり替えが、すなわち偶像礼拝なのです。彼女はただの男好きではなく、ただ水を求めていたわけでもありません。そして対人恐怖症の臆病者でもありませんでした。彼女は水をくみに来たはずなのに、水がめを置いて町へ行きました。人目を避けていたはずなのに、自分から証をしにいったのです。このサマリヤの女にも、健全な証の特徴はすべて当てはまります。
私が気に入っているもうひとつの表現は、「この鎖は別として、私のようになってくださることです。」(使徒26:29)ということばにある「この鎖は別として」です。これは、囚人や被告人が自分の運命を左右する人々に対して発することばとしては、はなはだ不適切ですが、超越したことばです。私たちはこの世にいる以上、何らかの鎖に縛られるでしょう。しかし、パウロは何にも縛られてはいませんでした。むしろ多くのしがらみに縛られているのは、フェストやアグリッパの方でした。パウロをとらえていたのは、ローマではなく主でした。パウロはローマの囚人ではなく主の囚人でした。(エペソ3:1,4:1)(Ⅱテモテ1:8)そして、パウロの心を縛っていたのは聖霊でした。(使徒20:22)このパウロのことばには、「縛られているのは私ではなくあなたがただ」という痛烈な皮肉が含まれているのです。
何であれ、不自由を感じる鎖に縛られている人は、自分を縛っていた鎖で他の人を縛ろうとする傾向があります。親が子どもをしつけるとき、先生が子どもを教えるとき、その人が何に縛られているのかがけっこう明確に見えます。過干渉も放任も根は同じで、ともに中心がずれているのです。同様に、牧師のメッセージにも、その人の育ちや価値観が繁栄されます。「~であるべき」を押しつける人は、みことばより、自分自身の不自由な経験が基礎になっています。「縛られている」と言っても、それは「厳格すぎる」という意味だけではありません。縛られているとは、「自由がきかない」ということです。緩みすぎているのも、デタラメな状態から抜け出せない不自由さに縛られているわけです。聖霊に縛られていることは自由であり、そこには喜びがあります。(Ⅱコリント3:17)パウロが持っていた主にある自由を私たちも得ることができます。それはあらゆる境遇の対処することのできる力です。(ピリピ4:11~13)

10月14日 イエスは生きている

ペリクスというのは実に中途半端な男でした。パウロの話も聞きたいし、金ももらいたい、しかもユダヤ人にもいい顔をしたい。ローマの市民権を持ったパウロを2年間も監禁していたことは、説明がつかないことでした。そんな中途半端な状況のまま、ペリクスは任期を終えます。ペリクスにも悔い改めるチャンスがあったわけですが、彼はその機会を無にしました。ペリクスは、24章でパウロを牢につないだままにして、25章ではその姿を消しています。
カイザリヤにおけるパウロの裁判は、新しい総督フェストの前で行われています。カイザリヤからエルサレムへ上ってくると、ユダヤ人たちは待ってましたとばかりにパウロのことを訴え出て、媚びて懇願しています。パウロをエルサレムに呼び出して途中で殺す魂胆なのです。ところが、フェストはパウロを思いやってでもなく、正義を貫こうとしてでもなく、ただ「自分の都合に合わない」という理由で、ユダヤ人の指導者たちの訴えを退け、逆にユダヤ人たちにカイザリヤに下って来ればよいとしました。こうして、カイザリヤからエルサレムにやって来るパウロを途中で殺害する計画は未遂に終わります。
フェストはカイザリヤへ戻るとすぐに法廷を開き、パウロに関する訴訟を取り上げます。エルサレムから下って来たユダヤ人はパウロを重い罪状を挙げて訴えますが、やはり証拠がありませんでした。パウロはあわてる様子もなく、「私は何の罪を犯して這いません。」(使徒25:8)と、毅然として答えます。本来ならこれで裁判は終わりです。無罪放免でよいのですが、ユダヤ人たちの歓心を買おうとしたフェストは、パウロに「あなたはエルサレムに上り、この事件について、私の前で裁判を受けることを望むか」と尋ねました。前回はユダヤ人の懇願を拒んでパウロにエルサレム行かせなかったので、今回はちょっと点数を稼ごうと思ったのです。ところが、パウロはそのことを良しとせず、カエサルに上訴し、それが受け入れられました。
フェストもペリクス同様、非常に自己中心で、これといった信念もなく、欲望にまかせて日和見的な判断で生きています。もし、エルサレムで待ちかまえていたユダヤ人たちのはじめの要求を飲んで、パウロをカイザリヤからエルサレムへ上らせていたとしたら、パウロは途中で殺されたかも知れません。しかし、主がそれをお許しにはなりませんでした。結果的にパウロの安全が守られるように導かれたのです。しかし、そのまま釈放されるのがみこころだったのでもありません。「ローマで証をすることが自分の使命である」とパウロは信じていましたが、まさにそれこそがパウロに備えられた道でした。後でアグリッパ王がフェストに「もしカイザルに上訴しなければ釈放されたであろうに」と言っていますが、本当にその通りなのです。勿論パウロだって釈放が当然であることはわかっていましたが、あえてローマへの道を選んだのです。「勇気を出しなさい。あなたはエルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」(使徒23:11)という主のおことばをパウロは一瞬たりとも忘れたことはないでしょう。
パウロをローマへ送る準備をしている間に、アグリッパ王と妻ベルニケがフェストのところにやって表敬訪問にやって来ました。フェストがパウロの裁判についての経過を説明すると、アグリッパ王は興味を持ち、パウロの話を聞きたがったのです。フェストはアグリッパに助言を求めていますが、ルカの書きぶりからすると、フェストがどうしてもアグリッパの意見や力を求めたというわけではなさそうです。(使徒25:14)言ってみれば、ローマの総督がユダヤの客人の暇つぶしのために設けたイベントでした。フェストからすれば、アグリッパは格下ですが、総督に就任して間もないのでうまくやっておきたかったのです。このアグリッパ王とパウロのやりとりは、次の26章にも詳しく出てきますので、彼の背景について、簡単に説明しておきます。ヘロデ・アグリッパの曾祖父にあたるヘロデ大王は、キリストの誕生を恐れて幼子を虐殺した人物です。  大叔父にあたる領主ヘロデ・アンティパスは、バプテスマのヨハネの首をはねました。そして、彼の父であるヘロデ・アグリッパ1世は、ヤコブを殺し、ペテロを投獄しました。このアグリッパ1世には3人の子どもがいて、一人がこのアグリッパ2世で、もうひとりが、総督ペリクスの妻であったドルシラです。そしてさらにもう一人の姉妹が、彼の妻ベルニケです。つまり、実の妹を妻としていたわけです。そんなとんでもない家系に生まれた人物ですが、同時に神殿の守護者であり領主でした。神様はこのような男にも、最高のメッセンジャーを通して福音を聞かせてくださるわけです。アグリッパとベルニケにも、ペリクスとドルシラの時と同じように救いの門は開かれていたのです。
福音は、私たちが自分の目で人を選んで語るものではないことがわかります。備えが出来ているしもべには、主が語る時を必ず与えてくださいます。聞く者よりも、語る者よりも、福音は偉大なのです。そして、福音を伝えるつとめが偉大なのです。救われて間もない人だろうと、大説教者だろうと、伝える人ではなく、預かっていることばが偉大なのです。
フェストがアグリッパに伝えていることばを見ると、フェストは福音を受け入れてはいませんが、パウロの主張のポイントがどこにあるのかは理解しているのがわかります。福音の中心は、「死んだイエスが生きている」ということです。使徒の働きには、何度も「復活の証人」ということばが出てきました。私たちがどうしても伝えなければならないことは、この十字架にかかって死んで生き返った「御方」のことです。決して、人生の成功の秘訣や、未来におこることの予告や、からだの癒しではありません。自分たちの信じ方や正当性の話ではないのです。私が批判しているのは、この中心から大きくずれている現状に対してです。特定の人やグループをターゲットにして貶めるつもりはありません。この御方を捨てるような福音などは、存在しないとパウロは語っています。「私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたが急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるのではありません。あなたがたをかき乱す者たちがいて、キリストの福音を変えてしまおうとしているだけです」(ガラテヤ1:6~7)パウロはたとえ、天の御使いであっても「福音を汚す者はのろわれよ」とさえ言っています。さらに、なぜそうなるかは「人の歓心を買おうとするからだ」と説明しています。(ガラテヤ1:8~10)
「ただ彼と言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関することであり、また、死んでしまったイエスという者のことであり、そのイエスが生きているとパウロは主張しているのでした。」(使徒25:19)とフェストは言っています。イエスがもし死んだままだとしたら、イエスがどれほど尊敬に値する偉大な人物だろうと、フェストとは関係のないことです。フェストが言うように、それは「彼ら自身」つまりユダヤ人だけの宗教上の問題です。しかし、パウロが主張していることが本当で、イエスがよみがえれたのが事実なら、フェストが無関心であろうと、よみがえられた御方は、今度は救い主としてではなく、裁き主としてフェストの前に立つわけで、フェストも無関心を装ってはいられなくなるわけです。しかし、イエスがよみがえられたことは、通常の感覚では受け入れることは出来ません。「それなら証拠を見せてみろ。よみがえったイエスよ現れよ。しるしを見せよ。不思議を見せよ」となるわけです。しかし、聖霊は、十字架に架かられた御方を示し、この方の死を見てよみがえりを信じるように導かれます。決して十字架から切り離された復活の証拠で人を圧倒するようなことはなさらないのです。イエスさまはトマスに現れたときに彼に向かってこう言われました。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで信じる者になりなさい。」(ヨハネ21:26)これは、トマス自身が「イエスさまの傷跡を自分で確認しなければ信じるものか」となかまに対して語ったことばを受けたものでした。トマスには、他の弟子たちが主を見たという証言を信じられなかったのです。イエスは自分が主であるイエスさまを裏切ってしまったことの挫折感と、愛する御方を失ってしまったことの喪失感に打ちひしがれていました。何らかの理由で他の弟子達と行動をともにしていなかったトマスは、よみがえられたイエスさまと出会うチャンスを逃したわけですが、ただひがんでいじけていたのではなく、イエスさまが十字架にかかって死んだというリアリティーが強すぎて、よみがえられたことがわからなかったのです。よみがえられたイエスさまのからだに傷の跡を確認することは、自分とイエスさまの関係性を確認することです。トマスは、よみがえられたイエスさまが自分のためだけに現れてくださったので、ただただ恐れ入って「私の主。私の神」と言ったのではないと思います。その傷跡にもっともっと深いものを感じたはずです。
私は子どもの頃、母親から「へその緒」を見せてもらったことがあります。幼い私は、そのひからびたみみずのような物体が私と母親のいのちをつないでいた大切なしるしであることを知らされ、母親への感謝の気持ちを持ちました。 イエスさまの傷口を見せられたトマスの心情には、それに近い心情があったと思います。自分とイエスさまとの個人的な絆をその傷跡から感じ、それで「私の主。私の神」と言ったのです。イエスさまのからだの傷跡は、ローマ兵がつけたものです。しかし、それは私のいのちをつなぐための傷です。ただの傷ではない。それは私の罪が負わせた傷であり、その傷口から流れ出た血の贖いによって、私たちは直接神のいのちに結びつけられるのです。
イエスさまは生きておられます。このことを日々リアルに感じることが出来ますように。

2007年10月11日木曜日

10月7日 ペリクスの葛藤


パウロは、紀元58~60年の2年間にわたってカイザリヤの獄中で過ごします。この間に総督ペリクス、そしてフェスト、アグリッパⅡ世という3人の時の権力者の前で証の機会が与えられることになります。その様子が使徒24~26章に記されているわけです。今日は、ペリクスの前での証の場面を見ながら、ともに学んでいきたいと思います。このペリクスという人物は、ユダヤ人のドルシラという妻がいましたが、この人は第3婦人でヘロデ・アグリッパ1世の末娘です。ローマの歴史家タキトゥスによると、相当な専制家だったようです。千人隊長がパウロと対面したとき、「四千人を引き連れて逃げたエジプト人の暴動の首謀者」(使徒21:8)と間違えかけた場面がありますが、その事件の際にも暴動に加わった群衆400人が殺され、200名が捕らえられたという記録があります。この証の場面のちょうど3年前の事件です。それ意外にも暴動や民族運動には、容赦ない態度で望み、多くの血を流してきた人物です。
大祭司アナニヤや数人の長老とローマの弁護人であるテルトロという人物を連れてきて、パウロについて訴えさせました。そのことばが実におもしろいです。「この男は、ペストのような存在で世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であり、ナザレ人という一派の首領でございます。」(使徒24:5)このことばから、ふたつの事実がわかります。テルトロはパウロのことを、とんでもない伝染力をもっていたペストという病気に喩えています。彼らは腹を立てながらも、パウロの影響力のすさまじさは認めているわけです。彼らの目から見れば、まさに福音が伝染病のように広がっていったのです。もうひとつは、「ナザレ人」という軽蔑を込めた呼び方です。「ナザレから何の良い者が出るだろう」とナタナエルがピリポに向かって言ったことばがありますが(ヨハネ1:46)、これと同じ意味合いでしょう。「田舎者」つまり「正当でないもの」従って「異端」というニュアンスが込められているわけです。彼らがパウロを生かしておくことは、自分たちの穏やかで健全な日常を脅かすことであり、また、伝統も格式もない「ナザレ派」なるものを認めることは、「中央」であるエルサレムの権威が失墜することを意味するからです。覚えておきたいのは、パウロや弟子たちは、「ナザレ派」というグループの正当性など全く主張してはいないということです。この点については、あとでもう一度ふれます。
少し本題から外れますが、私が気になるのは、「パウロを殺すまでは飲み食いしない」と誓った人たちが、本当にその誓いを守ったのだろうかということです。この時点ですでに少なくとも5日以上は経っているわけですから、律儀に誓いを守っているとしたら相当なものです。こういうくだらない誓いを立てること自体、その主張を何一つ聞くまでもなく、そのグループが間違った選択をしている証拠です。正しいことを行うなら、単独で粛々とやればいいのです。何も他人を巻き込んでグループを約束や誓いで縛る必要はありません。肉の情熱は「いかにも」というようなイベントを組みキャンペーンを張りたがるのです。眠らずに長時間祈るだの、集団で断食するだのというようなことを仰々しく呼びかけてやっていますが、これは愚かしいことです。主は「長々同じ事を繰り返し祈るな」「往来など目立つところ祈りはするな」とおっしゃっています。「断食するなら他人に知られないように」と言われています。こういう明確な禁止事項を平然と破っているわけです。○○大会に「いくら集める」「何人集める」という目標も、得意気な結果報告も、「パウロを殺す」と言う目標とたいした違いはないと思えます。
テアトロの訴えていることを具体的に見ていくと、「この男は宮を汚そうとした」(使徒24:6)と言っていますが、その点については、事実はそうではなくて、町でエペソ人のトロピモという人と一緒にいるところを見かけただけです。(使徒21:27~30)アジアから来たユダヤ人が、事実ではないことで因縁をつけて群衆を煽ったというのが真相です。騒動を起こしたのは、パウロではなくアジアから来たユダヤ人でした。ちなみにこのトロピモという人は、一時期パウロの伝道旅行に同行した人物です。(使徒20:4)ですから、パウロは、「誰とも論争などせず、群衆を騒がせることもしていない」と証言しています。これが真実です。しかし、彼らが自分たちを「異端」と呼ぶならそれはそれでいいだろうという態度をとっています。自分の信じていることの本質については弁明していますが、どのように呼ばれて評価されようが、そのことについてはあえて修正はしていません。(使徒24:14~16)パウロのきっぱりとした信仰の態度が伺えます。先ほど、パウロはナザレ派の正当性など主張していないと言いましたが、それは今日においても重要な意味を持っています。私の信仰のスタイルの正しさなど主張しても仕方がないのです。大事なのは、「私の信じている御方」です。この御方はいつも「抜き身の剣」であるみことばを持って、約束のカナンの地を獲得するために聖なるところに立っておられます。誰かが私の敵か味方はではなく、私が「主の軍の将」である方の側に立つかどうかなのです。(ヨシュア5:13~15)「足のはきものを脱げ」(ヨシュア5:15)これが命令です。「どこの教団、教派に属している」だとか、「私の役割や資格はああだこうだ」とか、そういうのは、はきものについている汚れです。ユダヤの指導者たちは、ご立派な権威の靴をはいて、聖なるところに踏み込もうとしているわけです。裸足のパウロとの違いは明確です。パウロがはいているのは何ですか。「平和の福音の備え」(エペソ6:15)です。
イエスさまと当時のユダヤの指導者たちとの確執の構造は、そのままパウロや弟子たちが受け継ぐことになりました。肉は御霊の働きを受け入れることが出来ません。イエスさまが初めてお越しになったときのこの確執の構造をしっかり理解するべきです。イエスさまが再びお越しになるときにも、同じことが起こります。すなわち、イエスさまのいのちを受け継ぐ本当の弟子たちとそうではない権威グループとの対立です。このような主張は権威グループにとっては非常に耳の痛い不愉快なものなので、この世的な数の力、組織の力や、感情的な扇動によって、当時と同じように、本当の主のしもべたちを攻撃、圧迫するでしょう。残念ですが、どうやらこれは逃れられない通過点のようです。いつも主の側にある者は、反目や対立を好みはしません。いつも間違っている側が勝手に興奮し、勝手に争いをけしかけ、主のしもべを陥れようとするのです。イエスさまが終わりの時代の教会の姿について語られたたとえを一つ見てみましょう。(マタイ24:45~51)忠実な思慮深いしもべは、食事時には、家の者に食事をきちんと与え、悪いしもべは、口では言わないが、心の中で「主人はまだまだ帰らない」と思って、仲間を打ちたたき飲み食いすると書いてあります。食事とは、健全なみことばで兄弟姉妹を養い、主人がいつ帰って来られてもお迎えできるように心からお待ちすることです。主人を慕い彼の訪れを待つ心が教会の本質です。決して家が大きくなることではない。花代が花婿を忘れて肥え太ることではないはずです。それは、聖書全体からあふれ出るほどはっきり書かれていることです。
「真理の土台また柱である」と言われているキリストの教会が、なぜこれほどまでに聖書からかけ離れたことを主張し続けて来たのか、私は不思議でたまりませんでした。「ひとつのからだ」「ひとりの花嫁」と呼ばれている教会が分裂分派を繰り返しながら、「自分たちは聖書66巻をすべて神に霊感されたことばであると信じ・・・」などと、ほとんどの団体が主張しながら反目し合っている状況は客観的な説明のつかない混乱に陥っているとしか言いようがない。イエスさまと出会うまでの私の目には、教会などというものは、自分の頭でものを考える力のない人たちの仲良しクラブにしか思えませんでした。 私はクリスチャンになる前から、キリスト教文化とその社会的な影響については、世界史や哲学、文学や美術や音楽を通して知っていましたので、キリスト教には何の魅力も感じず、自分がクリスチャンになる予定もなければ、その可能性もないと思っていました。 ところが、みことばそのものを偏見なしに読み進んでいくと、私が見聞きして知っていたいわゆる「キリスト教」と、聖書に書かれている本当のキリストとは全く違っていることに気づかされていくわけです。聖書が求めている本当の教会の姿は、既存のほとんどの教会のあり方とは全く違う。私はみことばを受け入れ、よみがえられたイエスさまに出会ったことで、みことばの字面の意味だけでなく、聖霊の光によって、物事の霊的・本質的な意味が見えてきたわけです。それは、暗かった部屋にあかりがついたようなもので、私の視力や探求心の結果ではありません。
私のような経験をしてきた無名の兄弟姉妹は、実は歴史上にいっぱいいて、キリスト教会正史の中には名を残さないまま、ただいのちの種子をつないで、その役割を終えていきました。キーワードはいのちです。これは、火縄銃や羅針盤と一緒に伝わってくる文化や風俗としてのキリスト教とは違います。キリスト教年鑑に載らなくてもいいのです。そういう小さな群れは、世界のどこにもあるのです。みなさんもそのひとりです。このような兄弟姉妹は、ただ主にだけ覚えられ、よみがえりの日にひとりひとりがその名で呼ばれ、ひとつのからだの中に組み込まれ、ひとりの花嫁として建て上げられます。もしかして、その中には、活躍したはずのキリスト教正史に名を残したあの先生、この先生はおられないかもしれません。私は知りません。主がご存じです。イエスさまがお越しになるとき、世の中のすべては、十字架を軸にして反転するはずです。パウロは、律法の本質とその霊的な意味を知り、それを伝え体現しましたが、律法の字面の表現にのみとらわれているユダヤの指導者たちの目には、律法を冒涜し破壊する者と映りました。ユダヤの指導者たちは、力でパウロをねじふせようとしますが、それはかなわぬことでした。パウロを憎めば憎むほど、彼らの愚かさと間違いが露わになりました。同じようなことが、キリスト教会内でも起こる可能性はありますし、起こりつつあります。現在のキリスト教会の現状を見渡せば、福音派の教会の中には相撲協会の体質との共通点がいっぱいありますし、聖霊派の教会の中には円天市場みたいなところがあります。いつも申し上げますが、教会の内外に関わらず、体裁は違っていても、人間のやることは同じなのです。
ペリクスの内面にスポットを当ててお話しましょう。彼は、この道、すなわち「彼らが異端と呼んでいるこの道」(使徒24:14)に相当詳しい知識を持っていたと書かれています。(使徒24:22)ですから、当然ユダヤ人の指導者たちよりもパウロの言い分の方が正しいことは簡単にわかるわけです。しかし、政治的にはユダヤの指導者たちの気持ちを損なうことは得策ではありません。(使徒24:27)そこで、取りあえずパウロを監禁はするが、ある程度の自由を与えるという折衷策をとりました。ペリクスは、パウロの無罪を確信しているだけではなく、そのメッセージの内容にも興味を持っていました。それは、彼の妻がユダヤ人であったこととも関係があるかも知れませんが、夫婦揃ってパウロのメッセージを聞いています。パウロは、「正義と節制とやがて来る審判」(使徒24:25)について語ったと書いています。パウロは、「あなたは愛されています。イエスさまは、ありのままのあなたを無条件に愛しておられます。イエスさまを信じればあなたの人生のもっと豊かになります」などとは言いませんでした。これも覚えておきたいことです。占いのような個人預言や、手品のような癒しが、いくら大流行しても、そういうものに目を向けるべきではありません。そういうものは、ヘロデが求める人生の余興なのです。(ルカ23:8~9)
このペリクスの態度は、バプテスマのヨハネの前のヘロデや、イエスさまの前のポンテオ・ピラトを思い出させます。実際ペリクスとヘロデは、他人の妻を奪うという同じ罪を犯していました。ヨハネもヘロデに囚われている身でありながら、彼の不正をあからさまにしつこく責めました。(マルコ6:18)ヨハネもパウロと同じです。「不倫をしていても、あなたは愛されています。神さまを信じれば赦されます。」などとは、言いませんでした。ヘロデは責められながらも、ヨハネが正しいことを言っているとわかっていました。「ところが、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺したいと思いながら、果たせないでいた。それはヘロデが、ヨハネを正しい聖なる人と知って、彼を恐れ、保護を加えていたからである。また、ヘロデはヨハネの教えを聞くとき、非常に当惑しながらも、喜んで耳を傾けていた。」(マルコ6:19~20)おそらく、ペリクスも同じような感じだったでしょう。人間の心理というのは、不思議なものです。どんな悪者であっても、完全にイエスを拒むまでは、正義に対しては、心を揺り動かされるものなのです。ヘロデの妻であるヘロデヤは、ヨハネを殺そうとしていましたが、ペリクスの妻は一緒にメッセージを聞いていたのですから、ペリクス夫妻はヘロデよりも、いっそういい感じだったわけです。いずれも喜んでメッセージを聞いていた熱心な求道者だったわけですが、最終的には、受け入れることが出来ないばかりか、卑劣な方法で取り返しのつかない罪を犯してしまいます。ヘロデは見栄のためにヨハネを殺し、ペリクスはパウロにたかって賄賂を要求します。ペリクスはパウロに対してどのような交渉をしたのでしょうか。詳しくはわかりませんが、おそらくはこういうことでしょう。ペリクスはパウロが同胞に施すために集めたお金を持っていると思っていました。さらに、パウロはクリスチャンたちからの信望も厚く、その気になれば、獄中にいても集金力があることを知っていたので、集めた金の一部を横流しするように、その見返りとして勾留期間を短くしてやるとか、拘留中の自由を拡大してやるとか言って、パウロの気を引こうとしたのです。実に卑劣な男です。ちなみにペリクスというのは、「幸福」という意味です。聖書が教えるところが正しいことがわかっても、それだけでは人は救われません。このような間違った動機でメッセージを聞き続けても、いっそう悲惨な結果を招くだけです。
ペリクスの葛藤は、クリスチャンとは無関係のものだと思われるかもしれません。しかし、そうではありません。このようなモデルで考えてみてください。私たちもペリクスのような自由な選択権を持って自分の人生をやりくりしています。パウロを幽閉しつつ、自分の都合のよいときに、パウロを牢から出して、その話をときどき喜んで聞く。そして、心を責められてはまた閉じこめる。自分がパウロに対して優位に立っているので、それが出来る。そして挙げ句の果てに、パウロを利用して金を得ようとする。キリスト教の活動を通して、イエスさま以外の何かを得ようとしている人は少なくないはずです。そんな姿は、実はけっこうペリクスと似ているのです。

2007年9月28日金曜日

9月23日 その夜 主がパウロのそばに立って

使徒23章は、ユダヤの議会に対するパウロのメッセージから始まります。
しかし、パウロが口を開くや否や妨害が入ります。妨害したのは大祭司です。パウロが準備していたであろうメッセージを伝える前に、議会は混乱してしまいます。図式としては、この世の権威と立場の対立になってしまいます。  
パウロはその構造と混乱の原因を見て取って、自分に向かっていた怒りや攻撃のエネルギーをお互いに向けさせようとしました。剣の達人がさらりと身を翻して同士討ちをさせる感じです。

激しく対立するのは、サドカイ派とパリサイ派という二大派閥です。ここでは、パウロは自分がパリサイ人であることを強調します。(使徒23:6)ふたつの派の対立のポイントは、「復活と御使いと霊があるかないか」といったことです。(使徒23:8)パウロは自分がパリサイ人だと言えば、一時的にパリサイ派が自分の側に立って、サドカイ派の反発を抑えてくれるだろうと計算したのですが、そのとおりになりました。論争はますます激しさを増し、パウロは引き裂かれそうになったので、ローマの千人隊長によって救われました。

パウロが難を逃れたことは喜ばしいことで、作戦が功を奏したことも悪いことではないのですが、パウロは決して晴れ晴れした気持ちではなかったと思います。なぜなら、同胞にきちんと証出来なかったからです。準備していたメッセージが出来ないまま、言いたくもない皮肉を言い、相手の愚かさを利用して安全を確保したからです。
 そんなパウロの心中を一番よくご存じなのは主です。主はこのとき、御使いを通してではなく、ご自身自らがそばに立ってパウロを励ましてくださったことが書かれています。
 「その夜、主がパウロのそばに立って、『勇気を出しなさい。あなたはエルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない』と言われた。」(使徒23:11)
主はご自分の歩まれた道のりをパウロに追体験させながら、その体験の中で彼とともにいて、ご自身の福音の価値を教えていかれるのです。パウロにとって、自分の働きがどれだけの結果をもたらすかではなく、主のみこころの中にあるということが、確かな安息につながったことでしょう。主はパウロをただ伝道の道具としてお使いになったのではなく、主ご自身のおこころの理解者として、必要な経験を与えられたのだと思っています。パウロ自身も自分に与えられた導きをそのような主の愛を感じて受け止めていたことでしょう。
一夜明けると、ユダヤ人たちは徒党を組んで、パウロを殺してしまうまでは飲み食いしないとまで誓い合って憎しみを確かめあっています。もうここではサドカイ派もパリサイ派もなく、「パウロ憎し」で一致して新たな組織を立ち上げたわけです。彼らは普通に論争すればパウロに勝ち目がないことを知っているので、卑怯な手段で待ち伏せして殺そうとしますが、パウロの甥にあたる青年がその情報を伝えたので、パウロはここでもまたローマの護衛に守られてカイザリヤに逃れました。クラウデオ・ルシヤが総統ペリクスに当てた手紙の文面が書かれていますが、非常に常識的です。非常識なのは、みことばを手にしたユダヤ人の指導者たちです。

私たちは、この23章で起こっている出来事の中から、いったい何を学ぶべきでしょうか。ここで起こっていることは、イエスさまが十字架に追いやられていくプロセスと同じです。そして、これは2000年間ずっと世界のあちこちで起こり続け、今日も起こっている出来事と同じ構造を持っているのです。
 パウロが一瞬にして、そこに起こっている問題の本質を見て取ったように、私たちも自分たちの周辺で起こるさまざまな出来事をしっかり見定める目を持つことが期待されます。

現在のキリスト教会においても、カトリック・プロテスタント各派が、それぞれに教団の信条を守りつつ、活動を展開しています。「サドカイ派」「パリサイ派」とあるように、今日も「福音派」「聖霊派」をはじめ、数々の教団教派があります。別にそれら細かく比較して優劣をつけたところで意味がないし、全部それらは嘘っぱちですと言ってももっと意味がない。他者を批判することによって、自らの正当性を主張するのは、愚か者の手法ですから、別のかたちで考えましょう。
どんなグループに属していても、それは地上における一時的な有り様を表現しているに過ぎません。奈良に住んでいても、北海道に住んでいても、沖縄に住んでいても、みなひとつの天国に行き、ひとりの花嫁として迎えられるわけで、乱暴に言ってしまえば、所属教団や所属教会なんてどうでもいい話です。要するに、はっきり悔い改め、生まれかわって、主の御霊によってバプテスマされているかどうかということが、クリスチャンにとってアイデンティティーのすべてです。ところが、所属教団やその信仰のスタイルや教団内での地位に執拗にこだわるというのは、まさに、パウロ憎しの「パリサイ派」「サドカイ派」と同じレベル、同じ発想なのです。
どんな群れにも熱心な人と不熱心な人がいるでしょう。派閥で分けずに、違う分け方をして、本質に迫っていきたいと思います。そして、大事なことは間違いを批判することではなく、自分の立ち位置を確認することです。これがなければ、メッセージそのものが無意味になります。
サンデー・クリスチャンということばがあります。日曜日だけ礼拝に出かけその宗教的儀式や作法に習って一応自分を合わせる。しかし、教会を一歩出れば、そうした制約から解かれ、この世の人と全く同じ生活をする。このような人はこの世に完全に埋没し、クリスチャンとしての発信が出来ていません。仕事でも、近所づきあいでも、余興でも、何でも簡単に礼拝に優先します。「神の国とその義を絶対に第一にしない人たち」です。このタイプの人たちは、教会では教会の演じ方や言葉遣いがあるのでそれなりにこなし、この世でもそれなりにというか、むしろいっそういきいきとやっている場合があります。本人にとっても教会より世が楽しい。それでも教会に来るのは、教会に通うことが世においての何らかのプラスの効果を生んでいると考えるからです。しかしながら、みことばがまっすぐに語られている教会では、このスタイルは長く続けることは困難です。みことばは開かれても、隣人愛や寛容な態度などのこの世の道徳を繰り返し語るような教会であれば、この世とうまくバランスを保ちながら、一生でも二股かけてやっていけます。
同じサンデー・クリスチャンでも、逆の場合もあります。この世ではうまく自己実現出来ず、誰にも相手にしてもらえない。だから、教会に慰めを求めてやってくる。悪いのは自分でじゃなくて、自分を受け入れかったこの世。世は冷たい場所。教会だけがあたたかい私の家族。日曜日が楽しみで後はこの世で固まった状態。実際に、「モラルの社交場」になっている教会や、「病んだ人たちのたまり場」のようになっている教会はたくさんあります。
「そういう態度では、いずれも本当の信仰とは言えないのではないか」ということくらいは、信仰のない人にだってわかります。ローマの百人隊長レベルの普通の常識的な社会人なら、聖書なんか1ページも読まなくても理解できるわけです。要するに、はっきり言ってしまうと、そんな信仰なら教会なんかいかない方がまし、そんな教会なら存在しないほうがましだということです。

そこで、聖書を正しく読まずに、ムリに宗教心をかりたてるとどうなるか。自分の家族や所属する集団に対する責任を放棄しても、その集団の価値観やルールを守ろうとする教条主義になります。こうなると、自分たちの集団以外の価値観が許せなくなり、それら全てを否定しようとします。そして、おせっかいにも、その価値観こそ正義なのだとあちこちへ触れてまわるわけです。こういう人たちの振る舞いは、先に挙げた人たちとは比較にならないほど、迷惑この上ない非常識なものとなるのです。
例えば、ものすごくわかりやすい例を出せば、エホバの証人というグループの人たちが、「私たちは輸血をしません」「武道をさせません」というような選択をする場合です。なぜそんな愚かな判断が出来るのかと言えば、「それはみことばが禁じていているからだ」と言うわけです。こんなことを真面目な顔して主張するところに、まず議論は成立しません。エホバの証人を異端視する集まりでも、やれ「ホームスクールだ」となるわけです。どこのグループであろうが、人間の根本や思考のプロセスは同じです。

アメリカにはアーミッシュというクリスチャン集落があります。現代文明を拒絶して集落を形成しています。日本で言えば、白川郷の合掌造り集落で、年中もんぺはいて、いろりとランプで生活し、買い物に行かずに田畑耕して自給自足する感じです。それが正しい信仰のスタイルだと思い込んでいるわけです。アメリカはもともと国そのものが、巨大なアーミッシュみたいなもので、本国イギリスが気に食わない人たちが、祖国をエジプトに見立ててイクソダスし、先住民族を大量殺戮して建設した国です。ですから、ブッシュ政権が聖書に左手を置いて右手でアラブ人を殺しても、それは「エリコの戦い」で、自分たちはヨシュアなのだとけっこう本気で思っているわけです。
 ですから、たとえ聖書を読んでいても、その意味がわからなければ、それがどれほど小規模であっても、大規模であっても、人は必ず過ちを繰り返します。父なる神の御名を、イエスさまの御名を語って大嘘をつくのです。その挙げ句の果てが神の名を使った「正義の戦争」です。

キリスト教会の中では、この世でうまく自己実現することが出来ず、周囲に評価されなかったと感じるコンプレックスをエネルギーにして、キリスト教会という業界で人生のリベンジを狙って活躍しようとする人たちもいます。そういう人たちは、パウロのように、何の後ろ盾もないのに、自信と確信にあふれて語る人物は、その内容を聞くまでもなくその存在や態度が許せないわけです。
彼らの言い分は傑作です。「あなたは神の大祭司をののしるのか」(使徒23:4)しかも、大祭司本人は無言で、そばに立っていた付き人連中が気をつかって発言している。まるで出来損ないの水戸黄門です。

本来クリスチャンの日常は決して、この世と乖離したものであってはいけません。イエスさまのナザレでの日々を思ってください。別に伝道の大計画を立てる必要もありません。私たちもパウロのように、それぞれのエルサレムやローマで証する場面が必ずあります。そういう場面が与えられないクリスチャンはひとりもいません。いつでも心の中にある希望について弁明できるような日常を生きることが大切です。(Ⅰペテロ3:14~17)

2007年9月20日木曜日

9月16日 パウロの自由

今日のテキストは使徒22章ですが、22章はいきなりパウロの証の内容から始まっているので、パウロが話し始めるに至る経緯をふりかえりながら、前章からの流れの中で見ていきましょう。
さて、エルサレムに入ったパウロは、イエスさまを受け入れたユダヤ人の兄弟たちのつまずきを回避するために、長老たちの勧めを受け入れ、あえて律法を守る姿を示そうとしました。ところが、異邦人を宮に連れ込んだと誤解したユダヤ人たちは、パウロを殺そうとして殺到しました。
この記事のポイントは、パウロの持っていたキリストにある自由と、宗教で凝り固まっていたユダヤ人たちの不自由です。パウロは主にあって、律法から解放されて、キリストにある真の自由を獲得していましたが、ユダヤ人たちは、自分たちの立場と主張を守るために予断と偏見に心を支配されていました。そのような凝り固まった人間に宿るのは、敵意と憎しみです。信仰の問題で立場の対立する人たちの言い分を聞く必要はあまりありません。激しい敵意や憎しみを持っている人たちが主の側にいないことだけは確かです。
証の中で語っているように、パウロもかつては、律法による義を追い求めていまいしたが、イエスさまとの出会いによって、それを守ることによっては、神の望まれる義には到底達し得ないことを教えるためのものであると理解するに至りました。(Ⅰテモテ1:8~10)律法は、人の罪と契約違反を明らかにし、福音の必要を教えるためのものなのです。
「割礼を受けているかいないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。どうか、この基準に従って進む人々すなわち神のイスラエルの上に、平安とあわれみがありますように。」(ガラテヤ6:15~16)いうことばに見られるように、新しい創造の基準に従って進むことだけが、パウロの指針でした。もはや、パウロにとっては、生まれながらのユダヤ人が神のイスラエルなのではなく、ユダヤ人も異邦人も関係なく、新しく創造された民こそが神のイスラエルだったのです。

パウロは興奮したユダヤ人の群衆に殺されそうになったところをローマ兵によって助けられます。階段付近では、パウロの命の危険を感じたローマ兵たちが彼をかつぎあげることによって救い出したのです。(使徒21:30~36)
もしローマ兵たちの機転がなければ、パウロは群衆の勢いで圧死していたかも知れません。これはとても不思議なことです。最も厳格に律法を守り続けてきたパウロが、律法を軽んじるという理由で、本来同胞であるユダヤ人たちから殺されそうになり、逆にローマ兵がパウロのいのちを救いだすことに手を貸し、さらに千人隊長は階段上から証の機会を与えてくれたのです。(使徒21:39~40)
主は、ユダヤ人の主であるだけでなく、ローマ人にとっても主なのです。ローマ人が主を知らなくても、主はローマ人を知り、彼らを用いパウロを救い出されるのです。全世界を創造された神は、神を信じてもいないし意識もしていない人々や環境をどのようにでもお用いになります。
例えば、エジプトの奴隷とされることも、解放されることも、アッシリアやバビロンに捕集されたことも、この時代のローマとの関係も、近年ではナチスに迫害されたことも、全てはユダヤ人たちの信仰とリンクしています。異邦人世界の指導者は、自分の思いのままにやりたいことをしているだけですが、その政策や判断は、主の許しと計画の中で動いているわけです。

少し話題がそれますが、BBSでmeekさんが、ホームスクールの是非について一石を投じてくださっています。これは興味深い重要なトピックなので、関連して少しだけ触れておきたいと思います。
教会関係者の中には、「クリスチャンの子弟は、普通の学校に通わせてはよからぬ影響を受けて堕落するので、ホームスクールで教育するべきだ」と考える人たちが少なからずいます。私はモーセやヨセフを例にあげて、「彼らは世で学んだではないか」と当然のように書きました。すると、同じモーセやヨセフを例にあげて、「彼らは世に送られる前に、幼少期にユダヤ人である母や父のもとで信仰の訓練を受けたではないか。だからこそホームスクールが大切だ」と主張する人たちがいることを教えてくださいました。
モーセやヨセフの親たちが信仰を伝えたことは言うまでもないことであり、それこそが、彼らのアイデンティティーになるわけです。しかし、それは世が与える影響とのバランスの問題であって、彼らが幼少期を親とともに過ごしたことが、即ホームスクールにつながるという発想は、極めて短絡であり、「はじめに自分の主張ありき」の間違った解釈です。

 考えてみてください。自分たちが隔離しなければならないほど軽蔑しているフィールドで育った人たちを、心から尊敬して何か意味のあることを伝えられるでしょうか。イエスさまは、その人としての人生のほとんどをナザレで過ごされました。ラビとしての専門教育を全く受けられませんでした。イエスさまが進んで受けられたのは、専門教育ではなく、荒野での誘惑やヨハネのバプテスマでした。しかも、アダムのようにいきなり成人としてこの世に来られたのではありません。わざわざ赤ん坊から、普通の人々に埋もれて、全く普通に過ごされたのはなぜでしょうか。
 それはイエスさまが罪人の普通の生活を知るためです。その汗と涙を苦労と悲しみと体験するためです。主が私たちと同じであることを必要とされたのなら、主のみこころを歩もうとする者が、どうして特別な道を準備しようとするのでしょうか。イエスさまが人となられたことの意味に対して目が開かれているなら、クリスチャン子弟を、世の悪影響などという軽薄な理由で隔離してしまうことがどれほど愚かなことであるかわかるはずです。
  さらに、モーセやヨセフの時代も、イエスさまの時代も、学校教育制度なんてないわけです。つまり、家庭や地域がすべてだったわけですね。ホームスクールなどというのは、不適応者のアンチテーゼじゃないですか。全くお話にもならないと私は思います。このような選択は、子どもの教育だけの問題ではありません。子どもに望むことの中には、親の隠された本音があります。

 そういう価値観がパウロのような真の自由人に向かって、怒り狂って叫ばせるのでしょう。自分の立場や習慣を絶対とし、相手を見下して上からモノを言い、文化侵略を行って来たのです。そのような力づくの宣教を行い、宗教としてのキリスト教を拡大してきたわけです。その結果、どれほど大きな教会が建ち、大勢の人がライフスタイルを変えたとしても、それは何の意味もないこの世の流行のひとつにすぎません。
 
パウロは、今自分を殺そうとした人々に向かって話し始めます。パウロは激しく自分を憎み、襲いかかってきた彼らに対して、「兄弟たち、父たち」(使徒22:3)と語りかけます。そして、自分が体験したことをありのまま、子どものような素朴さで証するのです。そこには、何の装飾もなく、解説もありません。ユダヤ人たちは、しばらく黙ってパウロの話を聞いていましたが、異邦人の救いに話が及ぶと、殺気だってパウロのことばを遮りました。パウロの真実な証も彼らの心には全く届きませんでした。パウロはユダヤ人に敵意はありません。敵意を持っているのはユダヤ人たちのほうです。
千人隊長は、なぜユダヤ人の群衆がパウロをこれほどに憎むのか理解できず、兵営の中に引き入れてむち打って調べるために、パウロを縛りました。
そのときパウロは、「ローマ市民である者を裁判もかけずにむち打ってよいのですか。」(使徒22:25)とパウロのそばに立っている百人隊長に言いました。百人隊長は驚いて千人隊長に報告しましたが、さらに驚いたのは千人隊長でした。なぜなら、この千人隊長は大金を出して、この市民権を得たのですが、パウロは生まれながらにローマの市民権を持っていたからです。
ローマの市民権は、ローマの長い歴史の中で、それぞれの時代にさまざまな意味合いを持ちます。市民権は、はじめはローマの居住者に限られていました。それが領土の拡大にともなってローマ居住者以外でも、有力者には市民権が与えられるようになり、やがては奴隷ではない自由人すべてに与えられるようになります。パウロが生きた時代は、市民権が最も特権であった時代で、千人隊長のことばにあるように、お金で売り買いするほどの価値があったわけです。

パウロは、ここで自分がローマの市民権を持っていることを主張し、結果として難を逃れます。しかし、パウロはもちろんそのことにプライドを持っていたわけでもなく、単に苦しみを回避するために、そのカードを使ったわけではないと思います。おそらくパウロはさらに大きな証の機会を狙っていたのでしょう。パウロはここでも自分に与えられた賜物や立場を自由に用いているわけです。決してそれにより頼んでいるわけではないけれど、冷静に自分に与えられているものを利用するという態度には教えられます。
パウロは自分が生まれながらのローマ市民であることなど、別に誇りだとも特権だとも思っていません。でも、その事実を百人隊長に告げれば、どういう展開になるかは計算できるのです。これは、重要な主にある信仰の処世術のひとつです。主は無駄に私たちに与えているものは何もないと思うのです。
しかし、間違えないでください。情けないのは、信仰があっても神の子とされた価値やキリストの花嫁とされた恵みがわからず、「ローマ市民」に代表されるような、この世の特権や満足を得ようとする本末転倒の態度です。
学びたいのは、ユダヤ人にはユダヤ人に対して、ローマ人にはローマ人に対して柔軟に自分を合わせながら、それでも全く信仰のブレを起こさないパウロの姿です。このパウロが持っていたキリストにある自由こそ、信仰に生きるものにとって、最も大切なものです。(Ⅰコリント9:19~23)

心が善悪に縛られると、自分が与えられているものを、与えられていないかのように振る舞ったり、変な遠慮やこだわりが邪魔して、出来ることをあえて控えたりしてしまうことが多くなります。しかし、私たちが持っているものは、はじめから全て主のものであり、与えられたもの以外は何も持っていないわけだから、立場であれ、時間であれ、お金であれ、能力であれ、主のためなら、何でも自由に使うべきなのです。キリストを得て、その価値を知ったなら、私に属するものはすべてちりあくたであるとわかります。神の絶対の前では全てが無です。しかし、パウロの与えられたものは、世において相対化すれば、ものすごい力と影響力です。これを主にあって正しく用いるべきなのです。(ピリピ3:8~15)私たちが歩んで来た道、与えられている能力、培われてきた性質、人間関係、これらをすべて主に委ね、ひたむきに前のものに向かって進みましょう。

9月9日 主のみこころのままに

今日はかなり繊細で深いテーマに迫ってお話します。注意深くみことばをひもとき、学んでまいりましょう。
「私たちは弟子たちを見つけ出して、そこに7日間滞在した。彼らは御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した。」(使徒21:4)と書かれています。
「しきりに」と書いてあるので、おそらくパウロたちが滞在していた7日間の間に何度もツロにいた兄弟たちは、「エルサレムには行くべきではない」と勧めたのでしょう。勿論それはパウロの身を案じての心からの忠告です。見送りの場面を見ても、家の玄関先で別れたのではありません。妻や子どもたちも町はずれまで一緒についてきてパウロたちとの別れを惜しんでいます。そして海岸にひざまずいて祈っているのです。(使徒21:5)そんな様子からも、彼らの交わりの親しさと、信仰の豊かさが伺えます。そういう親しい兄弟たちが心から自分のことを心配して、繰り返し忠告してくれていたのです。単に主張がぶつかって、どちらがより正しいかなどという話ではないことがわかります。

 ツロを出たパウロたち一行はトレマイに渡りました。そして、翌日にはカイザリヤに着き、ピリポの家に滞在しています。そこへアガボという預言者がユダヤからやって来たのでした。アガボは、パウロの帯をとって自分のからだまで縛って見せて、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人にこんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される』と聖霊がお告げになっています」と伝えました。(使徒21:11)エルサレムの方角からわざわざこの預言のために下って来た人物の、パフォーマンスつきの具体的な預言です。それを聞いたカイザリヤの兄弟たちも、ルカをはじめパウロの同行者たちも、黙っていられなくなり、ともにパウロがエルサレムに上らないように頼みました。
 ツロでは「忠告」でした。その主体は「彼ら」すなわち現地の兄弟たちです。ところがカイザリヤでの場合は涙ながらの「懇願」です。その主体は「私たち」すなわちパウロと旅をともにしてきた兄弟たちです。
 当然、パウロの気持ちも揺れたはずです。先ほども触れたように、単なる反対意見やおせっかいではありません。パウロの性格や気持ち、そしてその信仰を尊敬している兄弟たちが心から止めてくれているわけです。しかし、パウロは力強く次のように答えました。
「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています。」(使徒21:13)
 パウロは忠告や懇願の中身を十分に理解し、彼らの優しい気持ちもくみ取ってもなお聞き入れませんでした。兄弟たちはパウロの固い決意を感じてそれ以上のことばもなく、「主のみこころのままに」と言って黙ってしまいました。
では、この場合の「主のみこころ」とは何でしょう。パウロがエルサレムに上ることは主のみこころに反しているのでしょうか。
「エルサレムへは上るべきではない」と主張した兄弟たちは、いずれも一時の感情でそう言ったのではありません。「御霊に示され」(使徒21:4)あるいは、「聖霊のお告げを受けて」(使徒21:11)自分のことばではないことばを語ったのです。言わば、彼らは「主のみこころを代弁した」のではないのでしょうか。
しかし、パウロはそれを受け入れませんでした。ではパウロは主のみこころに逆らったのでしょうか。どうやらそれも違うようです。パウロはパウロで、もっと明確な啓示を既に繰り返しいただいていたからです。
「いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。ただわかっているのは、聖霊がどの町でもはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。」(使徒20:22~23)
この「心を縛られて」という表現は、欄外の脚注をご覧いただくと、別訳として「聖霊に縛られて」となっています。
パウロは、自分に忠告し懇願してくれる兄弟たち以上に、自分の身にふりかかる危険や苦しみを予見していました。聖霊は同じことを何度も繰り返して、町から町へ移動するごとに、パウロに教えたのです。当然、パウロだって好き好んで苦難の道を進んでいくわけではありません。パウロは自分の考えや決意に縛られていたのではありません。聖霊に縛られていたのです。それはふりかかる苦しみを承知の上で引き受けようとするさらに大いなる力です。パウロはおそらく普通の人よりも遙かに意思が強く勇気のある人だったに違いありません。しかしこの決意は、パウロの意思の強さや人間的な勇気がもたらしたものではありません。別の次元の力がパウロを支えているのです。

繰り返して確認しますが、だからと言って、パウロ以外の兄弟たちが示されたもの、感じたこと、彼らの忠告や懇願が間違ったものだったのか、よけいなおせっかいや惑わしだったのかと言えば、そうではありません。それを示したのも、また聖霊なのです。
それぞれの兄弟たちには、それぞれの分や役割があり、理解の程度も違います。しかし、それぞれに主を愛し、主につながる兄弟を愛しています。誰もが主のみこころの中を歩みたいと願っているのです。主はその必要に応じ、さまざまな場面で、それぞれにご自身のみこころを示されます。それを受け止め、与えられた自由によって、判断し行動するのは私たちのひとりひとりの責任によるところです。
私はこの点については、次のように考えています。
例えば、ある出来事に関して意見が分かれた場合、ひとつの意見だけが正しく、他は全部間違いだとか、ひとりの人だけが100パーセント正しく、他の者の判断や行動は全てにおいてその人よりも下位に置かれるなどということはないと思っています。私が知って経験してきた限りにおいては、そう断言できます。
パウロが考えている「走るべき行程」は、十字架の向こうに続く道です。前回お話した「あなた」と「私」の走るべき行程も同じです。その道は、十字架の向こう側にしかないのです。競技場のラインは死の向こう側に引かれています。死を経ていないものはすべて偽物です。よみがえりのいのちによって導かれたのでないなら、それはこの世でいかに成功したかのように見えても、どのような高い評価を受けようとも、それはこの世限りのものです。主が喜んでくださる御霊の実ではありません。

パウロだって何も好きこのんで苦難の道を進みたいわけではありません。パウロは自分の走るべき行程の困難を理解していますが、それを見てはいません。パウロが見ているのは、さらに困難な道を既に克服してくださった御方の姿であり、ゴールで待っていてくださるこの御方の笑顔なのです。これが、単純ですが、人間的な宗教といのちの信仰との決定的な違いです。多くの人は自分の「道」にこだわります。パウロが見ていたのは、道の向こう、ゴールであり「決勝点」です。だから、パウロはこう言ったのです。「私は決勝点がどこかわからないような走り方をしてはいません。」(Ⅰコリント9:26)
迷うとき、悩むとき、落ち込むとき、私たちは決勝点を忘れています。道を見ているのです。自分の道は間違っていないだろうか。本当にこれでよかったのだろうか。祝福されるだろうか。災いに合わないだろうか。多くの困難や度重なる失敗の中で、「なぜ」「何のために」「何を目指して」歩き始めたのかを完全に忘れてしまうのです。
「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちもいっさいの重荷とまとわりつく罪とを捨てて、
私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスはご自分の前に置かれた喜びのゆえにはずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」(ヘブル12:1~2)
 ここでも、競争を走り続ける際に最も大事なことは、イエスから目を離さないことだと教えられています。

 兄弟たちが示されたことも、パウロが示されたことも、共通していました。それはエルサレムに上ればパウロは苦しみに合うというものでした。兄弟たちは、パウロが苦しみに合って欲しくないと思いました。パウロは、たとえ苦しみに合ってもさらに福音を前進させたいと考えたのです。
では、さらに進んで考えてみると、パウロの判断が主にとってさらに喜ばしいものであるとするなら、みこころを示されてもパウロのようには判断できないであろう周辺の兄弟たちに、なぜ、繰り返して、パウロの身に起こる出来事を示されたのでしょうか。エルサレムでのパウロの苦しみを予見できる御方が、そのことを兄弟たちに伝えれば、結果としてパウロの後ろ髪を引くような反応を示すことを予見できないのでしょうか。
私はパウロに「エルサレムへは行ってくれるな」と忠告し懇願した兄弟たちの思いも、主の偽らざるみこころの一部だと感じています。主が、私たちの進む行程において、あえて私たちに苦しみに合わせるとき、それは主にとっても非常につらく悲しいことなのです。それが愛です。
 主はパウロには示すことのできない、もうひとつのみこころを周辺の弟子たちに十分にお伝えになりたかったのではないでしょうか。
 アブラハムにソドムとゴモラの町のさばきをお知らせになったとき、一番その町に正しい人がいることを期待しておられたのは誰ですか。その町全部を救うことができたらと願っておられたのは誰ですか。ニネベの町についてはどうですか。ヨナは偶像を拝む、拝まないといった「信仰の正しさ」でものを見ていましたが、さまざまな経験を経る中で、神さまのみこころの深さと愛を学んでいくのです。それは魚の腹の中での十字架の死を学んだからです。神のみこころの一番深いところを流れているものは愛です。

 罪のないイエスさまが、十字架を選ぶ道行きには、葛藤があり、苦しみがありました。それがゲツセマネです。
 イエスさまの祈りはどんなものだったでしょう。
 「父よ。みこころならば、この杯を取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」(ルカ22:42)
 「わたしの願い」はいつだって御父とひとつでありたいというものです。当然、十字架になど架かりたくはないのです。それは偽らざる御子の思いです。しかし、十字架に架かるためにこそ、お生まれになり、人としての御生涯を生き抜いて下さり、みことばのとおりをここまで歩んで来られたイエスさまです。これから、十字架に架かることこそが、走るべき行程の最終章であることは、百も承知のはずです。そして、御父もこの従順で真実ひとり子に極限の苦しみを負わせて見捨てるということなど出来ることではありません。「これは私の愛する子、わたしはこれを喜ぶ」これこそ、御父の御子イエスへの評価の全てです。また、だからこそこの御子を罪を贖い得る唯一の御方として、十字架に架けるために、この世に遣わされたです。

父なる神もまた、御子が忠実で素晴らしいあゆみをされればされるほど、この方を罪ある者として罰するにはしのびないのです。そんなご自分を裁きがたい御父の思いさえ察する御子であるが故に、ただ自分が苦痛を回避したいと願う以上の深い祈り、それが「みこころのとおりに」の意味です。
十字架というのは、そもそも御父にとっても御子にとっても、ともに「選ばなくてもいい選択」なのです。あえてそれを選んでくださったからこそ、十字架は全てのものにまして価値あるものなのです。だからこそ、人が何一つ付け足す必要のない、付け足すことができない完全な救いなのです。主のみこころは、すべてこの十字架を通ります。

2007年9月6日木曜日

9月2日 走るべき行程


今日は「走るべき行程」というタイトルをつけました。世界陸上の影響も少しあるかも知れません。私はスポーツが好きなので、ついつい気になってチェックしていました。同じ走る競技でも、スタートラインに並んだ時点で、その種目ごとに体型まで違います。短距離には短距離の、長距離には長距離の適性やトレーニングの仕方や戦術があります。実力だけでなく、本人の体調や心理状態、天候や会場のコンディションも影響しますし、レースそのもののさまざまな駆け引きが勝敗を分けます。そして、アスリートたちは1秒でも早くゴールするために、日々の厳しい練習に耐え、レースに全神経を集中します。その真剣な姿が、見る者を引きつけるのです。素人がたとえ同じ距離を、おなかをたぷたぷさせて走っても、誰も感動など覚えないでしょう。やはり鍛え抜いた人たちが、与えられた力を極限まで発揮する姿が、人の心を動かすのです。
使徒の働きの9章以降は、パウロに関する記事が大半を占めます。読み手もついついパウロの旅路に同行するような気持ちで読み進んでしまいます。パウロの超人的な働きの背景には、勿論彼の個人的な能力の高さや、特別に与えられた役割があります。しかしながら、何度も繰り返し言っているように、それは主がともにおられたからこそ成し得たことであり、多くの不思議やしるしも主がパウロを通して行われたことでした。そして、私たちが一番心を動かされるのは、パウロの賜物や働きの大きさではありません。私たちがパウロに心ひかれるのは、その真摯な信仰の姿勢や、イエスさまに対する愛に対してではないでしょうか。パウロは自分の与えられたものすべてを使い尽くすように、限界まで努力奮闘しました。それは世界の頂点を競い合うアスリートの姿とも似ているのです。パウロ自身はこのように語っています。「肉体の鍛錬もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。このことは真実であり、そのまま受け入れるに値することばです。私たちはそのために労し、また苦心しているのです。それは、すべての人々、ことに信じる人々の救い主である、生ける神に望みを置いているからです。」(Ⅰテモテ4:8~11)パウロが目指したものは、肉体の鍛錬以上のものでした。パウロは体を鍛えることが無益だと言っているのではなく、もっと有益なものを追求せよと勧めているのです。それは生ける神にのみ望みを置き、キリストのために労することです。アスリートたちが、五体満足、意気軒昂に実力を競いあえること自体が、大きな神様の恵みなわけですが、私たちもキリストの苦しみを賜ったことは恵みなのです。彼らは非常に努力しています。同じように、私たちにも努力が必要です。それは、名を上げ、自分の栄光を求める肉の努力ではありません。神の御名があがめられることを求め、神の栄光を求めるあゆみです。
さらにパウロは、「私がキリストを見習っているように見習って欲しい」(Ⅰコリント11:1)と語っていますが、まさに私たちが学ぶべきポイントはそこにあります。呪術師がパウロのわざや権威をまねようとしたように、うわべだけを見ていい格好をしたい人はたくさんいますが、私たちが見習うべきところはそんなことではないのです。パウロがここで語っている「走るべき行程」とは、単に伝道旅行のことではなく、「主に委ねられたことの全体」を指しています。パウロはそれを全うできたかどうかを自問しているわけです。
パウロはダマスコの途上で、よみがえられたイエスさまに出会うまでは、それこそ、レース場を全速力で逆走するような、あるいは、レースそのものを妨害するような生き方をしていました。信仰がなければ、この競技場も見えないし、競技のルールもわかないし、その戦いの意味も、それによってもたらされる栄誉もわかりません。この世の人には、私たちが何を礼拝し、何のために生きているのかわからないのです。
みなさんに聞きます。あなたは何を主に委ねられましたか。あなたのレースはどんなレースですか。また、自分はアスリートであるという自覚があるでしょうか。残念ながら、そんな自覚の乏しい方や備えやトレーニング不足の方も多いのではないかと思います。それでは駄目なんです。勿論、パウロは「特別な人」ですが、同じように、私たちひとりひとりも「特別な人」です。パウロに彼の「走るべき行程」が備えられていたことは疑う余地がありません。そして、パウロがその行程を忠実に歩んで来たことも、「使徒の働き」に見るとおりです。私たちはどうでしょうか。私たちには私たちの「走るべき行程」があるのです。もっと責任を明確にするために、「私たち」と言うのはやめて、「私」には「私」の、「あなた」に「あなた」のと言い換えましょう。あなたの行程はあなただけのものであり、そこには責任があります。それは非常に重い責任です。真理は私たちを自由にしました。そうです。自由です。この自由ということほど尊い価値は他にありません。私たちは罪の奴隷でした。しかし、今は自由なのです。この空中の権威者の下にいました。しかし、今はキリストの自由を得たのです。自由には責任が伴います。パウロにこう言っています。「私は、すべての人が受けるさばきについて責任がありません」(使徒20:26)です。パウロは「すべての人に対して負債を負っている」と言うふうに考えていました。(ローマ1:14)「福音を伝えることはどうしてもしなければならないことで、それをしなければ災いに会う」とさえ言っています。(Ⅰコリント9:1~18)このⅠコリントの9章では、パウロは、神の恵みのもとでの人の努力について、さらに、自由について、権利について、誇りについて語っています。私たちは、それをどう読めばいいのでしょうか。あなたは、その信仰の道のりのどのあたりにいて、さしあたって次に何をすべきなのですか。このⅠコリント9章の後半では、パウロは、いみじくも、陸上競技を信仰に喩えて書いています。
同じ陸上競技の中でも、マラソンは2時間以上走らないと結果が出ませんが、100メートル走なら息をとめて10秒と少しで結果が出ます。あなたの参加種目は何ですか。自分が何を主から委ねられ、どのように自分を鍛え、どのような心構えで、日々過ごすべきなのかという自覚がないのは困ったことです。 救われた以上、主から「何も委ねられない」ということはありません。いのちが与えられ、家族に加えられたなら、お互いがその中で役割を果たすべきです。言い換えれば、信仰に観客はいないのです。全員がアスリートであり、競技参加者です。しかも、パウロの表現から伺えるのは、タラタラ楽しく走る市民レースではなく、勝利を目指した真剣勝負です。失格は何としても避けたいものです。
 動機付けは何でしょう。世界陸上であれば、自分のため、家族やチームのため、あるいは国家のために走るでしょう。ある競技では、ケニアが金・銀・銅と独占して、3人で国旗を掲げながら、走っている姿はけっこう胸が熱くなりました。私たちの場合はどうでしょうか。「神がご自身の血をもって買い取られた神の教会」(使徒20:28)という教会に支払われた価値の大きさを知ることが原動力になるのです。肉の目で「教会」を見ていては、意欲などわかないでしょう。「支払われた代価」を通して教会を見つめるとき、主の愛が私たちを突き抜けて他の兄弟姉妹に及ぶようになるのです。この買い取るというギリシャ語は贖いを意味しています。ただ「買う」のではなく、「獲得する」「自分のものにする」という強い意味があるのです。「買い取られた」は完了形になっています。継続や繰り返しはないのです。それは、ただ一度過去に起こった行為、つまり十字架で流された血潮によって獲得されたのです。(エペソ1:7) さらにこのことばに後に続くのは何でしょうか。「・・・を牧させるために、あなたがたを群れの監督としてお立てになったのです。」(使徒20:28) その価値ある教会を牧するリーダーをお立てになったのは聖霊です。 教会における人事を行われるのは聖霊なのです。すべてを導かれるのは、人ではなく聖霊です。パウロは教会における聖霊の主権を宣言した直後に、起こりうる問題についても語っています。「私が出発した後、凶暴な狼があなたがたの中に入り込んで、群れを荒らし回ることを、私は知っています。あなたがたの中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。」(使徒20:29~30) これは、パウロが聖霊によって知っていた彼らの未来に関する予言でした。パウロはその危険を承知していたので、涙とともにひとりひとりを訓戒してきたのです。そのエッセンスが32節です。「いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」(使徒20:32)
みことばが、私たちを育成するのです。みことばが御国を継がせるのです。みことばが私たちの唯一の武器です。やり投げの選手がやりを持たずに競技に参加できますか。ハンマー投げの選手がハンマーを持たずに競技に参加できますか。クリスチャンがみことばなしで、どうやって競技で戦うのですか。
みことばに養われていない人は、何年教会に集っても、洗礼を受けても、失格者であり、公式記録なしです。
今日のメッセージを、決して人間的にとらえないでください。もう一度ご自分でみことばを読み、主から直接教えられてください。それぞれに必要な語りかけをお聞きになると思います。

8月26日 エペソでの出来事

アポロが去った後、パウロはエペソにやって来ました。そこで12人ほどの小さな群れと出会います。この箇所の記述を巡るある種の解釈は、大きな問題を生み出しています。サタンは、「聖霊が信じた者への第二の恵みとして、信じてから後に与えられるのだ」という印象を与えようとして働きましたが、聖霊は、決してそんな偽りにはアーメンさせたりしません。慎重に学び、何が正しいかを見極め、自分のものにしてください。信仰のステップとして、「信じて時間を置いてから後に」聖霊が与えられ異言や預言を語るというのは、真っ赤な嘘です。
ひとつ誰でも思いつき、そして答えられそうな簡単な質問をしてみます。パウロはなぜこの12人に「信じたとき、聖霊を受けましたか」という質問をする必要があったのでしょうか。こういうことを考えながら読むことはとても大事なことです。この箇所に限らず、聖書を読んでいても、この種の普通の疑問を持たずに読み流し、特有の解釈を押しつけられ、信じ込まされていることが非常に多いからです。私のメッセージに関しても同じことで、所詮人間がやっていることですから、いつも正しいことを語っているかどうかは怪しいものです。「ああそういう意味だったんですか」ではなく、一緒に考え、一緒にみことばを検証して欲しいのです。あの賞賛されていたベレヤのユダヤ人たちのように、「果たしてそのとおりかどうかを毎日調べて」欲しいのです。改めて考えましょう。パウロはなぜこの12人に「信じたとき、聖霊を受けましたか」という質問をする必要があったのでしょうか。パウロはいろんな町々をめぐって、福音を語り、信じた人たちを励まし続けていますが、そこかしこで出会う人たちに同じ質問をしたと思いますか。
ごく普通に考えて、パウロはこの弟子を自称する12人に、聖霊の働きを感じなかったから、そう尋ねたのだと考えられます。彼らには、禁欲的、律法的な物事に対する真剣さはあっても、喜びや自由など、いのちがもたらすキリストの香りが感じられなかったのです。パウロの見立ては当たっていました。「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」(使徒19:2)とその弟子たちは答えています。彼らは知識としても経験としても、聖霊を知らなかったのです。なぜなら、彼らはヨハネのバプテスマしか受けていなかったからです。ヨハネの授けたバプテスマは「悔い改めのバプテスマ」であって、「キリストの死にあずかるバプテスマ」ではありませんでした。(ローマ6:3~4)ここに旧約時代の終わりと、新約時代の始まりの明確な区分があります。預言者はヨハネまで、それ以降は教会の時代です。なぜそうなのかはわかりませんが、主がそうお決めになっているのです。ヨシュアとカレブはカナンの地に入りましたが、出エジプトの最大の功労者モーセにはそれが許されませんでした。旧約の時代の王でも預言者でも、彼らにとどまった主の霊は一時的なものであり、永遠に彼らの中に留まるという約束などありませんでした。しかし、新約時代に与えられる救いは、神の子どもとしての特権であり、御国を受け継ぐことの保障として聖霊が与えられるというものです。これは、旧約の時代には考えられないほど大きな恵みです。誰も思いつきもしないし、仮に思いついたとしても、口に出して願うことさえはばかるほどの畏れおおいことです。
「あなたがたに言いますが、女から生まれた者の中でヨハネよりもすぐれた人はひとりもいません。しかし、神の国で一番小さい者でも彼より優れています。」(ルカ7:28)とイエスさまは言われました。私たちは神の国で一番小さい者の集まりかもしれません。しかし、それでもバプテスマのヨハネより偉大なのです。ヨハネ本人も、そのことをよく自覚してこう言っています。「花嫁を迎えるのは、花婿です。花婿のことばに耳を傾けている友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。それで、私もその喜びで満たされているのです。あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」(ヨハネ3:29)ヨハネとは花婿の友人であり、花嫁は私たち教会です。この明確な違いがわかりますか。これは感覚の問題ではなく、教理の問題でもなく、いのちの問題であり、福音の根本に関わることです。応用や発展ではなく、土台であり、基礎の部分です。
「この救いについては、あなたがたに対する恵みについて預言した預言者たちも、熱心に尋ね、細かく調べました。彼らは自分たちのうちにおられるキリストの御霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光を前もってあかしされたとき、だれを、またどのような時をさして言われたのかを調べたのです。彼らはそのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました。そして、今や、それらのことは、天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人々を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです。」(Ⅰペテロ1:10~12)
もう少し、苦く厳しい指摘をしておきましょう。今日の多くの教会はこのヨハネのバプテスマしか知らない段階で止まっているのではなく、ヨハネのバプテスマさえ知らないし、知らないから教えないところが多いのです。「悔い改めずに信じよう。あなたは愛されるために生まれた。ありのまま、そのままなのあなたでいい。信じれば、神様はあなたの一生を良いもので満たし、すべてのことが益となるのです。さあ預言だ。異言だ。祝福だ。リバイバルだ。」って・・・・こんなの嘘でしょう。ヨハネの教えたことがベースにあって、さらにイエスの死にあずかるバプテスマです。そうでなければ、なぜ福音書はヨハネから始まるのですか。イエスさまがあえて公生涯のはじめにヨハネのバプテスマを受けたのですか。このふたつのバプテスマの違いを理解せず、間違ったかたちをいのちの信仰だと思いこむことは悲惨な結果を招きます。だから、イエスさまは、「古い皮袋に新しいぶどう酒を入れると、皮袋も裂けるし、ぶどう酒も流れ出てともに駄目になる」と言われたのです。(マタイ9:17)
この12人とのやりとりの後、パウロは、会堂で3ヶ月、ツラノの講堂で2年間教えました。この間、パウロを通して驚くべき奇跡がいろいろとおこりました。その現象を見たユダヤ人の魔除け祈祷師のある者たちが、イエスの御名を使ったエピソードが出てきます。このときの悪霊の答えがおかしいですね。「自分は、イエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどおまえたちは何者だ。」(使徒19:15)
この様子が伝わって、聞く者に恐れが生じ、イエスの御名をあがめるようになったと書かれています。多くの人々が自分のしていることをさらけ出して告白し、魔術などに関する多くの書物を焼いて、はっきり過去を断ち切ったのです。(使徒19:18~19)
この箇所を先ほどの文脈の流れの中で読んでくれば、何が大事なのか、そのポイントを読み違えることなど、まずないはずです。ルカは事実を記録しているにすぎませんが、その意図は明確です。では、馬鹿らしさをこらえつつ質問します。聖書は、不思議な現象や力を追い求めることを勧めていますか。それとも、イエスの御名を恐れ、罪を告白して、過去を断ち切ることを勧めていますか。
書かれた意図を曲解する人々は、みことばの教えに耳を傾ける前に、自分たちの主張や教理が強く存在しています。それが邪魔になって、何と義務教育レベルの国語力を失ってしまっているのです。
さらに、宗教が金儲けと一体になっている様子も描かれています。アルテミス神殿の銀細工は、それで商売する人たちの懐を潤していました。御利益に預かりたい人々の欲望と、そんな宗教グッズを販売して利益を得たい人たちがお互いの欲望を金で交換して繁栄させた町それがエペソです。そんな町にとって、「人の手が造ったようなものは神ではない」と発言するパウロは迷惑千万でした。エペソは大混乱に陥ります。町中が大騒ぎになり、何が原因で騒いでいるのかわからないまま騒ぐ人まで現れます。ルカはそんな様子や群衆の心理を巧みに描いています。この混沌とした状況を見事な政治的手腕で鎮圧する人物が出てきます。エペソの町の書記役にあたる人物です。彼は問題点を整理して、集会を解散させることに成功します。これは非常に良いことのようにも思えますが、あながちそうとも言えません。実はこういう存在は、銀細工人以上に警戒が必要です。福音を是認するかに見える人々の合理的政策が、信仰を骨抜きにする可能性は大いにあります。書記役の発言や決定は、パウロのことばに感動し、そのメッセージを受け入れたためではなく、ただ町の治安を維持するためのものです。信仰のない人々の政策の中に教会の活動が抱き込まれていくことは、非常に危険です。信仰は、政治や経済とは決して並び立つものではありません。私たちはそのことを肝に銘じる必要があるでしょう。使徒19章は、「聖霊の名を借りたパフォーマンス」「しるしや不思議に惑わされること」「お金を集める宗教の愚かさ」「群集心理や政治と信仰」といった今日的なテーマに関して、極めて鋭く深い示唆を与えてくれる箇所だと言えます。
パウロは、このエペソの教会に対して、手紙の中で、この世を支配する霊的な力や流れについて、またそれに立ち向かう方法について述べていますが、それは、このような背景をもとに書かれていることを覚えてください。
「あなたがたは自分の罪過と罪の中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながらに御怒りを受けるべき子らでした。」(エペソ2:1~3)
「悪魔の策略に対して、立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また天にいるもろもろの悪霊たちに対するものです。」(エペソ6:10~12)

2007年8月27日月曜日

サマーキャンプ 子どもたちへのメッセージ 「あなたはどこにいるのか」

「あなたはどこにいるのか」
教会の子どもたちもずいぶん成長しました。今日集まったメンバーの中には、身長も親を追い越した子もいます。そして、電車に乗っても大人料金を払わないといけない子がほとんどですね。社会的にも「大人」になりつつあるわけです。
もっと小さい頃は、男の子と女の子が一緒でも裸で走り回っていましたが、今はそういうわけにはいきません。今日はこの後、宿泊しますが、たとえみんなが「気にしないよ」と言っても、夜、男の子と女の子を同じ部屋に寝かせるわけにはいかなくなってきました。
3歳くらいの子どもでも、良いこと悪いことはだいたいわかります。でも、10歳をこえ、12歳、15歳、17歳と進むに従って、「自分の裸」が見えてきます。「裸」というのは、ただ服を脱いだ状態という意味ではありません。自分のありのままの姿や能力という意味です。そういう裸の自分が客観的に測れるようになってきます。
勿論一定の年齢に達しても、幼児的万能感の強い人や、自己中心のナルシストはいます。幼児的万能感というのは、小さい頃、まわりの大人が負けてくれているのに、「本当は自分のほうが強いんだ」と思い込んだりするような性質を色濃く残していることを言います。ナルシストというのは、自分は恥ずかしくて罪深い存在だと思うのではなく、「自分はなんてきれいで、すばらしいんだろう。」と錯覚する傾向の強い人のことを指します。たいていの人は、大人になるとそんなふうには思わず、「自分はどこか足りない、不安定で、汚れた存在であること」に気づきます。そして、これはとても大切な認識です。
「アダムとエバが善悪の知識の木の実を食べて人類に罪が入ったのだ」と本気で信じている人は、残念ながらあまり多くはありません。しかし、聖書はそう言っていますし、事実そのとおりです。創世記の3章を読みましょう。(創世記3:1~13)神様のみことばを軽んじ、契約を破ったふたりは、「善と悪」を知りました。「自分が裸であること」を知ったのです。これが、先ほどから繰り返している大人になることの最も本質的な部分です。だいたいこの地球上を見渡しても、服を着ている生き物なんて、人間以外にはいません。人間だけが万物の霊長だと言いながら、なぜか「服を着ている」のです。動物は裸ですが、「自分が裸であること」を知りません。人間は「自分が裸であること」を知っているので、「服を着ている」のです。「動物は裸だ」という言い方も、人間を中心に考えた比較から生まれて来た表現であって、動物にとっては迷惑な話です。動物から見れば、「どうしてそんな窮屈で不便なものを身にまとっているのだ」となります。
大人になると、今まで見えなかったいろんなものが少しずつ見えてみます。今までは絶対だと思っていた大人、例えば親にしても先生にしても、とんでもなく馬鹿で嫌な奴に思えたりします。自分の裸だけでなく、相手の裸も見えてきます。大人になると、誘惑も増えてきます。してはならないこと、やめておいたほうがよいことにもどんどん引っ張られていきます。神様を知らない人たちにとっては、それが「ばれるか、ばれないか。」「損か得か」ということが判断や行動の基準になるので、一緒に行動すると、ついていけない場面もたくさん出てきます。
今日、大人への入り口にさしかかっている君たちに伝えたいことは、神様の前の君たちの態度についてです。教会の子どもたちだから、悪いこと、恥ずかしいことをしちゃいけないよというような話はしません。もちろん悪いこと、恥ずかしいことはしてはいけません。でも、そう言われて正しく生きられるくらいだったら、わざわざイエスさまは十字架にかかる必要はないのです。
Ⅰサムエル2:26 3:18サムエルという預言者がいました。彼はダビデに油を注いだすばらしい預言者で、生まれたときから神さまに捧げられた子です。幼い頃から福音を聞いてきた君たちには、サムエルのように生きてもらえればと思いますが、みんなの母親は、多分サムエルの母ハンナほど、完全な子離れが出来ていません。勿論、父親にはもっと重い責任があります。親たちもさらに成長することが必要です。決して子どもたちだけに重い荷物を背負わせる気はありません。
サムエルの置かれていた状況には、君たちの現状と似ている点があります。それは、とんでもない大人の権威のもとにいたということです。サムエルが仕えていた祭司エリはろくでもない人で、その子どももめちゃくちゃでした。このエリのもとで仕えたサムエルの様子は大変参考になるので、しっかり学んでください。みんなのまわりにも信用できない大人たちがたくさんいて、みんなを嫌な気分にしたりするでしょう。でも、そんな君は誰に仕え、何を大事にして生きていますか。いつも神様の声を聞いて、恥ずかしくない選択をしていますか。サムエルは、いつも主が何を自分に語ってくださるのかを聞こうとする姿勢を持っていたということです。この姿勢を見習って欲しいのです。それは、素直に従う心から生まれます。主の呼びかけに対して、「はい、ここにおります」とすぐに返事をして近づいていく、素直さです。「あなたはどこにいるのか」というのを、今日のお話のテーマにしました。あなたはどこにいるのか。「はい、この部屋にいますよ。」という物理的なことではありません。神様の問いかけです。神様は私たちがどこに隠れようが、何を隠そうがすべてをご存じです。そのことを喜んで、「神様ありがとうございます。」「私はここにいますよ。」いつも良いお返事が出来ますかという意味です。人は罪を犯すと、「あなたはどこにいるのか。」という神様の問いかけが聞こえにくくなります。仮に聞こえても、「はい。ここにおります。」と答えられなくなっているのです。創世記3章1~13節をテキストに学んでいきます。
この機会に、この箇所からわかる罪の特徴について、整理してみます。ひとつめは「取り繕うこと、ごまかすこと」です。腰のまわりの覆いは、いちじくの葉で造ったのです。これは、神様の声を聞くより先に、目が開かれてすぐにとった行動です。つまり、「裸である」という意識は、「正しく覆われていない」ということです。
2つめは、「神様ではなく自分を見ること」です。いいですか。善悪の知識の実を食べたから、衣服をはがれたのではありませんよ。人間は造られてからずっと裸だったわけです。善悪を知り目が開かれたので、自分たちが裸であること気づいたのです。3つめは、「恐れること」です。罪が入った結果、人はいろんなものを恐れるようになりました。4つめは、「隠れること」です。罪が入った結果、きよい神様のまなざしに耐えられなくなった人間は、隠れても隠れきれないのに、とにかく、神様から逃れようとする性質を持つようになりました。5つめは、「責任転嫁」です。男は女のせいにして、女は蛇のせいにして、「ごめんなさい」とはすぐに言えなくなっています。罪の結果、多くの夫婦はバラバラになってしまいました。 創世記4章に入ると、壮絶な兄弟げんかが起こります。(創世記4:1~8節)実は、人類最初の殺人は兄弟どうしによるものでした。人類ではじめて死んだ人は、老衰でも事故でも病死でもなかったわけです。カインにはアベルを殺すつもりはなかったでしょう。そもそも人が死ぬと言うこと自体どういうことだかわからなかったのです。カインは神様へのいけにえのことで、弟が神様に受け入れられて、自分が拒まれたことに腹がたったのです。カインの間違いは、神様と自分の関係のまずさを兄弟との関係に置き換えたことです。これは罪の5つめの特徴である責任転嫁ですね。カインもアベルもアダムとエバの子どもです。自分たちの失敗と神様の贖いの方法をふたりは幼いころから聞かされていたはずです。(創世記3:21)だから、アベルは信仰によって正しい捧げものを捧げることができたのです。しかし、カインは失敗しました。ふたりが聞いていたのは、いちじくの葉ではなく、皮の衣で造られた着物の話でした。裸を覆うためには、罪のない動物の血が流されなければならないことを、ふたりは子どもたちに伝えていたのです。
人間にとって一番大事なことは、神様との縦の関係です。人との横の関係は、縦の関係がうまくいかなければうまくいかないのです。「横」という漢字を含むことばにも、「横着」「横暴」「横やり」「横流し」「横取り」など、あまり良い意味のものがありませんね。
イエスさまは言われました。「昔の人々に『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのをあなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって、『能なし』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。」(マタイ5:21~22)
幸いみんなは一人っ子ではなく、兄弟姉妹がいるので、その関係の中で、「自分がいかに罪深いか」というのを毎日感じることができるはずです。いいですか。これが兄弟げんかでどちらが言い分があるかという話ではないですよ。私たちの心の中をご覧になるイエスさまがお話になったことばが基準です。
神様が問われるのは、私たちの心の思いや動機であって、「結果」ではありません。思いや動機が正しければ、結果は神様が変えることがおできになります。私たちが足りない部分も祝福して補ってくださることができます。一番大事な神様との縦の関係をしっかり保ち、その上で、横の関係についても大事にしていってください。縦の問題は簡単ですが、横の問題は複雑です。しかし、簡単な縦の問題が解決できれば、難しい横の問題は考えなくても、自然に流れていくのです。
今日は「あなたはどこにいるのか」というテーマでお話しました。毎日、神様はみんなのことを呼んでいます。子は親をさがし、親も子をさがします。そこにいてくれること、笑顔でいてくれることに安心します。たとえ笑顔でも、それが間違った行為からもたらされているなら、そんな姿を発見したときは悲しくなるでしょう。神様の問いかけを聞き取り、素直に答えられるみなさんでいてください。

8月19日 この町にはわたしの民がたくさんいるから

アテネを後にしたパウロは、いよいよコリントにやってきました。コリントという都市は、南ギリシヤの政治・経済の中心でした。ローマ帝国の行政区としては、アカヤ州の首府で、そこには、ローマから派遣された総督がいました。(使徒18:12)ユダヤ人もたくさん住んでいて、会堂管理者クリスポのように一家をあげて信じる者もいましたが、反対する者たちもいました。ルカは結構スペースを割いて、アカヤ州の地方総督であったガリオの決定について触れていますが、これは当時のクリスチャンたちにとってはかなり重要なものでした。福音に反対するユダヤ人は、ローマの権威にすがり、「ローマに認められているユダヤ教の教えとは違うから取り締まってほしい」(使徒18:13)と訴えたのですが、異邦人で信仰のないガリオにとっては、それは全く関心のないことで、「おまえたちの宗教上の問題など勝手に始末をつけろ」という意味のことを言っています。要するに、アカヤ州においては、暗に福音の伝道についても、ユダヤ教と同じレベルで、容認してしまったわけです。
コリントの町は、いろんな人種が入り混じり、貧富の差が激しく、その生活ぶりは軽薄で不道徳だったと言われています。神殿にはたくさんの売春婦がおり、性的な堕落が当たり前に受け入れられていました。こうしたモラルの低さや生活のでたらめさは、みことばの基準によってその間違いを照らし出し、御霊の導きに委ねて矯正されなければ、どうにもなりません。教会の中でもその生活の腐敗ぶりは、すさまじいものでした。この世の価値観がみことばを超えて大きな影響力を持っていました。「コリント式」や「コリント風」と言えば、不節制と性の放縦を意味したそうです。これは、今日の自由主義の先進諸国でも同じことで、みことばを大切にしない信者の暮らしぶりは、とてもクリスチャンとは思えないいい加減なものになるのです。
そんなレベルでありながら、「何が正しいのか」とか、「誰が知恵や権威があるのか」とかという最もらしいテーマでは激しく争って分裂し、それ以外の些細なことでも、兄弟どうしで訴えあっていました。性的な乱れも半端ではなく、普通に遊女と交わり、近親相姦までありました。挙げ句の果てには聖餐式で酔っぱらって大騒ぎする者も大勢したようです。クリスチャンになった人たちがそういう暮らしにどっぷりつかっているような町だったのです。そんな様子は、パウロが書いたコリント人への手紙を読めばよくわかります。(Ⅰコリント1:10,3:3,5:1,6:1,6:15、11:21)
私は、この町に出来た教会に当てられた2通のパウロの手紙は、先ほども少し触れたように、今日の自由主義の先進諸国のキリスト教会にとって、とても重要なものだと思っています。いったい教会とは何であり、その中で何を大切にするべきなのかを丁寧に読む必要があります。それは、「暮らしを清く正しく」とかいういわゆる宗教的なことではありません。神のみことば全体が言わんとするところを無視して、自分たちの組織の教理に都合の良い断片に切り刻むのではなく、この当時のコリントという町に働くサタンとそれを矯正しようとする聖霊の働き丁寧に見ていくべきでしょう。当時コリントの教会に語られたメッセージをきちんと読み取って、その上で、今日の私たちの現状に正しく当てはめる必要があります。コリント人への手紙に限ったことではありませんが、背景や文脈を無視して、耳障りの良いみことばの断片だけを切り取るのは、大きな間違いのもとです。それを相田みつをのカレンダーみたいに、ぺたぺたと教会や自宅に貼るのはどうかと思うし、一部分を教会の中の式典の次第として読むのも、逆にみことばの権威を損なう結果になっていると思います。勿論、本当に必要があって個別に与えられた約束のみことばであるなら別です。でも、すりきれそうな甘ったるいことばとして、みことばを十字架のペンダントのように扱うのは許し難いという思いが、私には常にあるのです。
話は使徒行伝に戻ります。パウロが生まれてから一度も拝んだことのないような無数の偶像に溢れた町アテネの次は、口にするに汚らわしいふしだらな町コリントです。このような町から町へと遣わされたパウロはどんな思いだったでしょうか。100人教会や1000人教会を目指すような牧師や伝道師の暑苦しい使命感に燃えていたと思いますか。
主は、そんなパウロの心を一番よく知っておられ、幻によって励まされました。「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町にはわたしの民がたくさんいるから。」(使徒18:10)パウロはこの主の励ましのことばを握りしめながら、1年半に及んでこの地に腰を据えて神のことばを教え続けたのです。その町に主の計画があり、主の用意された民がいるかどうかがパウロの関心事でした。ただ単に少しでも大きな成果をあげるために伝道旅行をしていたわけでは決してないことがわかります。目に見える現状は、私たちを恐れさせます。それは人間の弱さの常であって、パウロであっても同じです。パウロの偉大な足跡は、パウロの知恵や力がもたらしたものではありません。イエスさまがパウロとともにおられた結果です。パウロが励ましを受けたように、私たちも神様に遣わされてここにいるのなら、私たちが遣わされている町には、私たちがまだ出会っていないだけで、神の民となるべき人たちがたくさん住んでいるのです。だから、私たちは語り続けなければなりません。黙ってはいけないのです。コリントを離れたパウロたちは、続いてエペソへ向かいます。しかし、そこには長く留まらず、カイザリヤに上陸し、エルサレム、そしてアンテオケへと移動します。アンテオケにはしばらくいましたが、また出発し、ガラテヤやフルギヤを次々に巡って、弟子たちを力づけました。(使徒18:22~23)
この一連のパウロの行動は、ケンクレヤで髪をそって立てた誓願と何か関係があるのかも知れません。具体的な誓願の内容はわかりませんが、「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます」と言うことばから察すると、これからの具体的な導きに関して、自分の願うところと神のご計画との葛藤の中で、心に整理をつけるために髪をそったのでしょう。当然、パウロの心の中心を占めていたのは、みこころは何かということです。みこころの中で自分は何をすべきなのかということです。神のみこころを実現していくのは、当然パウロひとりではありません。パウロの働きを補うかのように、パウロが去ったエペソにはアポロという有能な弟子がやって来ます。そして、そのアポロをさらに深い真理へと導くのはプリスキラとアクラという夫婦でした。アポロは雄弁で聖書に通じていた人物です。そ雄弁さも、ただ口がうまいというのではなく、深い学識に基づいたものだったようです。知識においてだけでなく、霊に燃え、イエスのことも正確に語っていました。(使徒18:24)彼が通じていた主の道とは、イザヤの預言にもあったバプテスマのヨハネのメッセージに要約されるものでした。(マタイ3:1~3)アポロのメッセージは間違ってはいませんでしたが、それは福音のほんの入り口にしか過ぎないものでした。それは、罪を悔い改めてキリストを待つという単純なものだったと思われます。
プリスキラとアクラは、そんなアポロのメッセージを吟味し、彼が聖書に通じていること、また、まっすぐにイエスさまを証していることに一定の評価をしましたが、まだ福音の本質や奥義に通じていないことを見て取って、彼を招いてさらに正確に神の道を伝えます。(使徒18:26)これは、非常に麗しい光景です。ここでは、人が人に屈したり、誰かが誰かを師として仰ぐのではなく、そこによみがえられたイエスさまがおられ、ただ偉大な神の道があり、みことばだけが権威を持っています。
いのちに甲乙はなく、兄弟姉妹に優劣はありません。プリスキラとアクラは、有能な働き人を教える勇気と力を持っていました。それは日々よみがえりの主を経験しているところからくる自然な流れでした。アポロもまたさらに正確な道について耳を傾ける謙虚さと真理に対する渇きや主への愛を持っていました。このような兄弟姉妹の交わりは、何と素晴らしいことでしょうか。このような交わりには、組織や派閥や肩書きが入り込む余地はどこにもありません。もし、プリスキラとアクラが、アポロを大センセイとして家に迎えていたら、こんな交わりはあり得なかったでしょう。アポロはさらにアカヤへ渡ろうという願いを持っていましたが、兄弟たちは紹介状を書いて送り出し、アポロはその期待に応え、ますます賜物を豊かに発揮する姿があります。(使徒18:27~28)
最後にもう少しだけ、プリスキラとアクラという夫婦について触れておきましょう。この夫婦は天幕づくりを職業としていました。はじめは同業者ということで、仕事をする都合で一緒に住んでいたようですが、やがてふたりは、パウロの信頼のおける信仰の友、また同労者となりました。パウロは、この夫婦を高く評価し、感謝のことばをのべています。(ローマ16:3~4)彼らの拠点として、家の教会がありました。(Ⅰコリント16:19)家の教会ですから、自宅を開放したのでしょう。家族を中心としたそれほど大人数の集まりではないでしょう。その小さな集まりを持ちながら、周辺の教会を励ましたり、助けたりしていたのだと思われます。
プリスキラとアクラがアポロに対して、さらに正確に説明した神の道とは何だったのでしょうか。大聖会を持ち、大リバイバルを導く秘策でしょうか。そうではないはずです。それは淡々としたいのちの歩みです。主がしてくださったことの大きさと深さを伝え、それぞれに恵みの測りにしたがって、みこころの中を歩むことに他なりません。パウロにはパウロの、アポロにはアポロの、そして、この夫婦にはこの夫婦のみちびきや働き、役割がありました。すべてがアーメンです。それがみこころなら、自由と喜びがあり、他の兄弟たちとも調和や交わりがあるはずです。まさに、プリスキラとアクラは、継承すべきクリスチャン夫婦のモデルです。もちろんかたちだけ真似したって意味がありませんが、同様の働きをするカップルが今日もたくさんあっていいのです。使徒18章以外は、プリスキラという名前が先に出てきますが、アクラが夫です。その理由はよくわかりませんが、信仰を持つ夫婦の間で妻が果たす役割の大きさというのを感じさせられます。
「アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。あなたがたが信仰にはいるために用いられたしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。それで、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。」(Ⅰコリント3:5~8)

7月29日 知られない神に

 「アテネ人も、そこに住む外国人もみな、何か耳新しいことを話したり、聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。」(使徒17:21) このアテネ人の暮らしぶりの描写は、簡潔にして本質をついています。これは当時のアテネのみならず、古今東西のあらゆる神無き文明の虚しい奢りを表すものだと言えるでしょう。今日の日本にもぴったり当てはまりそうです。彼らは、退屈をしのぐ刺激の強いものや流行のものを追い求めたのです。
 アテネには、人が欲するあらゆるものが溢れていました。アテネは古くから、古代世界における科学、芸術、哲学、スポーツの中心地です。オリンピック発祥の地として知られていますし、現在もギリシャの首都であり、初めてギリシャを旅して、アテネに立ち寄らない人は殆どいないでしょう。BC404年、ペロポネソス戦争でスパルタに降服し、BC86年にはローマの支配下にありましたが、それでも、アテネの住民はその高い文化を持っていました。パウロと論じたエピクロス派やストア派というグループの人々が出て来ますが、これらの著名な学派から学ぶために、ローマをはじめ周辺の町から多くの人々が集まっていたようです。ですから、外国人もただ何となくそこに住んでいるだけでなく、情報発信基地であるアテネに憧れて住んでいる人たちなのです。
人は都会を求めます。自分たちの欲望をかなえるシステムをこしらえます。言ってみれば、都市は「巨大な遊園地」です。そんな遊園地のアトラクションよろしく、飛び入りのパウロの話も聞いてやろうと、アテネの有識者たちは最初は余裕を見せたのでした。彼らがパウロの話を聞きたがった動機は、その「新しさ」「珍しさ」でした。
 アテネには、偶像があふれていました。偶像は神の属性を分解して、神以外のものに結びつけることによって誕生します。パウロは心に憤りを感じたのです。このような霊的な憤りを持つことは大事な感性だと思います。これは、聖書以外の教えやそれを奉じる人々を敵視して目くじらをたてることとは違います。イエスさまの栄光が忘れ去られ、横取りされ、踏みにじられていることに対する悲しみ、祝福と恩恵をただ取りしながら、その愛に気づくことなく、その良いことがこれからも続くように、災いを避けられるようにと、別の権威を祭り上げていることへの痛み、そして、そのシステムを利用して、利益を得ようとする人たちへの怒り、またそこにはめ込まれて疑問を感じない多くの群衆への憂い、そういう思いがこの憤りの中にはあると思います。
しかし、パウロは冷静に、アテネの人たちのプライドを傷つけずに福音を聞いてもらおうと、さらに優れた知恵でメッセージを組み立てました。まず、彼らの宗教心を褒め、話の糸口を見つけようとしています。そして彼らの拝むものの中にあった「知られない神に」と刻まれた祭壇に注意を引きつけます。アテネの人々は考え得る限りの神を作りだし、自分たちの拝みたいものを拝んでいました。しかし、自分たちが拝み忘れた神もあるいはあるかも知れないという一種の洒落のような感覚で「知られない神に」という祭壇を設けていたのでした。おそらく、それはまともな信仰の対象ではなく、誰もが顧みることのない祭壇だったでしょう。そういうものがあることを知らない人、忘れている人もいたと思われます。しかし、パウロはアテネに評価できるものがあるとしたら、この祭壇しかないと見たのです。「あなたがたが生み出した神以外のまだ知らぬ神こそが真の神であり、唯一の神である」とパウロは、逆手にとって論じるのです。パウロはギリシャで尊敬されている詩人のことばも引用しつつ、語るべきことを語り終えます。語るべきこととは、「お立てになったひとりの人イエス」のことであり、「死者のよみがえり」のことです。逆に言えば、これ以外のことはそれほど重要ではありません。私たちも福音を伝える際に、どうでもいいような枝葉のことを語っていることが多いことに気づかされます。パウロは、アテネの人々に媚びたのではありません。きちんと語るべきことをまっすぐに語っています。
「しかし」と言うべきか、「だから」と言うべきか、アテネの人たちは、死者の復活をあざ笑いました。(使徒17:32)この世の宗教は、いのちの福音とは全く異質なものです。多くの人が似ているところを論じたりしますが、似ているところを論じても始まらないのです。本質的な違いを語ることができなければ、よく似ているのであれば、「別にイエスさまでなくてもいいじゃないか」ということで落ち着いてしまいます。
何度も繰り返してお話していますが、宗教というのは人間の発明品です。それは、「下から上への上昇のベクトル」です。人間が神のように、よりすぐれた者になり、名をあげるための教えや救いです。ここで常に問題になるのは、善と悪の葛藤とそこから生じる努力です。「アダムとエバの食べた実とその隠蔽のためのいちじくの葉」、そして、「カインのささげもの」さらに、「バベルの塔」が、人間の宗教のモデルです。一方、福音は「天から地への下降のベクトル」です。人は神になることができないので、神が人となりました。人は自分で罪を贖えないので、神が罪を贖ってくださった。これが福音です。そこには人が準備するものは何もなく、善悪の葛藤もなく、ただ神による贖いといのちと祝福があります。「アダムとエバの腰を覆った皮の衣」「アベルのささげもの」そして、「天から地にむかってかけられたヤコブのはしご」が福音のモデルです。
アダムとエバは神の園エデンに住んでいました。彼らは善悪を知りませんでした。善悪を知らない人間が、「自分は何者であるのか」「どう生きればいいのか」そうした意味や善悪を問うことなしに生きていたのです。これは、とても不思議なことです。行為の意味を問うことのない世界、善悪の葛藤のない世界には、悩みなどないでしょう。まさにそういう世界がエデンでした。ところが、人は罪を犯し、善悪を知り、己を知ったのです。「裸であることを知った」と書かれています。善悪を知るということは、自分を客観的に見ることです。悪を知っただけでなく善も知るからです。神を知らずに己を知ることは不幸です。宗教は、こうした葛藤のひび割れから生まれてくるのです。
ですから、宗教から解放されるためには、「善悪の葛藤」から解放される必要があります。エデンにいたアダムとエバのように善悪を問うことなく、神の恩恵に浸っていることが大事なのです。しかしながら、神は贖いによって、ただ単にエデンの状態を回復しようとしておられるのではありません。十字架がエデンを回復するためだけのものなら、人間が罪を犯したことは「単なる失敗」であり、十字架は人間の失敗を帳消しにするための「本来必要ではなかった行為」言わば、「後から付け足した計画」になってしまいます。聖書を見る限り、十字架というのは、そんな安っぽい救済の手段ではありません。福音は、もっともっと壮大な計画なのです。神は世界の基の置かれる前から、つまり、エデンの園などどこにもなく、そこに、まだアダムもエバもいないときから、ご自分の助け手として、神の理解者としての存在を産み出そうとされた計画なのです。善悪を知り、己の裸の恥を思い知った上で贖われた者の喜び、神がしてくださったことの意味とその価値を知った者の喜び、感謝、礼拝は、エデンにいたときのアダムやエバとは比較にならないほど深いものです。これが福音の大きさです。
自分の悩みの解決や地上での生き甲斐に心が集中している者には、そうしたスケールでの福音は心に届かないでしょう。「このことについては、またいつか聞くことにしよう」(使徒17:32)となるでしょう。
 ギリシャ人の価値感は、現代の先進諸国の価値観へとつながっています。そこで崇められるのは、美しいもの、強いもの、能力のあるものです。それら中の特に優れたものが賞賛を受けます。知・真・善・美・そして、力といった本来神の属性であるものをバラバラにして、造られた者に貼り付ける勲章にするわけです。イエスさまは、そうした神の属性をあえて封印して、人の前に現れ、そして死なれました。すべては十字架に何を見るか。果たして、イエスはよみがえり、そのよみがえりは、あらゆる死者の復活の魁となりうるか。パウロは言いました。「なぜなら、神はお立てになったひとりの人により義を持ってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。」(使徒17:31)これが福音の方法であり、しかけです。それは、相対的な比較の中でいわゆる偏差値的指標として、神であることを承認される存在として来られ、みなが理性的に納得させられて、有無を言わさずこの方に服したとして何の意味があるでしょうか。福音は、世界の基が置かれる前からの永遠の計画なのです。罪を犯した人間が、傷ついた良心を癒すために発明したその場しのぎの教えと決して同列におかれるものではないのです。ですから、最も腹立たしく情けないのは、教会が宗教化することです。福音がいのちに基づいて活動するのではなく、教えになり、道徳になり、形式になることです。私たちの集まりにも、こうした危険は常に隣り合わせにあると思っています。私はみなさんの平素の暮らしぶりや心の中のことまで知りませんから、責任も持てないし、安っぽい保障もしません。宗教の出発点は何かご存じですか。先にも少し触れましたが、いちじくの葉です。その本質は、ごまかし、取り繕いです。
この世界に関するどんなに広くて深い知識を持っていようが、神がお立てになったひとりの人イエスを知らないなら、それは無知なのです。逆にこの御方を知っているなら、あらゆる知識に勝る知識、知恵にまさる知恵をもっているわけです。胸を張って証しましょう。

2007年7月28日土曜日

7月22日 獄中の賛美


パウロはテモテに割礼を施しました。私は最初にこの箇所を読んだとき、「あれ」と思いました。割礼の慣習にこだわるユダヤ人を喝破しておきながら、いとも簡単に妥協しているではないかという印象を受けたからです。しかし、この後のパウロの言動や、晩年のテモテにあてた2通の手紙を見ると、パウロにとってテモテはどれほど大事な存在であったかということがわかります。そして、パウロは、「キリストにある自由」を本当に豊かに用いた人なのだとわかります。テモテが割礼を受けているかいないかなどは、パウロにとってもテモテにとっても本当にどうでもよいことでした。「割礼を受けなくてよい」ということは、「受けない」ほうが正しいという考え方に縛られることでもなく、「どうでもいいんだから、別に受けたっていい」ということも含んでいるのだとパウロは示したのです。割礼を受けないことで、相手の弱い良心と信仰をつまずかせるより、割礼を受けて後の良い関係を作るほうがよいだろうと考えたのでしょう。ガラテヤ人への手紙では、アンテオケにおいて、割礼のことで妥協したペテロについて激しく批判したことが書いてあります。ですから、パウロがテモテに受けさせた割礼がペテロのようにユダヤ人を恐れた妥協ではないことは明らかです。パウロの思いはこのひとことに尽きるでしょう。「割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。」(ガラテヤ6:15)クリスチャンにとって大事なことは、この新しい創造の基準、すなわち、よみがえりのいのちによって歩んでいるか否かです。
「自由・自由」と口で言う人はたくさんいますが、本当に解放された自由な生き方を見せられると、けっこうとまどうものです。はっきり言って、それを見てとまどう人は本当の自由を得ていないのです。たとえば、KFCのルークさんは、自身がカリスマ化されることを嫌って、あえて「酒を飲んだ」だの、「映画を観た」だの、「プールやサウナですっきりした」だの「温泉が楽しみだ」だのと書いておられます。それは、確信犯的な自由の提言であって、「真理が人を自由にしたひとつのかたち」を示しておられるわけです。彼の日々のコメントを読んで、いろんな刺激を受け、自らを振り返る方は多いと思います。
しかし、「そういうのがお洒落なんだ」「それがホントのクリスチャンライフなんだ」と思いこんだりすると、今度はそうしたゆがんだ 基準でしかものが見えなくなり、今度は一見堅苦しく見えるけど、本当に解放されている人たちを見下したりする危険性も出てきます。 同じいのちに生きる兄弟姉妹でも、パウロのような人もいれば、バルナバのような人もいます。そして、マルコのような人もいます。さらに、テモテが割礼を受けなければ、いつまでも「彼のお父さんはギリシャ人だ」とこだわってしまうユダヤ人の兄弟だっているのです。パウロは、テモテに割礼を受けさせることで、そういうユダヤ人の信仰の弱い兄弟たちのつぶやきを消したのです。ですから、パウロがテモテに施した割礼は、人間的な妥協ではなく、与えられた自由な決定を聖霊が指示した結果だと見ます。その後の展開を見ても、「アジアでみことばを語ることを聖霊が禁じた」(使徒16:6)という表現や、「ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった」(使徒16:7)という表現から、パウロの伝道の道のりが、完全な聖霊のみちびきにのっとったものであることが伺えます。それは、その辿ったコースだけではなく、その先々でのパウロの言動もまた、聖霊とともにあったと言えるでしょう。パウロはマケドニヤ人の幻を見て、アジアからマケドニヤへと完全に方向を転じることになります。パウロは確信を持って進んで行ったと記されています。
そのような聖霊の導きの中にありながら、妨害され、鞭打たれ、投獄されます。こういう状況で、人はいったい何を考えるでしょうか。おそらく、「みこころでなかったから戒められているんだろうか」というような過ぎたことについての葛藤や、「何でこんなことになるのか」という現状に対する不満や、「これから先どうなるのだろうか」と未来への不安などが、心に渦巻くことでしょう。しかし、パウロとシラスの心に沸き上がってきたのは賛美でした。彼らのまなざしは囚われた自分自身にではなく、神さまに向けられていました。ただの賛美ではありません。この賛美はただのゴスペルミュージックでも、礼拝の式次第の中の賛美ではありません。彼らは「祈りつつ」賛美を歌っていたのです。(使徒16:25)
賛美と地震の因果関係はわかりません。ある人々は、パウロとシラスの賛美と祈りの力が地を揺り動かしたのだと言うでしょう。でも私は、パウロとシラスが解放を求めて祈ったり賛美を歌ったりしていたのだとは思えません。むしろ、最善以下のことは決してなさらないはずの神が、みこころに従っている自分たちをあえて鞭打たせ、あえて獄につないだからには、何かがそこであるはずだと信じていたと思うのです。その証拠に、大地震がおこっても、とびらが開いて鎖がほどけても、驚きもせず、「今こそチャンスだ」とばかりに牢から逃げたりもしません。神のみこころの中にいる人たちは、どのような状況であろうと、神が神であるというただそれだけの理由で賛美できるのです。これは単なる私の偏見にすぎませんが、パウロとシラスの賛美が音楽的にとびきり素晴らしいものだったとは思えません。しかし、ほかの囚人たちが聞き入るような崇高な何かが感じられたのです。なぜ、そう考えるかというと、ただ音楽的に優れていただけなら、真夜中に歌われると、「やかましい」と感じるのが普通だからです。真夜中に聞かされてもやかましいと感じさせない何かがあったと考えるのが自然です。
さて、そこに突然の地震です。このような状況になれば、囚人は看守の目を盗んで逃げ出すものと決まっています。牢のあいたとびらを発見するや、看守は自害しようとしていました。パウロは大声で叫んでそれを止めます。この看守の自殺を免れただけではありません。パウロの語る福音を信じたことによって、彼と彼の家族全員が救われたのです。すばらしい証です。もし、彼が自害していたら、残された家族は何とみじめだったことでしょう。殉職と言うにはあまりにも馬鹿馬鹿しい死に方です。囚人が逃げてもいないのに、逃げたと思い込んで自らいのちを絶つのです。そんな間抜けな主人を失った妻子は、憐れとしか言いようがありません。しかし、彼は信じました。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16:31)家族全員の永遠の運命を変えたみことばです。
この素晴らしい出来事は、「獄中」でおこりました。これらの証のために、パウロとシラスは鞭打たれ獄につながれる必要があったのです。この獄中ということで、もう少し考えてみます。
新約聖書は、わたしたちのからだを「聖霊の宮」「神殿」また「幕屋」であるという表現を繰り返し使っています。それは、「私たちの存在の本質はからだではない」という意味と、「その本質を宿すからだも大切なものである」という二重の意味があります。からだがそれ自体汚れているとか、いないとかとは、全く別の次元の問題として取り上げています。  反面、旧約聖書の中には、「人間はただ生きているだけでその存在自体が汚れている」ということを意識させるような律法が細かくあります。それは、その人物がどういう人物で何をしたとか、しなかったとかいうこととは関係なく、「生まれながらの人間はそのままでは神に近づけない」ということを教えるためのルールでした。アダムの契約違反によって、人は善悪を知り、己の裸を知り、いのちへの道を閉ざされたのです。このように見てくると、ユダヤ人たちがきよめの儀式にことさらにこだわったのも、それなりの理由があったということがおわかりいただけるでしょう。この新旧の聖書の基準には何の矛盾もありません。当然ながら、神は全く同じ、変わらないきよさを保っておられます。神は、旧約では動物の血を、新約ではキリストの血を見ておられるのです。神は人間の心の動機や暮らしの隅々を、深い関心を持って見つめておられますが、きよさという点で人を評価されることはありません。人は生まれながらにきよくないのです。きよくないから、何の関係もない動物の血が必要なのです。人間が汚れを取り除くためには、無数の動物の血を必要としました。しかし、その動物の血が象徴していた神の子羊イエスの血が流されたことによって、生けにえは必要がなくなったのです。イエスさまは、世の罪を取り除く神の子羊ですから、イエスさまの血潮によって、もう罪は除かれているのです。ですから、罪や汚れという問題の葛藤へと陥るのは、十字架の意味が何もわかっていないのだと言えます。
さて、ただ一度の贖いのために、父なる神は「なだめの供え物として」の御子を世にお与えになりました。父は御子を十字架に架け、苦しみを与えるために肉体を与えたのです。永遠の神のロゴスなる御方が、人となって、肉体を持たれたとも言えます。「ことばは人(肉)となって、私たちの間に住まわれた」(ヨハネ1:14)これは、幕屋を張られたという原語なのだと何度か申し上げているとおりです。神が肉体という牢獄につながれてくださったのです。それが人の子イエスの姿です。無限の御方が、人として時間や空間的制限を受け、みことばに服し、聖霊に導かれ、みこころの中を歩むがゆえに、人から侮られ、妨害され、そして鞭打たれ、それでもあえて肉にとどまってくださったのです。しかし、イエスさまは鎖につながれてはいませんでした。その門はいつも開かれていました。この御方は肉体の中にありながら、完全に自由でした。もうすでにおわかりのように、獄中のパウロたちの姿は、肉体を持たれたイエスさまの姿と重なって見えます。そして、自害をとめられた看守は私たちの姿です。私たちの家族も救われなければなりません。そのために、「救われるために主イエスを信じる」という意味をしっかりとらえる必要があります。
「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのために、この新しい生ける道を設けてくださったのです。」(ヘブル10:19~20)この道を通ってまことの聖所へはいることが、まことの救いです。
パウロは、肉体という幕屋にいるときの「うめき」や「重荷」について語り、さらに、「肉体にあってした行為応じて報いを受けること」を語っています。(Ⅱコリント4:16~5:10)また、「私たちが肉体にいる間は、主から離れている」(Ⅱコリント5:6)と言っています。 肉体にある状況は、決して喜ばしいものではなく、それは肉の目には「神殿」ではなく、「牢獄」です。だからこそ、私たちは見えるところによってではなく、信仰によって歩むのです。それこそが、牢獄の中の本当の賛美です。

7月15日 聖霊と私たち

使徒15章は、一般に「エルサレム会議」と言われている内容がその中心を占めています。ペンテコステから約20年、そして、異邦人が教会に受け入れられてから10年目くらいのことだと考えられています。ペテロが見た幻の中で示されたことは、異邦人を割礼なしで受け入れるということでした。ペテロから直接証を聞いたリーダーたちは、その事実を受け入れ神をほめたたえたことが記録されています。(使徒11:18)しかしながら、ユダヤ人のあるグループの者たちは、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない。」と教えていました。(使徒15:1)これは、この時代のこの問題に限ったことではありません。ここには、ふたつの大きな問題を孕んでいます。そのひとつは、「偏った教条・教理への頑なな固執」です。もうひとつは、「救いに関して十字架以外の何かの条件を付加する」ということです。この種のとんでもない間違いを、教会はその約2000年にわたる歴史の中で、延々繰り返し続けているのです。このときのポイントは、「モーセの慣習に従う」ということでした。そして、それを言い出すのはユダヤ人です。「律法の精神を守る」のではなく、「モーセの慣習に従う」という表現になっていることにも注目です。三島由紀夫は、「習慣は精神を凌駕する」と言っていますが、それは信仰にも当てはまります。人は容易に教条に支配され、形式にはめ込まれる弱さを持っています。そして、それは宗教的習慣となって、批判力や思考力を麻痺させるのです。こういう群衆の弱さを政治家や為政者たちは利用するわけです。コミュニストたちがよく言う「宗教はアヘンである」というのはまさにその通りなのです。
そして、サタンは、自分たちの救われる前の何かや、少しでも他の者よりも優位に立てる何かを盛り込ませようと、人の自尊心を刺激します。ユダヤ人にしてみれば、自分たちが軽蔑していた異邦人が、自分たちと同列に置かれることが喜びというよりは不快なのです。しかし、「それは喜ぶべきことである」という建前があるので、異邦人との差別化を図るために、救われる前に、まずユダヤ人並になるべきだと要求するのです。 これは非常に大きな問題です。十字架はすべてのものをひとつにするのです。ユダヤ人と異邦人の間の隔ての壁をぶちこわすのが十字架です。福音は、知識のある人にとってもない人にとってもローマ人にも未開人にも有効です。 ですから、信じる前の状態を強調して、キャンペーンを行ったり、グループを形成するのは、聖霊が導かれることではないというのが、私の強い意見です。ミッション・○○など、元○○だったことを「売り文句」に使ったり、過去の何事かを人間的な結束のよりどころにしようとするのは大間違いだと思っています。もちろん同じつらさを体験した人たちが、その痛みを分かち合うのはすばらしいことだし、そんなつながりの中で人が救われる可能性は高いでしょう。そういうことを否定しているのではありません。福音書を書いたマタイが救われたとき、彼は大きな宴を開きました。彼の主催だからこそ、多くの取税人が集まったでしょう。しかし、彼は取税人なかまのためにそのパーティ―を開いたわけではありません。「イエスのための大ぶるまいをした」(ルカ5:29)のです。最初の弟子たちの仲にガリラヤ漁師組合とか、売春婦同盟とか、そういうのはありませんでした。私たちの集まりだけが唯一正統などという主張もあやしいものです。コリントの手紙には、「私はパウロにつく」「私はケパにつく」というグループだけでなく、「私はキリストにつく」という人々も分派と見なされています。私たちカナン教会のスタイルは、イエスさまを心から信じて、十字架を受け入れ、あたらしいよみがえりを経験している人は、どこの人であれ兄弟姉妹であり、神の家族として受け入れるというものです。逆に、十字架以外の要素を持ち込み、「霊とまことの礼拝」を乱そうとする人は、どんな肩書きをもった方であろうと、ご遠慮願います。
また、世襲牧師が、他人の献金に支えられる生活をしながら、「自分は立派な献身者で、自分の生活を支えてくれている兄弟姉妹は世俗の手垢にまみれている。自分が相談にのったり、お世話をしたりして、面倒を見てあげるのだ」と、主にあって家族とされた兄弟姉妹を一段下に見て関係性を構築する様子は、あるべき教会の姿とは全くかけ離れています。そして、こういう職業的世襲牧師の発想の根源は、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない。」(使徒15:1)というのと全く根は同じです。「神学校に行かなければ牧師になれない」「仕事をやめなければ献身できない」と主張している人が、聖会などで「献身」を呼びかけることがありますが、私はいつも、全員が手を挙げたら、一体誰がこいつの生活を保障するのだろうと心配になります。こういう心配のために、教団組織から給料を出すようになるわけです。リーダーたちは、主に信頼するのではなく、そのシステムに信頼するようになります。そして、主に献身するのではなく、教団に就職する人たちが出てくるわけです。
こういう愚かな主張をする人たちと、パウロやバルナバとの間に激しい対立と論争が生じるのは当然のことです。パウロとバルナバは自分たちの考えではなく、主がしてくださったことを証します。ところが、パリサイ派で信者になった人々が立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、また律法を守ることを命じるべきである」と言いました。
このさらなるパリサイ派の反発がきっかけになり、使徒たちと長老たちは、おおまかな信仰のアウトラインを出すことになりました。ここで、決められた項目もさることながら、このとき、ペテロが語ったことばは非常に重要です。このペテロの発言の前にも激しい論争があったのだとルカは書いています。(使徒15:7)しかし、ペテロのメッセージで全会衆は沈黙してしまいました。(使徒15:12)ルカは激しく交わされた論争のすべてを割愛し、ペテロのことばだけを記録しました。ペテロは、非常に平易なことばで、本質を語っています。「兄弟たち。ご存じのとおり、神ははじめのころ、あなたがたの間で事をお決めになり、異邦人が私の口から福音のことばを聞いて信じるようにされたのです。そして、人の心の中を知っておられる神は、私たちに与えられたのと同じように異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし、私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。それなのに、なぜ、今あなたがたは、私たちの先祖も私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みようとするのです。私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。」(使徒15:7~11)大事なことが3つあります。1つ目は、すべての兄弟姉妹は同じように聖霊を与えられており、そこには何の差別もないということです。もちろん、この世における社会的地位や能力や財産などには、驚くほどの差があり、教会の中での役割にも違いはありますが、すべての兄弟姉妹に同じ聖霊が差別なく与えられているということです。2つ目は、すべての兄弟姉妹の心は、神の御目がご覧になったとき、完全にきよめられているということです。「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない」(使徒10:15)のです。その事実から離れると、人は「邪悪な良心」と呼ばれるものに蝕まれます。そして、かつてペテロも口にしたことば、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから。」(ルカ5:8)というような身勝手な謙遜に陥るのです。そういう自己の内面を見つめる戦いからは解放されるできなのです。3つ目は、すべての兄弟姉妹は、例外なく100パーセント恵みによって救われたのです。恵みが15パーセントの人も、85パーセントの人もありません。サタンは、「十字架も有効だが、あなたの何かも必要だ」と必ず言うのです。しかし、それは間違いです。十字架のみわざにあなたのわずかな何かをつけたそうと考えることは、何も信じていないのと同じくらい間違っているのです。例えば、一流の料理人が最高の料理をふるまってくれたとしましょう。あなたは、さらにそれに何かを加えて味付けしたいと思いますか。バッグの中から塩こしょうや味の素を出して、料理にふりかけ始めたら、これは料理人にとっては、耐え難いほどの侮辱ではないでしょうか。そして、ユダヤ人の提案は、「自分たちが負いきれなかったくびきを、他人の首に掛けるようなもので、それは神を試みることになる」とペテロは言っています。人は、自分の負っているものを他人にも負わせようとする傾向があります。自分が何かを我慢している人は、また、ずっと我慢してきた人は、他人にもそれを強要しようとするし、自分が耐えてきた分をプラスに評価しようとするものさしを手放そうとしないものです。それは、放蕩息子のお兄さんの弟に向けられた冷たいまなざしの中に表現されています。解放されていない牧師の病気に巻き込まれると、教会中がそのくびきを負わされることになるのです。私たちはひとりひとりがキリストのもとに行き、自分の荷をおろすべきです。そして、キリストのくびきを負うのです。
この会議で決められたことは、聖霊の導きと承認によることがはっきり書かれています。その決定責任の主体は「聖霊と私たち」(使徒15:28)です。その内容は、旧約聖書の律法の細かい規定とはかけ離れた、とても大まかで寛容なものでした。異邦人には割礼は不必要であるということ。そして、異邦人世界では普通に行われていた偶像礼拝と不道徳を避けることです。(使徒15:29)この決議内容のポイントは、「これを守れ」ということではなく、「どんな重荷も負わせない」ということです。(使徒15:28) 真理は常に信じる者を解放し、本当の自由へと導きます。聖霊の働かれるところには、自由があるのです。  その自由は、時としてすばらしい信仰をもった有能なリーダーが反目するというかたちうで現れたりもします。(使徒15:36~41)パウロとバルナバがヨハネに対する評価でもめたことを、ルカはわざわざ記しています。そのことで、エルサレム会議での衆議一決がシャンシャンと決められたのではなく、本当に高い次元の「聖霊」の一致によったものであることを現し、同時に、パウロとバルナバの選択がいずれも、明らかに間違いとは言えない「私たち」の側の選択の幅であることを伝えてくれているように思います。パウロとバルナバは、ともに主のみこころを選んで生きる人たちですから、いつまでも反目してはいません。後のパウロの手紙の中には、バルナバやマルコを受け入れ、主にあってともに労している姿を証することばがあります。(Ⅰコリント9:6,コロサイ4:10)
人間というのは、絶対妥協してはいけない部分ではだらしなく寛容になり、逆に赦ししあい受け入れあわならなければならないところで、対立しては、憎しみを募らせるものです。新約聖書がなかった時代に、初期の兄弟姉妹たちが、聖霊のみちびきに従った結果、今日の真理が保たれ、66巻の聖書が成立していることに驚嘆します。私たちが与えられた自由を、聖霊の働きを妨げることに用いないようにしたいものです。

2007年7月12日木曜日

7月8日 自分の足でまっすぐ立ちなさい

パウロとバルナバのふたりは、ピシデアのアンテオケを追い出され、東へ約80キロ離れたイコニオムへ移動します。ここでも、大ぜいの人たちが信仰にはいりました。しかし一方では、「信じようとしない人たち」がいました。(使徒14:1~2)13章で、「自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者と決めた」(使徒13:46)「永遠のいのちに定められていた人たちは、みな、信仰に入った」(使徒13:48)というふたつの文から、みことばが聞いた人々を二分したことを見ましたが、ここでも状況は同じでした。これらの記事を見るとき、まっすぐに語られたいのちのことばは、心地よく聞き流せるようなものでも、すべての人に歓迎されるようなものでもなく、聞く人たちを混乱させる結果を招くことがわかります。聖書の真理に対して、ある人々は激しく反発し、攻撃するようになるのです。
そのことを検証するため、ヨハネの福音書からいくつかの具体的な場面を四箇所見てみます。人々は、イエスさまが奇跡を行っているときは、人々は次の奇跡を待ち望みました。また、道徳について語られると「それはよい話だ」と耳を傾けました。しかし、悔い改めやいのちに関する本質的なことについて話が及ぶと、今まで喜んで聞いていた人たちが、見事なほどに混乱する様子が描かれています。イエスさまがメッセージの核心に迫られると、直ちに、議論が巻き起こり、激しい対立が始まるのです。
例えば、イエスさまがパンの奇跡をなさって、その意味について解き明かされた場面ではどうでしょうか。「パンの奇跡は、ただ飢えた者の腹を満たすことが目的ではなく、まことの食べ物はイエスご自身の肉であり、まことの飲み物はその血であるということを教えるためなのだ」という趣旨の解説をされました。聞いていた人たちの反応は次のとおりです。「すると、ユダヤ人たちは、『この人はどのようにしてその肉を私たちに与えて食べさせることが出来るのか。』と言って互いに議論した」(ヨハネ6:52)さらに、「そこで、弟子たちのうちの多くの者が、これを聞いて言った。『これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておれようか。』」(6:60)と反発します。そして、「こういうわけで弟子たちのうちの多くの者が離れ去って行き、もはやイエスとともに歩かなかった」(6:66)と書かれています。
また、イエスさまが後に注がれる御霊について証されると、ここでも分裂が起こりました。「このことばを聞いて、群衆のうちのある者は、『あの方は、確かにあの預言者なのだ。』と言い、またある者は、『この方はキリストだ。』と言った。また、ある者は言った。『まさか、キリストはガリラヤからは出ないだろう。キリストはダビデの子孫から、またダビデがいたベツレヘムの村から出る。と聖書が言っているではないか。』そこで、群衆の間にイエスのことで分裂が起こった。」(7:40~43) 
生まれつきの盲人が癒された場面でも、盲人が見えるようになったことを喜ぶのではなく、そのことが安息日であったかどうかにこだわって分裂が起こります。「すると、パリサイ人の中のある人々が、『その人は神から出たのではない。安息日を守らないからだ』と言った。しかし、他の者は言った。『罪人である者にどうしてこのようなしるしを行うことができよう』そして、彼らの間に分裂が起こった」(9:16 )
そして、イエスさまが自分からいのちを捨てるのだと語られたときにも、当然分裂が起こりました。「このみことばを聞いて、ユダヤ人の間にまた分裂が起こった」(10:19)
これらのイエスさまを取り巻く人々の反応を見ても、パウロとバルナバの伝道の結果を見ても、いずれの場合も、真理が語られることによって、それを聞いた人たちが見事に二分されているとがわかります。真理に従う人たちには自由が保障され一致が生まれますが、その裏側では、真理に従う人たちに敵対することによって偽りの一致が生まれる構図があることがわかります。(使徒14:4)
おそらく、ルカは福音書に記したこのイエスさまのことばを思い返したはずです。「わたしが来たのは、地に火を投げ込むためです。だから、その火が燃えていたらと、どんなに願っていることでしょう。しかし、わたしには受けるバプテスマがあります。それが成し遂げられるまでは、どんなに苦しむことでしょう。あなたがたは、地に平和を与えるために来たと思っているのですか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ、分裂です。今から、一家五人は、三人がふたりに、ふたりが三人に対抗して分かれるようになります。父は息子に、息子は父に対抗し、母は娘に、娘は母に対抗し、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに対抗して分かれるようになります。」(ルカ12:49~53)
 イエスさまが投げ込んだ火とは何でしょうか。イエスさまは、それが燃えていることを願っておられるのです。ルカの福音書の文脈から見れば、それは、「目を覚ましていること」(ルカ12:37)「主人の心を知り備えをしていること」(ルカ12:47)とつまがります。つまり、そこに聖霊の支配があり、具体的に信仰を働かせているということです。そして、そこに分裂がおこるのは、生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れる事が出来ないからです。(Ⅰコリント2:14) 私たちがこの世の知恵ではなく、御霊のことばを語るなら、生まれながらの人間は、これに強く反発します。逆に言えば、生まれながらの人間が葛藤もなく、反発もせず、心地よく聞けたり、聞き流したりできるとしたら、それは、御霊のことばではなく、この世の知恵なのです。パウロとバルナバは、御霊のことばを語っていたので、信じる人たちも獲得しましたが、同時に彼らをはずかしめ、殺そうとする人たちも現れます。(使徒14:5)  ルステラで生まれながらに足のきかない人がいました。この人はパウロの話に耳を傾けていました。そして彼に「いやされる信仰があるのを見た」のです。 パウロは、大声で言いました。「自分の足で、まっすぐに立ちなさい。」(使徒14:10)生まれながらに自分の体重を支えたことなどない足です。きっと筋肉もなく、細くて短くて弱々しい足です。誰の目にも、とうてい使い物にならないと見えたに違いありません。信仰ということを無視すれば、自分の力で一歩も歩んだことのない人に対して、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」ということばはあまりにも思いやりを欠いた残酷なものです。ところが、「彼は飛び上がって歩き出した」(使徒14:10)と書いてあります。ゆっくりよろめきながら、歯を食いしばって立ち上がったのではなく、飛び上がって歩き出したのです。この後、群衆はパウロとバルナバを祭り上げる大騒ぎをしますが、そんな気持ちになるほどの奇跡でした。
「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」ということばは、もちろん、このとき、この男に対して、個人的に語られたことばです。しかし、私は主がすべての信じる人たちに語っておられるように思えるのです。イエスさまは、38年間病気だった男には、「よくなりたいか」とおたずねになり、「起きて、床を取り上げて歩きなさい」と言われました。また、生まれつきの盲目の人には、その目に泥を塗り、「行って、シロアムの池で洗いなさい」と命じられました。これらの例には共通点があります。すべてのことは、主がしてくださいます。いっさいが恵みです。しかし、信仰はただ受け身ではないのです。信じた者は、自分が信じたことを表現する必要があります。神は私たちをずっと受け身でいさせるようなことはありません。信仰は「たなからぼた餅」のような祝福を受けることではありません。よみがえりのいのちによって立ち上がり、イエスさまとともに歩むことです。
いつまでも、自分の足で立とうとしない人がいます。その人は、自分の足がいかに不自由かを詳しく語ります。今まで自分は一度も自分の足で立ったことがないし、まっすぐになど立てるわけがないと考えています。そして、「誰かが自分を支えて立たしてくれたらいいのに」「誰かが手を引いてくれるべきだ」と思います。そして挙げ句の果てに、「神さまは自分をこんな足にして、その上、立たせてもくれない」と言うのです。これでは、全く状況は変わりません。自分の現状から出発して考えていたのでは、足なえはいつまでも歩けず、依然として病気は治らず、死ぬまで目は見えないままです。すべてはみことばから出発し、みことばの約束を握って一歩踏み出すことです。私たちは萎えた足で立ち上がることができます。一歩も歩いたことのない足で、飛び上がり走り回ることができるのです。自分の中の可能性はゼロです。ただ、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」という命令に力があるのです。それが主によって出来ると信じれば出来るのです。信仰というのはそういうことです。丈夫な足で飛び上がってもそれは、丈夫な足の力です。一歩の歩いたことのない萎えた足で飛び上がり、歩き出すから、それは主の力なのです。
その奇跡を見た群衆は、パウロとバルナバにいけにえを捧げようとしました。それは、間違っていました。癒された本人には信仰がありましたが、それを見ていた群衆には信仰がありませんでした。確かな主のわざを見ても、それが正しく理解され、評価されるわけではありません。生まれつきの人間は、現象を賛美し、人間を崇拝します。目に見えるものにしか反応できないのです。
イコニオムでは石打を逃れたパウロとバルナバでしたが、ルステラでは、そういうわけにはいきませんでした。神様扱いされて、的はずれな賞賛を受けたかと思えば、群衆に囲まれ、石打にされ、死ぬほどの目にあっています。(使徒14:5~6,19)これは、とても不思議です。神様はいつも災いから守ってくださるわけではありません。パウロは、この問題に関しては、次のように語っています。「私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない。」(使徒14:22)私たちが聞いた福音は、家族を分裂させ、多くの苦しみを経験させるものです。本当に聖書が語っていることは、調子の良い人集めのキリスト教が言っていることと何と異なっていることでしょう。私たちが語らなければならない福音は、イエスご自身です。それは、人となられた神の御子キの人格なのです。イエスさまという御方から切り離された祝福や恵みではありません。哲学でも道徳でもありません。教えではなくいのちなのです。
アンテオケに戻ってきたパウロとバルナバから、残っていた弟子たちは、異邦人に信仰の門を開いてくださったという報告を受けました。(使徒14:27)しかし、弟子たちはその嬉しい報告とともに、石に打たれた痛々しいあざや傷跡を、ふたりの顔やからだに見たはずです。パウロは晩年に、この時期を振り返ってこう語っています。「また、アンテオケ、イコニオム、ルステラで私にふりかかった迫害や苦難にも、よくついて来てくれました。何というひどい迫害に私は耐えて来たことでしょう。しかし、主はいっさいのことから私を救い出してくださいました。確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」(Ⅱテモテ:11~12)
ですから、時に、逆風が吹き荒れ、つらい思いをするのも当然なのです。しっかりその中で、立ち上がり、イエスさまとともに歩みましょう。信仰の力が無力に感じるときがあるからこそ、パウロは「しっかりと信仰にとどまるように」勧め、弟子たちの心を強めたのです。(使徒14:22)

7月1日 イエスの証人

 初代教会は、ステパノの殉教に続く迫害を受けて、その難を逃れるかたちで、福音をユダヤとサマリヤに伝えました。その結果、それぞれの町に信じる者たちの集まりが出来始めました。その頃、迫害者パウロは、ダマスコの途上で目からうろこの回心を果たし、一方、ペテロによるローマのは百人隊長コルネリオとの出会いで異邦人への救いの計画について目が開かれました。 イエスを信じる弟子たちの群れは、シリヤのアンテオケで、「キリスト者」と呼ばれるようになり、次第に大きな影響力を持つようになりました。そして、町ごとの集まりは、それぞれの力に応じて助け合う交わりを持ち始めました。使徒13章は、そのような背景の下、エルサレムへの救援物資を届ける任務を終えて戻って来たバルナバとパウロが、休む間もなく、さらに新しい任務に遣わされるところから始まります。(使徒12:25)それは、本人たちの意思を超えた完全な聖霊の導きでした。(使徒13:2)いよいよ第一次伝道旅行の始まりです。  これから、たくさん地名が出てきますので、頭の中におおよその地図が描けるようになっておくと、読んでいて臨場感が増すと思いますので、簡単に示しておきます。一度に全部は覚えられませんが、知らない地名が出てきたら、どのあたりかなと地図で確認してみてください。さて、シリヤ領のアンテオケが、これから伝道の拠点になっていきます。バルナバとパウロは、地中海に浮かぶバルナバの故郷キプロスに渡り、さらにパンフリヤのペルガに入り、ピシデアのアンテオケへ移動します。これらの町は現在のトルコ領です。出発したアンテオケはシリヤですから、同じ名前ですが実は別の場所です。いずれも、セレウコス・ニカトルが父親のアンティオコスの名前にちなんで建てた町です。この13章のメッセージは、ピシデアのアンテオケのユダヤ人シナゴーグで同胞のユダヤ人向けに語ったものです。パウロは2週にわたってメッセージをしますが、2週目にはほとんど町中の人が集まり、ここでみことばを拒否するユダヤ人と受け入れる異邦人とに二分され、そこに住むユダヤ人たちに見切りをつけたバルナバとパウロは、さらにイコニオムへと進みます。21世紀の日本に生きる私たちが、バルナバやパウロの華々しい活躍ぶりを見ると、彼らの信仰の素晴らしさや賜物の豊かさに圧倒されるかもしれません。しかし、私たちも彼らと同じいのちを共有し、同じ聖霊をいただいています。今日は「イエスの証人」というタイトルにしましたが、バルナバやパウロをはじめ、私たちクリスチャンがイエスの証人たり得るのは、イエスさまの約束のみことばが支えているからです。イエスさまご自身が語られた重要なみことばの約束を確認します。
「そこで、イエスは聖書を悟らせるために彼らの心を開いてこう言われた。『次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、3日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらのことの証人です。さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。』」(ルカ24:45~49)「イエスは言われた。『いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお決めになっています。しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。』こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた」(使徒1:8)
私たちは「イエスの証人」です。それは、私たちの資質や努力によるのではありません。すべては神さまの召しと聖霊にかかっているのです。宣教を支えるのは、教会の組織力でもなく、ペテロの積極性でもバルナバの寛容さでもパウロの才能でもありません。大事なのは、聖霊の力です。使徒の働きに展開していることは、これらのイエスさまのみことばの成就なのです。バルナバとサウロ(パウロ)を遣われたのは、聖霊がそう言われたからです。資格試験をしたり、話し合いをしたりして決めたわけではありません。(使徒13:2,4)サラミスでエルマという魔術師を叱責したことも、人間的な対立や感情によるものではなく、聖霊による憤りからのものでした。(使徒13:9)パウロの激しいことばは、エルマという人物の本質を捕らえ喝破しています。これは、パウロの並はずれた知識や豊富な経験から得た洞察ではなく、ただ聖霊に満たしによって、エルマの霊を見抜いたのだとわかります。
エルマは、神のことばを聞きたいと願っていた地方総督セルギオ・パウロを、信仰から遠ざけようとしていたのです。(使徒13:7~8)みことばのあるところには、常にそれを聞きたいと願う人たちと、それに敵対する人たちがいます。(使徒13:42,45)人間的な性格がどうとか、好き嫌いとか、そういうものを遙かに超えた関係性が露わになります。みことばを拒む人たちは、その自らの意思決定によって、「自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者」と決めるのです。(使徒13:46)一方、信じる人たちは、自分たちが「永遠のいのちに定められていた」(使徒13:48)ことを感謝します。この救いと選びに関するふたつのみことばは同じ事実について語っています。それは難しい教理ではありません。それは、神が決めるのではなく、証人の証の上手・下手や熱心・不熱心が決めるのでもありません。みことばを聞いた当人が自分の意思で受け入れたり、拒んだりするのです。聖書の最重要事項は、イエスを信じるか信じないかという、たったそれだけの極めて簡単な意思決定によるのであり、それがすべてです。
救いにはふたつの側面があります。ひとつは、罪からの解放であり、もう一つは、この世からの解放です。聖書の中では、罪からの解放は、出エジプトで表現されており、世からの解放は、カナンの相続で表現されています。私たちは、罪の赦しを受けてもなお、自分の資質や賜物、状態にこだわっていることが多いものです。これは「世の領域」のことです。そういうところにいつまでもとどまっていてはいけないのです。私たちが依然として自分にこだわっているなら、シナイ山のまわりをいつまでもグルグル回っている荒野でいのちを落とした人たちと同じです。こういう状態にとどまる人たちを神さまは怒っておられるのです。(ヘブル3:17)ヨシュアとカレブのように、約束の地で具体的に勝利を得るためには、信仰によってそこから抜け出す必要があります。ヨシュアとカレブは、自分たちの力を過信したのでも、とびきり勇気があったのでもありません。彼らとて、みことばの約束がなければ、おじけづく要素は目の前にいっぱいあったのです。ただ、勝利を得たふたりは、そういう自分や自分のまわりのマイナス条件を全く考えなかったのです。そういう問題から解放されていたわけです。パウロは、13章に記されたユダヤ人へのメッセージの中で、先祖の歴史を振り返りながら、こう言っています。「モーセの律法によって解放されることのできなかった全ての点について、信じる者はみな、この方によって解放されるのです」(使徒13:39)本来クリスチャンは、律法に引っかかるすべての問題から解放されていなければいけないのです。「解放される」というのは、実は、「義と認められる」という意味です。これは、欄外の脚注にも書いてあります。「解放される」というのは、これから何かが起こって義と認められるのではなく、すでに義と認められていることを知り、その事実にとどまるということです。さらに進んだ状態へ変えられることではなく、完全な立場を確認することなのです。今日多くのクリスチャンは、この「解放」がきちんと確認されていないので、「証人」としての力が弱いのです。私たちとバルナバやパウロの差はここにあります。解放されていることを日々の暮らしの中で経験して、勝利を宣言することが大事です。エルマのようなでたらめや悪巧みは許さず、にらみつけ、叱責する姿勢も大切です。
神から義と認められる確信が得られない人は、絶えず人からの承認を得ようとします。自分のあり方にも常に自信が持てないでいるので、自分の心の中で互いに責め合ったり弁明し合ったりして、いつまでも前には進めないでいるのです。この「彼らの思いは互いに責め合ったり、弁明し合ったりしています」(ローマ2:15)という言いまわしは、パウロが異邦人について語っている箇所に見られる表現ですが、福音も律法にしてしまうクリスチャンは、「ああでもない」「こうでもない」といつまでも葛藤を繰り返して、いのちの道を歩めず、聖霊の力もほとんど味わうことがありません。礼拝も奉仕も、すべてが形式的、組織的になってしまうわけです。
キリスト者であるなら、私たちはイエスの証人です。証人の理想的な態度は、バプテスマのヨハネに見られます。パウロはピシデアのアンテオケでのメッセージの中で、バプテスマのヨハネについて、次のように語りました。「ヨハネは、その一生を終えようとするころ、こう言いました。『あなたがたは、私をだれと思うのですか。私はその方ではありません。ご覧なさい。その方は後からおいでになります。私はその方のくつのひもを解く値打ちもありません。』兄弟の方々、アブラハムの子孫の方々、ならびに皆さんの中で神を恐れかしこむ方々、この救いのことばは、私たちに送られているのです。」(使徒13:25~26)
 バプテスマのヨハネは聖霊に満ちた人でしたが、何の奇跡も起こしませんでした。この「一生を終えようとするころ」に語ったと言われる短いことばの中に彼の信仰がはっきりと伺えます。 バプテスマのヨハネが一生をかけてこだわったのは、ただ「その方」です。イエスをキリストとして紹介することがすべてでした。聖霊に満たされた人は、聖霊そのものを主張しません。「御霊はわたしの栄光を現わします。」(ヨハネ16:14)とイエスさまは言われました。バプテスマのヨハネは、「あなたはどなたですか」と問われ、自分は何者でもないと、不思議な返事を繰り返します。「私たちを遣わした人々に返事をしたいのですが、あなたは自分を何だと言われるのですか。」と問われ、ようやく答えたのが、「預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ』と荒野で叫んでいる者の声です。」(ヨハネ1:23)というものでした。この箇所は、イザヤ40:3のみことばです。KJVでは、『荒野で叫んでいる者』は、The voice of himです。エルサレムはherと表現されています。ヨハネは「自分は声だ」と言いました。声の主は神ご自身です。証人は「声」であるべきなのです。自分が声の主になって、主が語られてもいないことを語る人々は、イエスの証人とは言えません。
この使徒13章におけるパウロのメッセージにしても、あのステパノのメッセージにしても、まるでグーグル・アースのように、歴史全体を鳥瞰し、ものすごいスケールで、的確に語っているのに驚かされます。信仰によって神の主権と、歴史に浮かび上がるキリストの姿を見ているのです。私たちは、たぶんその最終ランナー、ゴールに近いところを走っているという自覚をもう少し持つべきでしょう。

2007年6月28日木曜日

6月24日 神の主権

 
この章を通して読まれたときに、「なぜヤコブはあっけなく殺され、ペテロは救い出されたのだろう」と考えない人はいないでしょう。そして、多分次に考えることは、「ペテロを救い出すことが出来た神さまは、どうしてヤコブも同じように救ってくださらなかったのか」ということではないでしょうか。
しかし、実はこの問い自体がすでに答えの一部を含んでいます。神さまは非常に難しい状況の中にあったペテロを、不思議な方法で救われました。それは、同時にヤコブをも救うことができたことを意味しています。ペテロもヤコブも、ともに簡単に助けることがお出来になるはずの神さまが、あえてヤコブを敵の剣から守ることをなさいませんでした。それは、神さまの主権において、深いみこころの中で行われることであって、人の思いや願いを超えています。それが「なぜ」なのかはわかりません。なぜペテロが救われヤコブが救われなかったのかという理由など、誰一人として答える事など出来ません。人は神のなさることに説明を求め、神御自身を理解したがります。しかし、神は人が納得することではなく、ただ信じることをお求めになっています。
教会はペテロのために熱心に祈っていました。教会はなぜ熱心に祈ったのでしょう。また、何を願って祈ったのでしょう。まず、「なぜ熱心に祈ったのか」という問いの答えです。それはヤコブにおこったような悲劇がペテロに及ばないようにということです。ヤコブの死が祈りを本気にさせたことは間違いないでしょう。次は「何を願って祈ったのか」という問いの答えです。もちろん、ペテロの身の安全と釈放を願ったのです。しかし実際は、ペテロ本人は獄中で寝ていますし、兄弟姉妹たちも、ペテロが無傷でただちに釈放されるなどとは全く思っておらず、獄から出てきたペテロを目の当たりにしても、なお信じる事が出来ずにいた様子が詳しく書かれています。  御使いがペテロ脇腹をたたいておこすくだりや、ロダという女中が解放されたペテロを見た驚きのあまり、門を開けもしないで中に入ってしまい、ペテロがずっと門をたたき続けていたというエピソードは、とてもリアルで、読んでいても非常におもしろいところです。4人4組の兵士合計16人が、民間人のペテロひとりを監視していたのですから、これはかなり厳重な監視です。ペテロはその監視の中で2本の鎖につながれていたのです。牢の中にも、外にも兵士がいました。洞穴に石や鉄柵というような簡単な牢ではなく、衛所が2箇所もあり、外に通じる門は鉄の門で閉ざされていました。このような脱出不可能な状況にあったにも関わらず、ペテロは何の努力もせずに脱獄できたのです。ペテロは、幻を見ているのだと思いながら、半信半疑で御使いに導かれ、町に出てからようやくことの次第を理解したのです。(使徒12:9~11)
兄弟姉妹はペテロのために祈りました。そして、ペテロは釈放されました。しかし、ただそれだけではありません。ヤコブが殺されたことによって、教会の祈りの質は、ずいぶん慎重で深い内容へと導かれたはずです。勿論ペテロが無事でいることは、一番基本的な共通の願いです。しかし、このときの教会の祈りは、「単にペテロが無事でいますように」という人間的な祈願とは、違った内容が含まれていたはずです。「ペテロがみこころの中を歩めるように」「神さまの御名があがめられるように」「ペテロがこの投獄を通してすばらしい証が出来るように」など、さらに深く主の思いに近づく祈りが捧げられたしょう。その中で、主は恵みであり、まことであり、愛であり、真実であり、はじめであり、終わりであることを告白し、主のみことばの約束に目を向け、その力強さの中に平安を見出すのです。
私たちの祈りを超えて、主がみこころのままにある人を助け、ある人を助けないのだとしたら、祈ることそのものが無意味なのではないかと思われるかもしれません。しかし、大事なことは、祈りの結果は、人の思いや願いと全く無関係というわけはないということです。ペテロのために教会が熱心に祈っていたことも、その結果としてペテロが解放されたことも事実です。多くの人は、それは偶然だと言うかも知れません。あるいは、この記事自体が作り話だと考えるかも知れません。一般の方は、御使いなるものが登場しただけで思考はストップするでしょう。ヘロデが急死したのも、神に打たれたからではなく、心臓発作か何かだということで納得するでしょう。
必死に祈っていた兄弟姉妹たちさえ、ペテロが解放されたことには驚いたのです。しかし、祈った兄弟姉妹は、それが決して偶然だとは思いませんでした。それは、確かに自分たちが祈ったからです。そして、そのことは主がしてくださったのです。このように、祈りは、神さまと私たちとの確かなつながりを教えるものです。それは、私たちと子どもたちや夫婦といった家族の関係と似ています。例えば、親は子どもが欲しがるものをすべて買い与えたりはしません。しかし、子どもに必要なものは、何でも与えうる限りのものを、ふさわしい場面で与えようとします。小さなこどもが欲しがるものは、本人にとってはとても重要なものでしょうが、それはつまらないおもちゃだったり、どうでもいいお菓子だったりします。もちろん、幼い子どもにはそうしたものも必要ですが、親は子どもの将来にわたって与えたいものを準備し、そのために働いています。親があえて子どもの欲しがる何かを与えないときには、それを与えないきちんとした理由があるのです。子どもには、そのときすべてを理解できず、ただ厳しいだけのケチな親だと見えるかもしれませんが、そうではありません。「不完全な人間の親でさえそうなのだから」という言い回しは、イエスさまも用いられました。
「してみると、あなたがたは、悪い者であっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすればなおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものをくださらないことがありましょう。」(マタイ7:11)おそらく、イエスさまはこの話を何度か繰り返してされたはずです。マタイは、このメッセージを山上の垂訓と呼ばれている箇所にまとめて編集していますが、ルカは、弟子たちが「祈りを教えてください」とイエスさまにお願いした流れの中で書いています。(ルカ11:1~13)たとえの細かいところも、「パン」と「石」が「卵」と「さそり」に変わったりしています。これは、弟子たちが不確かな記憶をたどって書いたのではなく、イエスさまが何度もこの話をされた証拠なのだと私は考えています。ある時のお話はパンだったものが、ある時は卵に変わったりしたのです。目の前にパンがあった時にはパン、誰かが卵を持っていたら卵というように、きっとイエスさまはその都度、聞く者の理解度や関心に合わせて語られたのでしょう。そして、このふたつの平行箇所を読み比べて絶対気づいていただきたいのは、この部分です。マタイの方では「どうして、求める者たちに良いものをくださらないことがありましょう。」(マタイ7:11)となっていますが、ルカの方では「どうして、聖霊を下さらないことがありましょう」(ルカ11:13)となっています。究極の良いものは聖霊です。聖霊は神御自身であり、すべてをすでに与えてくださっているのだと知るのです。
このように考えてくると、ただ単に効果や効率を考えるなら、長く熱心に祈り続けることはあまり意味がなさそうです。あらゆる点からみて、神さまが自ら予定もしていない、御自身が思いつきもしなかったことを、人間の提案に気づかされて、それを受け入れられるということは絶対にありません。また、その祈りの質の高さや熱心さによって、ある種の嘆願や署名に動かされるように、思惑を変えられるということもないのです。だとすれば、人は何のために祈らねばならないのでしょうか。また、神さまはなぜ失望せずに祈り続けることを求められているのでしょうか。
祈りは、神の必要のためではなく、人の必要のためにあるのです。すべての良きことにおいて、人が神をさしおいて出発点になるということはありません。 祈りは霊の呼吸であって、子である私たちと天の父をつなぐものです。祈りによって、私たちは父の愛と力を知るのです。何かが不足しているから、何かの問題の解決のために祈るのではなく、私たちはすでに主にあって満ち満ちており、そして何もかも十字架で完了したことを学ぶために、私たちは祈る必要があるのです。神さまのわざに不足や遅れがあるから催促するのではありません。また、立派なキリスト者のしるしとして祈るのでもありません。祈らなければならないというより、祈らずにはいられないはずです。私は祈り、そして答えられます。その答えは、常に私たちの願ったところを遙かに超えてすばらしいのです。「ああ、神の知恵と知識の富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測りがたいことでしょう。なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」(ローマ11:33~36)
最後に、後半のヘロデに関する記事を見てみましょう。ヤコブを殺し、ペテロを捕らえたヘロデは、ヘロデ・アグリッパ1世です。イエスさまがお生まれになるときに、幼子を虐殺したヘロデ大王の孫であり、バプテスマのヨハネの首を切ったヘロデ・アンティパスの甥にあたる人物です。教会の迫害は、ローマによるものではなく、ユダヤ人の指導者から始まり、ここではイスラエルの王が命令を出して、指導者のひとりヤコブを殺害するにまで至りました。続いてペテロを捕らえたのもユダヤ人指導者のご機嫌をとるための迫害でした。(使徒12:3)この後、ヘロデは演説の最中に虫にかまれて死にます。彼は栄光を生涯にわたって栄光を神に帰すことはありませんでした。そして、この件に関わったのも主の使いです。同じ死でもヤコブの死とヘロデの死は全く質の違うものです。地上での信仰や生き方は永遠を決定します。ヘロデは偉大な王の死、ヤコブは無名の庶民の死かも知れません。しかし、神の目には全く違います。大きな差があります。神の目にヤコブの死は極めて尊いのです。そして、神の主権と永遠の祝福の中では、ヤコブとペテロの祝福には違いはあっても差はありません。早死にしたヤコブへの祝福が乏しかったと考えてはいけないのです。これも大事な認識です。どんなに理不尽な迫害があっても、為政者がいかに神を知らず愚かであっても、この世界の主権者はイエスさまです。この世界に関することだけなら、働きの大きさだけを見て、祝福がアンバランスに感じられるかも知れませんが、イエスさまは来るべき世界においても、永遠に主権者なのです。ヘロデの虚栄は虫けらによって崩壊するレベルのものなのです。イエスさまは、金正日が北朝鮮に君臨するように、世界に力を行使されません。祈りがこの御方が確かに主権者であることを確信する唯一の手段です。「主の使いは、主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。」(詩編34:7)私たちの回りには、主の使いがおられ、守られているのです。この約束を握っていることは、どんなすごい人脈を持っていることよりも、特約保険に入っていることよりも、安心でお得です。

2007年6月22日金曜日

6月17日 キリスト者と呼ばれて

アンテオケは、ローマ、アレキサンドリアに次ぐ当時第3の都市でした。この異教の空気に満ちたアンテオケが伝道の拠点となり、この場所で弟子たちは「キリスト者」と呼ばれ始めます。(使徒11:26)このキリスト者という呼び方は、弟子たちが自らそのように名乗ったのではなく、周辺の人たちが軽蔑をこめてつけてあだ名であったと言われています。そして、これ以降、アンテオケが教会の働きの拠点となり、エルサレムは姿を消します。兄弟たちの群れは、ナザレ派というユダヤ教の小さな異端グループから、「キリスト者」という全く新しい性質の群れとして認知されたのです。今日は、このアンテオケにおいてキリスト者と呼ばれ始めた兄弟たちの信仰の本質に迫ります。
エルサレムに上ったペテロは、ユダヤ人の兄弟たちから批判されました。批判を受けた理由は、異邦人と交わったということです。先週もお話しましたが、当時は異邦人がユダヤ人と等しい扱いを受けるという発想自体がなかったのです。異邦人が救われてキリストにあって兄弟姉妹となるなど思いもよらないことだったのです。そこでペテロは、異邦人が神のみことばを受け入れることになった経緯を説明します。「そこで、ペテロは口を開いて、事の次第を順序正しく説明して言った。」(使徒11:4)と書かれています。10章に書かれていたヨッパで見た夢の中身が、11章でも同じように丁寧に繰り返されています。これは非常に重要な証です。パウロが自分の救いの証にこだわって何度もそれを語ったことはお話しました。「主が私をどう導かれたか」というのが、本来証のベースなのです。キリスト者はキリストの復活の証人であって、私の証人ではありません。「私が祝福された」とか、「悩みが解決した」とかは、「私の証」であって「イエスの証」ではありません。ペテロのような証をすれば、神学論争に巻き込まれることはありません。「異邦人も救われるべきだろうか」などというトピックについて論じても始まらないのです。神学の論争は、自らの主張を正当とし、そうではないものを異端として排斥します。こうして「~派」が誕生するわけです。神のみこころを人間の知恵で体系化しようとする試みは、ことごとく失敗します。「神はこれこれこうだから、かくあるべし」という主張は、常に、神の権威を借りて、人が人を支配する口実を生む危険性を孕んでいます。理屈は不毛です。イエスさまに論争をしかけたパリサイ派やサドカイ派は、結局真理に触れても悔い改めはしません。神学がもたらすものは「敵意」です。教えを守ることは律法です。いのちを生きるのが福音です。キリスト教は教えですが、キリストはいのちなのです。愛することには方法なんてありません。たとえば、「子どもを1日3回抱きしめましょう」なんて決まりに従って、親が子どもを抱きしめるなんて不自然でしょう。勿論「抱きしめることで愛情を表現することが無意味だ」と言っているのではありません。私たちはプロミスキーパーズになる必要なんてないのです。主は常に生きておられ、私たちを個別に導かれます。キリスト者とは、キリスト教の教えに従って歩む者ではなく、キリストのいのちを生きる者です。 日本史で習う踏み絵などのイメージが強烈に刷り込まれてしまっているかも知れませんが、キリストにあって生まれたものは、決していのちを失うことなどないのです。キリスト教徒は教えを捨てるかも知れませんが、キリスト者となった者はキリスト者でなくなることはないのです。子どもはいくら親不孝をしたって子どもでなくなるということはありません。子どもでいられるための条件を守ることによって、子どもとしての身分が保障されるわけではありません。
「主はこのように導かれました。以上、終わり」です。ペテロの証は単純ですが、教えではなく、体験した事実を語っているので非常に説得力があります。さらに、ペテロは自分が見聞きしたことともに、「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは、聖霊によってバプテスマを授けられる」という主のみことばを思い出ことを語ります。そして、「神がなさることなら、自分は妨げるわけにはいかない」と証を締めくくります。ペテロの証は、彼を批判していた兄弟たちを沈黙させました。彼らはこの証を受け入れ、神のみこころを理解し、神をほめたたえたのです。(使徒11:18)みことばの裏付けがあることが、説得力の鍵です。たとえ3度にわたって同じような夢を見て、その夢の内容が何らかの事実と当てはまったとしても、単なる偶然かも知れません。みことばの裏付けがあることが、批判していた兄弟たちを黙らせることにつながったのです。現代における主の導きも全く同じです。聖霊がみことばと矛盾するような導きを与えることは絶対ありません。みことばと矛盾した聖霊の働きを強調する人たちは、それが人間わざではないことにその証拠を求めようとしますが、間違いです。確かにそれは人間わざではなく、サタンのわざでしょう。超自然的な出来事はどんな宗教にでもあります。そういう摩訶不思議が、陳腐な教理でも飲み込ませるオブラートになるわけです。真の神が、みことばと矛盾するような現象をおこされることは100パーセントあり得ません。神さまが私たちを導かれるときには、必ずみことばを思い起こさせます。具体的な出来事にみことばをどのように適応するかは、非常にデリケートな問題です。「汚れた動物を食してはならない」というのもみことばなら、「神がきよめたものをきよくないといってはならない」というのもみことばです。このふたつのみことばの間の関係性を正しくとらえることが必要です。後のみことばに従うなら、表面上は「汚れたものを食べる」という先のみことばに明らかに反する行為に導かれるからです。汚れた動物は確かに汚れています。しかし、神がきよめられたのできよいのです。後から語られたみことばは、先のみことばと矛盾しているのではなく、後のことばが先のことばを包み込むような関係になっているのがわかります。みことばの断片を自分の願いや現状と結びつけて、都合よく解釈する人もいますが、みことばは複数のみことばの関係性や文脈の中でしか正しく理解できません。そして最大のポイントは、イエスさまはどのような御方であるかという主のご人格です。聖霊はみことばの中にイエスさまを浮き上がらせます。みことばから道徳しか受け取らない人がいますが、その人は自己中心の傲慢さで聖霊の働きを封じているのです。
エルサレムにおける迫害が、異邦人世界への宣教を導きました。また、大ききんによって、兄弟たちが不足を補って支え合い、それぞれの地方におこり始めた教会を結びつけます。これらはすべて主が導かれたことです。迫害もききんもそれ自体は決してありがたいものではありません。しかしなから、この世で起こるさまざまなマイナスの出来事さえ、主は大きなプラスに転じてくださるのです。主が地上のマイナスをプラスに転じるためには、主に委ねられた人をお用いになります。ここでは、バルナバという人物がまずアンテオケに導かれ、そこで異邦人の兄弟たちに会います。そして、パウロを捜すためにタルソへ行き、アンテオケにパウロを連れて来ます。そこで1年間ともに教会を指導し、ユダヤききんがあったときには救援物資を送ります。このバルナバという兄弟の働きについてともに分かち合いましょう。バルナバは、「りっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。」(使徒11:24)と書かれています。聖霊と信仰に満ちているというのは、抽象的な評価ではありません。それは必ず具体的な行動となって現れるものです。まず、バルナバというのは、「慰めの子」という意味で使徒たちが彼の個性をとらえてそのように呼んでいたのです。彼の本名はヨセフです。彼は、自分のすべてをキリストと教会のために捧げた人でした。畑を売り払って、その代金を使徒たちの足もとに置いたという記述もあります。(使徒4:36~37)また、多くの弟子たちが回心したパウロを受け入れられないでいるときに、間に入ってとりなしたのも、バルナバでした。(使徒9:26~28)パウロがエルサレムに自由に出入りし、大胆に証することが出来た背景には、バルナバの助けがあったのです。 バルナバは、パウロの信仰やこだわりを最もよく理解していた兄弟です。彼はパウロとともに自分の生活費や行動の費用は自分で働いてまかなっていました。(Ⅰコリント9:6)バルナバは、「人間的な報酬をもとめず、主にゆだねてくださった仕事を淡々とこなすこと自体が報酬なのだ」(Ⅰコリント9:17~18)というパウロの信仰の誇りを指示するだけでなく、自分も同じように働いたのです。 バルナバは、他の使徒たちにとってもそうでしたが、とりわけパウロにとって、その名前のとおり「慰めの子」だったと思われます。
今日は「キリスト者と呼ばれて」という主題でお話しました。今日の私たちの姿や証はどうでしょうか。私たちの周囲の人たちは、私たちをキリスト者として見ているでしょうか。また、私たち自身は、自分をどのようなものとして評価しているでしょうか。私たちは、キリストの焼き印をおびたキリストの使節です。すべての信者はそれ以上でもそれ以下でもありません。私は、まずクリスチャン自身の自己評価、いわゆるセルフエスティームが低すぎると感じています。だから、人の評価や慰めが絶えず必要なのです。私たち自身がみことばが規定するところの自分を、信仰によって正しく評価できないのに、この世が私たちを本来の意味での「キリスト者」として、世の光、地の塩として見なすことなどあり得ません。
主につくがゆえに、信仰を選ぶが故に、嫌われてもかまいせん。しかし、何を大事にしているのかも、わからない妥協を繰り返して、この世からなめられるのはキリストの恥、教会の恥です。この世と意味無く敵対する必要はありませんが、調子を合わせてはいけません。人の歓心を買おうとする人は、教会でも用いられず、この世でも相手にされません。
私は、パウロやバルナバの信仰のゆえの誇りを大事にしたいと思っています。