2007年6月28日木曜日

6月24日 神の主権

 
この章を通して読まれたときに、「なぜヤコブはあっけなく殺され、ペテロは救い出されたのだろう」と考えない人はいないでしょう。そして、多分次に考えることは、「ペテロを救い出すことが出来た神さまは、どうしてヤコブも同じように救ってくださらなかったのか」ということではないでしょうか。
しかし、実はこの問い自体がすでに答えの一部を含んでいます。神さまは非常に難しい状況の中にあったペテロを、不思議な方法で救われました。それは、同時にヤコブをも救うことができたことを意味しています。ペテロもヤコブも、ともに簡単に助けることがお出来になるはずの神さまが、あえてヤコブを敵の剣から守ることをなさいませんでした。それは、神さまの主権において、深いみこころの中で行われることであって、人の思いや願いを超えています。それが「なぜ」なのかはわかりません。なぜペテロが救われヤコブが救われなかったのかという理由など、誰一人として答える事など出来ません。人は神のなさることに説明を求め、神御自身を理解したがります。しかし、神は人が納得することではなく、ただ信じることをお求めになっています。
教会はペテロのために熱心に祈っていました。教会はなぜ熱心に祈ったのでしょう。また、何を願って祈ったのでしょう。まず、「なぜ熱心に祈ったのか」という問いの答えです。それはヤコブにおこったような悲劇がペテロに及ばないようにということです。ヤコブの死が祈りを本気にさせたことは間違いないでしょう。次は「何を願って祈ったのか」という問いの答えです。もちろん、ペテロの身の安全と釈放を願ったのです。しかし実際は、ペテロ本人は獄中で寝ていますし、兄弟姉妹たちも、ペテロが無傷でただちに釈放されるなどとは全く思っておらず、獄から出てきたペテロを目の当たりにしても、なお信じる事が出来ずにいた様子が詳しく書かれています。  御使いがペテロ脇腹をたたいておこすくだりや、ロダという女中が解放されたペテロを見た驚きのあまり、門を開けもしないで中に入ってしまい、ペテロがずっと門をたたき続けていたというエピソードは、とてもリアルで、読んでいても非常におもしろいところです。4人4組の兵士合計16人が、民間人のペテロひとりを監視していたのですから、これはかなり厳重な監視です。ペテロはその監視の中で2本の鎖につながれていたのです。牢の中にも、外にも兵士がいました。洞穴に石や鉄柵というような簡単な牢ではなく、衛所が2箇所もあり、外に通じる門は鉄の門で閉ざされていました。このような脱出不可能な状況にあったにも関わらず、ペテロは何の努力もせずに脱獄できたのです。ペテロは、幻を見ているのだと思いながら、半信半疑で御使いに導かれ、町に出てからようやくことの次第を理解したのです。(使徒12:9~11)
兄弟姉妹はペテロのために祈りました。そして、ペテロは釈放されました。しかし、ただそれだけではありません。ヤコブが殺されたことによって、教会の祈りの質は、ずいぶん慎重で深い内容へと導かれたはずです。勿論ペテロが無事でいることは、一番基本的な共通の願いです。しかし、このときの教会の祈りは、「単にペテロが無事でいますように」という人間的な祈願とは、違った内容が含まれていたはずです。「ペテロがみこころの中を歩めるように」「神さまの御名があがめられるように」「ペテロがこの投獄を通してすばらしい証が出来るように」など、さらに深く主の思いに近づく祈りが捧げられたしょう。その中で、主は恵みであり、まことであり、愛であり、真実であり、はじめであり、終わりであることを告白し、主のみことばの約束に目を向け、その力強さの中に平安を見出すのです。
私たちの祈りを超えて、主がみこころのままにある人を助け、ある人を助けないのだとしたら、祈ることそのものが無意味なのではないかと思われるかもしれません。しかし、大事なことは、祈りの結果は、人の思いや願いと全く無関係というわけはないということです。ペテロのために教会が熱心に祈っていたことも、その結果としてペテロが解放されたことも事実です。多くの人は、それは偶然だと言うかも知れません。あるいは、この記事自体が作り話だと考えるかも知れません。一般の方は、御使いなるものが登場しただけで思考はストップするでしょう。ヘロデが急死したのも、神に打たれたからではなく、心臓発作か何かだということで納得するでしょう。
必死に祈っていた兄弟姉妹たちさえ、ペテロが解放されたことには驚いたのです。しかし、祈った兄弟姉妹は、それが決して偶然だとは思いませんでした。それは、確かに自分たちが祈ったからです。そして、そのことは主がしてくださったのです。このように、祈りは、神さまと私たちとの確かなつながりを教えるものです。それは、私たちと子どもたちや夫婦といった家族の関係と似ています。例えば、親は子どもが欲しがるものをすべて買い与えたりはしません。しかし、子どもに必要なものは、何でも与えうる限りのものを、ふさわしい場面で与えようとします。小さなこどもが欲しがるものは、本人にとってはとても重要なものでしょうが、それはつまらないおもちゃだったり、どうでもいいお菓子だったりします。もちろん、幼い子どもにはそうしたものも必要ですが、親は子どもの将来にわたって与えたいものを準備し、そのために働いています。親があえて子どもの欲しがる何かを与えないときには、それを与えないきちんとした理由があるのです。子どもには、そのときすべてを理解できず、ただ厳しいだけのケチな親だと見えるかもしれませんが、そうではありません。「不完全な人間の親でさえそうなのだから」という言い回しは、イエスさまも用いられました。
「してみると、あなたがたは、悪い者であっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすればなおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものをくださらないことがありましょう。」(マタイ7:11)おそらく、イエスさまはこの話を何度か繰り返してされたはずです。マタイは、このメッセージを山上の垂訓と呼ばれている箇所にまとめて編集していますが、ルカは、弟子たちが「祈りを教えてください」とイエスさまにお願いした流れの中で書いています。(ルカ11:1~13)たとえの細かいところも、「パン」と「石」が「卵」と「さそり」に変わったりしています。これは、弟子たちが不確かな記憶をたどって書いたのではなく、イエスさまが何度もこの話をされた証拠なのだと私は考えています。ある時のお話はパンだったものが、ある時は卵に変わったりしたのです。目の前にパンがあった時にはパン、誰かが卵を持っていたら卵というように、きっとイエスさまはその都度、聞く者の理解度や関心に合わせて語られたのでしょう。そして、このふたつの平行箇所を読み比べて絶対気づいていただきたいのは、この部分です。マタイの方では「どうして、求める者たちに良いものをくださらないことがありましょう。」(マタイ7:11)となっていますが、ルカの方では「どうして、聖霊を下さらないことがありましょう」(ルカ11:13)となっています。究極の良いものは聖霊です。聖霊は神御自身であり、すべてをすでに与えてくださっているのだと知るのです。
このように考えてくると、ただ単に効果や効率を考えるなら、長く熱心に祈り続けることはあまり意味がなさそうです。あらゆる点からみて、神さまが自ら予定もしていない、御自身が思いつきもしなかったことを、人間の提案に気づかされて、それを受け入れられるということは絶対にありません。また、その祈りの質の高さや熱心さによって、ある種の嘆願や署名に動かされるように、思惑を変えられるということもないのです。だとすれば、人は何のために祈らねばならないのでしょうか。また、神さまはなぜ失望せずに祈り続けることを求められているのでしょうか。
祈りは、神の必要のためではなく、人の必要のためにあるのです。すべての良きことにおいて、人が神をさしおいて出発点になるということはありません。 祈りは霊の呼吸であって、子である私たちと天の父をつなぐものです。祈りによって、私たちは父の愛と力を知るのです。何かが不足しているから、何かの問題の解決のために祈るのではなく、私たちはすでに主にあって満ち満ちており、そして何もかも十字架で完了したことを学ぶために、私たちは祈る必要があるのです。神さまのわざに不足や遅れがあるから催促するのではありません。また、立派なキリスト者のしるしとして祈るのでもありません。祈らなければならないというより、祈らずにはいられないはずです。私は祈り、そして答えられます。その答えは、常に私たちの願ったところを遙かに超えてすばらしいのです。「ああ、神の知恵と知識の富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測りがたいことでしょう。なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」(ローマ11:33~36)
最後に、後半のヘロデに関する記事を見てみましょう。ヤコブを殺し、ペテロを捕らえたヘロデは、ヘロデ・アグリッパ1世です。イエスさまがお生まれになるときに、幼子を虐殺したヘロデ大王の孫であり、バプテスマのヨハネの首を切ったヘロデ・アンティパスの甥にあたる人物です。教会の迫害は、ローマによるものではなく、ユダヤ人の指導者から始まり、ここではイスラエルの王が命令を出して、指導者のひとりヤコブを殺害するにまで至りました。続いてペテロを捕らえたのもユダヤ人指導者のご機嫌をとるための迫害でした。(使徒12:3)この後、ヘロデは演説の最中に虫にかまれて死にます。彼は栄光を生涯にわたって栄光を神に帰すことはありませんでした。そして、この件に関わったのも主の使いです。同じ死でもヤコブの死とヘロデの死は全く質の違うものです。地上での信仰や生き方は永遠を決定します。ヘロデは偉大な王の死、ヤコブは無名の庶民の死かも知れません。しかし、神の目には全く違います。大きな差があります。神の目にヤコブの死は極めて尊いのです。そして、神の主権と永遠の祝福の中では、ヤコブとペテロの祝福には違いはあっても差はありません。早死にしたヤコブへの祝福が乏しかったと考えてはいけないのです。これも大事な認識です。どんなに理不尽な迫害があっても、為政者がいかに神を知らず愚かであっても、この世界の主権者はイエスさまです。この世界に関することだけなら、働きの大きさだけを見て、祝福がアンバランスに感じられるかも知れませんが、イエスさまは来るべき世界においても、永遠に主権者なのです。ヘロデの虚栄は虫けらによって崩壊するレベルのものなのです。イエスさまは、金正日が北朝鮮に君臨するように、世界に力を行使されません。祈りがこの御方が確かに主権者であることを確信する唯一の手段です。「主の使いは、主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。」(詩編34:7)私たちの回りには、主の使いがおられ、守られているのです。この約束を握っていることは、どんなすごい人脈を持っていることよりも、特約保険に入っていることよりも、安心でお得です。

2007年6月22日金曜日

6月17日 キリスト者と呼ばれて

アンテオケは、ローマ、アレキサンドリアに次ぐ当時第3の都市でした。この異教の空気に満ちたアンテオケが伝道の拠点となり、この場所で弟子たちは「キリスト者」と呼ばれ始めます。(使徒11:26)このキリスト者という呼び方は、弟子たちが自らそのように名乗ったのではなく、周辺の人たちが軽蔑をこめてつけてあだ名であったと言われています。そして、これ以降、アンテオケが教会の働きの拠点となり、エルサレムは姿を消します。兄弟たちの群れは、ナザレ派というユダヤ教の小さな異端グループから、「キリスト者」という全く新しい性質の群れとして認知されたのです。今日は、このアンテオケにおいてキリスト者と呼ばれ始めた兄弟たちの信仰の本質に迫ります。
エルサレムに上ったペテロは、ユダヤ人の兄弟たちから批判されました。批判を受けた理由は、異邦人と交わったということです。先週もお話しましたが、当時は異邦人がユダヤ人と等しい扱いを受けるという発想自体がなかったのです。異邦人が救われてキリストにあって兄弟姉妹となるなど思いもよらないことだったのです。そこでペテロは、異邦人が神のみことばを受け入れることになった経緯を説明します。「そこで、ペテロは口を開いて、事の次第を順序正しく説明して言った。」(使徒11:4)と書かれています。10章に書かれていたヨッパで見た夢の中身が、11章でも同じように丁寧に繰り返されています。これは非常に重要な証です。パウロが自分の救いの証にこだわって何度もそれを語ったことはお話しました。「主が私をどう導かれたか」というのが、本来証のベースなのです。キリスト者はキリストの復活の証人であって、私の証人ではありません。「私が祝福された」とか、「悩みが解決した」とかは、「私の証」であって「イエスの証」ではありません。ペテロのような証をすれば、神学論争に巻き込まれることはありません。「異邦人も救われるべきだろうか」などというトピックについて論じても始まらないのです。神学の論争は、自らの主張を正当とし、そうではないものを異端として排斥します。こうして「~派」が誕生するわけです。神のみこころを人間の知恵で体系化しようとする試みは、ことごとく失敗します。「神はこれこれこうだから、かくあるべし」という主張は、常に、神の権威を借りて、人が人を支配する口実を生む危険性を孕んでいます。理屈は不毛です。イエスさまに論争をしかけたパリサイ派やサドカイ派は、結局真理に触れても悔い改めはしません。神学がもたらすものは「敵意」です。教えを守ることは律法です。いのちを生きるのが福音です。キリスト教は教えですが、キリストはいのちなのです。愛することには方法なんてありません。たとえば、「子どもを1日3回抱きしめましょう」なんて決まりに従って、親が子どもを抱きしめるなんて不自然でしょう。勿論「抱きしめることで愛情を表現することが無意味だ」と言っているのではありません。私たちはプロミスキーパーズになる必要なんてないのです。主は常に生きておられ、私たちを個別に導かれます。キリスト者とは、キリスト教の教えに従って歩む者ではなく、キリストのいのちを生きる者です。 日本史で習う踏み絵などのイメージが強烈に刷り込まれてしまっているかも知れませんが、キリストにあって生まれたものは、決していのちを失うことなどないのです。キリスト教徒は教えを捨てるかも知れませんが、キリスト者となった者はキリスト者でなくなることはないのです。子どもはいくら親不孝をしたって子どもでなくなるということはありません。子どもでいられるための条件を守ることによって、子どもとしての身分が保障されるわけではありません。
「主はこのように導かれました。以上、終わり」です。ペテロの証は単純ですが、教えではなく、体験した事実を語っているので非常に説得力があります。さらに、ペテロは自分が見聞きしたことともに、「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは、聖霊によってバプテスマを授けられる」という主のみことばを思い出ことを語ります。そして、「神がなさることなら、自分は妨げるわけにはいかない」と証を締めくくります。ペテロの証は、彼を批判していた兄弟たちを沈黙させました。彼らはこの証を受け入れ、神のみこころを理解し、神をほめたたえたのです。(使徒11:18)みことばの裏付けがあることが、説得力の鍵です。たとえ3度にわたって同じような夢を見て、その夢の内容が何らかの事実と当てはまったとしても、単なる偶然かも知れません。みことばの裏付けがあることが、批判していた兄弟たちを黙らせることにつながったのです。現代における主の導きも全く同じです。聖霊がみことばと矛盾するような導きを与えることは絶対ありません。みことばと矛盾した聖霊の働きを強調する人たちは、それが人間わざではないことにその証拠を求めようとしますが、間違いです。確かにそれは人間わざではなく、サタンのわざでしょう。超自然的な出来事はどんな宗教にでもあります。そういう摩訶不思議が、陳腐な教理でも飲み込ませるオブラートになるわけです。真の神が、みことばと矛盾するような現象をおこされることは100パーセントあり得ません。神さまが私たちを導かれるときには、必ずみことばを思い起こさせます。具体的な出来事にみことばをどのように適応するかは、非常にデリケートな問題です。「汚れた動物を食してはならない」というのもみことばなら、「神がきよめたものをきよくないといってはならない」というのもみことばです。このふたつのみことばの間の関係性を正しくとらえることが必要です。後のみことばに従うなら、表面上は「汚れたものを食べる」という先のみことばに明らかに反する行為に導かれるからです。汚れた動物は確かに汚れています。しかし、神がきよめられたのできよいのです。後から語られたみことばは、先のみことばと矛盾しているのではなく、後のことばが先のことばを包み込むような関係になっているのがわかります。みことばの断片を自分の願いや現状と結びつけて、都合よく解釈する人もいますが、みことばは複数のみことばの関係性や文脈の中でしか正しく理解できません。そして最大のポイントは、イエスさまはどのような御方であるかという主のご人格です。聖霊はみことばの中にイエスさまを浮き上がらせます。みことばから道徳しか受け取らない人がいますが、その人は自己中心の傲慢さで聖霊の働きを封じているのです。
エルサレムにおける迫害が、異邦人世界への宣教を導きました。また、大ききんによって、兄弟たちが不足を補って支え合い、それぞれの地方におこり始めた教会を結びつけます。これらはすべて主が導かれたことです。迫害もききんもそれ自体は決してありがたいものではありません。しかしなから、この世で起こるさまざまなマイナスの出来事さえ、主は大きなプラスに転じてくださるのです。主が地上のマイナスをプラスに転じるためには、主に委ねられた人をお用いになります。ここでは、バルナバという人物がまずアンテオケに導かれ、そこで異邦人の兄弟たちに会います。そして、パウロを捜すためにタルソへ行き、アンテオケにパウロを連れて来ます。そこで1年間ともに教会を指導し、ユダヤききんがあったときには救援物資を送ります。このバルナバという兄弟の働きについてともに分かち合いましょう。バルナバは、「りっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。」(使徒11:24)と書かれています。聖霊と信仰に満ちているというのは、抽象的な評価ではありません。それは必ず具体的な行動となって現れるものです。まず、バルナバというのは、「慰めの子」という意味で使徒たちが彼の個性をとらえてそのように呼んでいたのです。彼の本名はヨセフです。彼は、自分のすべてをキリストと教会のために捧げた人でした。畑を売り払って、その代金を使徒たちの足もとに置いたという記述もあります。(使徒4:36~37)また、多くの弟子たちが回心したパウロを受け入れられないでいるときに、間に入ってとりなしたのも、バルナバでした。(使徒9:26~28)パウロがエルサレムに自由に出入りし、大胆に証することが出来た背景には、バルナバの助けがあったのです。 バルナバは、パウロの信仰やこだわりを最もよく理解していた兄弟です。彼はパウロとともに自分の生活費や行動の費用は自分で働いてまかなっていました。(Ⅰコリント9:6)バルナバは、「人間的な報酬をもとめず、主にゆだねてくださった仕事を淡々とこなすこと自体が報酬なのだ」(Ⅰコリント9:17~18)というパウロの信仰の誇りを指示するだけでなく、自分も同じように働いたのです。 バルナバは、他の使徒たちにとってもそうでしたが、とりわけパウロにとって、その名前のとおり「慰めの子」だったと思われます。
今日は「キリスト者と呼ばれて」という主題でお話しました。今日の私たちの姿や証はどうでしょうか。私たちの周囲の人たちは、私たちをキリスト者として見ているでしょうか。また、私たち自身は、自分をどのようなものとして評価しているでしょうか。私たちは、キリストの焼き印をおびたキリストの使節です。すべての信者はそれ以上でもそれ以下でもありません。私は、まずクリスチャン自身の自己評価、いわゆるセルフエスティームが低すぎると感じています。だから、人の評価や慰めが絶えず必要なのです。私たち自身がみことばが規定するところの自分を、信仰によって正しく評価できないのに、この世が私たちを本来の意味での「キリスト者」として、世の光、地の塩として見なすことなどあり得ません。
主につくがゆえに、信仰を選ぶが故に、嫌われてもかまいせん。しかし、何を大事にしているのかも、わからない妥協を繰り返して、この世からなめられるのはキリストの恥、教会の恥です。この世と意味無く敵対する必要はありませんが、調子を合わせてはいけません。人の歓心を買おうとする人は、教会でも用いられず、この世でも相手にされません。
私は、パウロやバルナバの信仰のゆえの誇りを大事にしたいと思っています。

2007年6月13日水曜日

6月10日 神がきよめたものをきよくないと言ってはいけない

ペテロはコルネリオに遣わされる前に、夢の中で単純な幻を3回も見ました。その幻が伝えたメッセージは「汚れた動物を殺して食べなさい」ということでした。何でも食べる日本人にとっては、それほど大したことのように思わないかもしれませんが、ユダヤ人にとっては、この食生活におけるタブーを破ることは、律法を軽んじることであり、神を侮る行為でした。さらに、食生活においての律法を守ることは、ユダヤ人と異邦人を区別する具体的なしるしでした。このように同じ日常生活の規範を守ることで、ユダヤ人どうしの連帯は強まります。そして、自分たちが気をつけて避けているものを平気で口にする異邦人は、ユダヤ人にとっては「軽蔑の対象」となるのです。イエスさまの時代のユダヤ人たちは、異邦人であるローマの支配を受けていたので、ユダヤ人の屈折したプライドは、ますます形式的な律法重視や歪んだ愛国心につながっていきます。サマリヤ人に対する嫌悪も同じ根から生まれる感情です。使徒たちは、全世界に福音を宣べ伝えるべきことを聞かされてはいましたが、異邦人がユダヤ人と同じように救われるなどとは、全く考えていなかったのです。
後に異邦人世界がキリスト教社会となってからは、ユダヤ人たちは、キリストを十字架につけた民として迫害されるようになります。面白いと思いませんか。人間の宗教というのは、全く唯我独尊で排他的なのです。ユダヤ教からキリスト教を見ても、キリスト教からユダヤ教を見ても、人間中心の考え方から出てくるものは全く同じなのです。この「何を食べるか、何を飲むか」という問題は、異邦人が教会に加えられてからも、偶像に捧げられた肉をどう扱うかという問題へと発展していきます。偶像に捧げられた肉なんて言うと、現代の私たちとは直接関係のない話題だと思うかもしれませんが、この問題はクリスチャンがこの世にあふれる文化と関わっていく上で大事な鍵なのです。この点については、また機会を改めて詳しくお話することにしましょう。
ペテロは、汚れた動物を食べることを拒みました。しかし、声がしました。「神がきよめた物を、きよくないと言ってはいけない。」(使徒10:15)このことばが、コルネリオという人物との出会いと響き合って、ペテロは神さまの計画を理解します。汚れた動物とは、異邦人を指しています。要するに、「異邦人も神さまがきよいとされたら、きよいんだから受け入れなさい。ほら、たとえばこのローマ人を見なさい。」というわけで、非常に敬虔なコルネリオという人物と出会うのです。このような例を見ても明らかなように、神さまのみこころは、人間の考えとはかけ離れています。そして、すべての必要を私たちの願いや思いを超えて満たされるということです。神がきよめ、神がきよいとみなすのです。私たちは自分をきよくすることは出来ません。そして、私たちの感覚や評価は関係ありません。
私たちは、救われる人を捜しまわらなくても、出会うべきたちに出会うように主がコーディネートしてくださるのです。これは、無気力・無責任な予定調和の発想ではありません。そのような大きく委ねる心を持って主に自分の計画を託すことです。人間はイベントやキャンペーンが大好きです。自分ががんばって手柄を上げ、達成感や成就感を味わいたいのです。聖書研究や祈りや牧会や伝道そのものが生き甲斐なんておかしいと何か思いませんか。
私たちはイエスさまのいのちの一部であって、皆が家族なんです。それで終わりです。いのちは放っておいても成長します。楽しい家族は別に遊園地に行かなくても日常が楽しいんです。
主はすべての人にとって主なのです。すべての人をお造りになった神は、ほとんどの人に忘れ去られ、無視されていたとしても、圧倒的な影響力と支配権をお持ちなのです。「すべてのものは、この方によって造られた。この方によらずに出来たものはひとつもない。」(ヨハネ1:3)「この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった」(ヨハネ1:11)主はすべての人をご覧になって、あらゆること知っておられます。コルネリオの祈りや施しはちゃんと主が覚えておられたのです。
教会が人為的に世に対して影響力を持とうと張り切ると、おかしなパン種を持ち込むことになるのです。だから、イエスさまは「パン種に気をつけなさい」とおっしゃったのでしょう。イエスさまは、私たちがたった2匹の魚と5つのパンしか持っていないのは、初めからご存じです。私たちは何も仕込まなくてもいいのです。このボロボロの現状で、ただイエスさまだけ見つめて平安な心で感謝して待ってればいいのです。「えーっそんなことでいいの?」と思うかも知れませんが、それが出来なくて、いつも自分でやりくりしてジタバタするから、惨めさや欠乏を味わうことになるのです。私たちは、あらゆることに貧しいものです。しかし、主はあらゆることに圧倒的に富んでおられるのです。私たちは、自分の信仰によって、家族や友人がこうなってああなってといろいろ考えてしまいます。そして、私たちの教会は、もっとああなってこうなってと、これも思いめぐらします。イエスさまはきっとこの問題については、こんなふうに、あの問題についてはあんなふうに導いてくださるだろうと、祈りを重ねながらも青写真を描いたりもします。それは必ず人間が考えることです。
しかし、そんな前向きな信仰のビジョンやイエスさま像さえ、偶像となり、サタンにつけ込む余地を与えます。ペテロはイエスさまがやがて受けられる苦しみについて示されたとき、そんなことは起こり得ないと考えました。そして、イエスさまを引き寄せていさめ始めました。ペテロは、正しい信仰告白をした次の瞬間、自分中心の信仰の大風呂敷を広げ始めたのです。これは、人間が必ず陥る過ちです。
ペテロは、あらゆる点で使徒たちの魁(さきがけ)でした。一番初めに信仰告白をしたのもペテロでした。「あなたは、生ける神の子キリストです。」(マタイ16:16)この告白がすべてであり、この信仰が岩、すなわちペテロなのです。イエスさまは言われました。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。」(マタイ16:17)つまり、ペテロが信仰告白できたのは、彼が誰よりも早く鋭く、イエスの神性を見抜いたからではありません。父が示し、気づきを与えてくださったからです。もう一度確認しましょう。イエスさまは何とおっしゃっていますか。ペテロに真実を明らかにしたのは誰ですか。父です。教会を建てると言っている主語は誰ですか。イエスさまです。「父が与えた信仰の上にイエスさまが建てるのでなければ教会は建たない」のです。だから、人間が勝手に作った教団はくだらないことでもめたり、宣教師が勢いで建てていった教会の建物はからっぽになるんでしょう。次の瞬間、ペテロのキリスト像は、彼の偶像となりました。彼の伝道プラン、イエスさまの栄光への道の青写真は十字架ぬきのおめでたいものでした。十字架を通らないものは全部偽物です。イエスさまは、「下がれ、サタン。」と一喝されました。イエスさまはペテロが憎くて叱ったわけではありません。しかしながら、ペテロなりの主への思いは、サタンのものだったのです。勿論、人間は神さまのロボットでも操り人形でもありません。全部が全部「自動的」「受動的」というわけではありません。ペテロは何もかも捨ててイエスさまに従った結果として、この地点まで導かれてきているわけです。私たちの側からは何をすべきなのでしょうか。「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、クリスチャンとして働きなさい」と言われていますか。「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」です。ペテロはイエスさまを愛しましたが、それは最後まで自己中心の愛でした。人は神の愛には応えられないことを学びます。しかし、あえて主はペテロに三度お聞きになりました。「あなたはわたしを愛しますか。」(ヨハネ21:15,16,17)
私たちは完全な神の愛に包まれ、イエスさまのよみがえりにいのちを生きながら、この世を生きていくのです。不完全な人間は、完全なみことばを通して主のみこころを知り、それに自由意思で応答しながら道を定めていきます。どんなに慎重に歩んでも、私たちは時に失敗し、罪を犯し、人や神を傷つけるでしょう。でも、それでも常にいつも神の愛によりかかりたいと思うその思いを主は大切にしてくださるのです。かつて、ペテロはガリラヤ湖で大漁の奇跡を見せられたとき、言いました。「主よ。私のような者から離れてください。罪深い人間ですから。」(ルカ5:8)しかし、もうそんなことは言いません。ペテロは、罪深い自分から主が離れて行かれてはどうにもならないことを学びました。もはや、自分の信仰でも、忠実さでもなく、ただ主の完全な愛のゆえに自分が生かされていることを知ったのです。ペテロは、こう答えています。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」(ヨハネ21:17)と。
最後に、この時代背景における聖霊の働きについて整理しておきます。使徒の時代は、新約聖書が書かれていない時代です。ですから、そのような過渡期には、ペテロが見たような幻があったり、確かに聖霊が下られたとわかるような目に見える現象をともなったりということがあります。しかし、今日使徒を自称する誰かが、聖書の記述を否定するような新しい幻を見たりすることはありません。また、聖霊が下るときには、聞いていた人全員が異言を話すなどのしるしをともなわなければならないと考えたりするのは間違いです。使徒2章、8章、10章のしるしを伴う聖霊の記述は、ペンテコステ、サマリヤ、異邦人へという福音の流れと主のみこころを共通理解するためのしるしなのです。

6月3日 目からうろこ

 急にものごとの真相や本質がわかるようになることを、「目からうろこ」と言います。この表現は、よくご承知のように今日ともに学ぶ使徒9章が出典です。「目からうろこ」には3つ重要なポイントがあります。ひとつめは、徐々にではなく急にわかるということ。ふたつめは、その明らかになる真相や本質は常に変わらず自分の外側にあったといこと。みっつめは、遮られていたものが取り除かれることが解決の糸口だということです。「目からうろこ」が落ちたことによって、迫害者サウロが、兄弟パウロとなります。これ程劇的に人生の転換が描かれている例は他にないでしょう。「目からうろこ」ということばが、パウロから離れて一般的に世界中で使われる慣用句となったのもうなずけます。
パウロはなぜ激しくイエスさまを信じる人々をこれほどまで激しく憎んだのでしょうか。パウロにとってみれば、神が人になることなど、断じてあり得ないことでした。たとえ万にひとつ神が人の姿をとったとしても、人となった神が抵抗することもなく人の手によって惨めに殺されるということなどあり得ないと信じていたのです。ですから、イエスさまを神として信じている人々は神を侮り冒涜する者であり、そのような人たちを罰することこそ神のみこころにかなうことであると考えていたわけです。勿論、ご自分を神だと宣言されたイエスさまは、大嘘つきのとんでもない男で、激しい憎しみの対象だったのです。アナニヤのことばにもあるように、パウロの名前は情け容赦のない迫害者として、クリスチャンたちの間に知れ渡っていました。(使徒9:13)そんなパウロですが、ステパノの死後、ますます迫害の度合いに拍車がかかったようです。(使徒8:3,9:1~2)ステパノの殺害に賛成の票を投じ、その死に様を見たときに、パウロは何か特別なものを感じ取っていたはずです。ルカはステパノの殉教の場面で、証人たちの着物がパウロの足元におかれたことを唐突に記録しています。(使徒7:58)パウロはステパノを殺すことに賛成していたとも書いています。(使徒8:1)これらは、文学的な伏線といような技巧として記されたのではなく、パウロの霊的な葛藤のポイントを明確にしているのだと思います。
パウロの回心については、使徒の働きに3回出てきます。この9章の部分がルカの客観的記録だとしたら、後の2回はパウロ自身の主観的な回想だと言えます。26章におけるアグリッパの前の証言では、パウロは、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。」(使徒26:14)というイエスさまの声を聞いたと言っています。しかし、9章には、後半の「とげについた棒」に関することばはありません。私は実際にパウロが聞いたことばは前半の部分ではないかと思います。後半は、そのパウロ自身が耳に聞こえたことばの裏に感じたメッセージだったのだと思うのです。「なぜ私を迫害するのか」ということばの裏側に、パウロの複雑な心のうちを察しつつ、とりなしておられるイエスさまの姿が、ステパノをはじめ、パウロが縛り上げ引きずり出して牢に入れた人々のいくつかの表情と重なったのだと思うのです。だから、クリスチャンを迫害することが正しいと信じながらも、その信念に基づいて行動すればするほど、苦しくなるという矛盾の中で葛藤していたのです。パウロはたずねます。「主よ。あなたはどなたですか。」それは疑いようもなく、自分が仕えてきた主であるとわかっていました。しかし、それはイエスのようでした。そんなわけがないという強い否定の気持ちが働いていました。
神は光です。いくら視力がよくても光がなければ人はものを見ることができません。しかし、強すぎる光は眩しすぎて見ることを妨げます。そこで光なる神は、闇の中にご自分を示され、その光を見るようにと十字架の上で輝かれました。しかし、パウロはその光についてのあかしを拒みました。その結果、パウロは目が見えなくなりました。パウロが見えなくなったのは、光が眩しすぎたからではなく、自分の視力で神を見極めようとしたからです。パウロの目にはイエスは大嘘つきか、精神異常者でした。パウロの知識、経験、彼の積み上げてきたすべてのものが、「イエスは神の御子ではない」と判断していました。しかし、自分が憎み嫌うイエスが自分が真実に仕えてきた神の声で語られるのを聞いたのです。パウロは混乱しました。それは一瞬の混乱ではなく、3日間続きました。そして飲み食いもできませんでした。まさに3日間死んだようになり、そして、アナニヤに手を置いて祈ってもらって初めて見えるようになりました。そのとき、目からうろこのようなものが落ちたのです。「うろこのような」というのは、落ちた物質に関わる比喩ですが、「目からうろこのようなものが落ちた」というのは、目が見えるようになったことの比喩ではなく、本当に物質が落ちたのです。これ以降、別に目から何も落ちなくても、思いもかけない新しい知識を得たり、考え方が少し変わっただけで、「目からうろこ」という表現を使いますが、パウロの場合は、本当に目から何かが落ちたのです。3日間、目が見えず、飲み食いも出来ず死んだようになりました。本来キリストを信じるということは、それぐらい決定的な出来事です。キリストを信じる前と後のビフォー・アフターがはっきりしていることは、当然のことなのです。人は自分が育ってきた延長線上に信仰をプラス・アルファすることは出来ません。キリストを信じることは、自ずと生活のすべてを変えるのです。それはパウロの意思や正義感の強さによってもたらされる変化ではありません。それはキリストの光がもたらす変化です。暗闇の中でいくらあがいても私たちは変わることはありません。大事なことは、恐れずに光の方に来ることです。「立ち上がって町に入りなさい。そうすればあなたのしなければならないことが告げられるはずです。」(使徒9:6)パウロには当面なすべきことだけが簡単に伝えられました。パウロは自分の予定を捨てて単純にそれに応じたのです。その結果、パウロはアナニヤと出会い、本来縛り上げて引きずり出そうと思っていた相手から祝福を受け、目が開かれたのでした。こうして、主にあって最も大きな働きをすることになる人物が誕生します。
「目からうろこの回心」はパウロ特有のものではありません。すべての信者にとって、パウロが経験したターニングポイントがあったはずです。しかし、サタンはこの事実を曖昧にしようと必死に働くのです。私たちはいつどんな風に主と出会い、どんなみことばに従った結果、何が変わったのでしょう。パウロはここぞという場面で、自分が救われた証を単純に繰り返し語りました。それはこの世の知恵者や権力者の前には、あまりにも特異な馬鹿馬鹿しい体験であると映りました。パウロはステパノよりも詳細に民族の歴史を語ることも出来、アポロよりも雄弁に論理的なメッセージを伝えることも出来たでしょうが、あえてそれをしませんでした。パウロがそこにこだわったのは、すべてのことを主がしてくださったということです。パウロは目からうろこをとってくださったのが主であることを知り、他の人たちの目からうろこをとってくださるのも主であると知っていたからです。パウロは自分で自分になったのではないと知っていたのです。勿論、説得力のある話し方や、わかりやすい解き明かしは大切です。しかし、人を変えることができるのは人の何かではなくただ主によります。主の語りかけに聞く者が応じるかどうかです。みことばを聞いた者が示された光の中へ一歩踏み出してくるかどうかにかかっているわけです。私たちは、この世での知識や経験を増せば増すほどに、両目に硬く張り付いたうろこを厚くしています。それは真実を見極めることを妨げるに十分なものです。人の目には人の子イエスの中に秘められた神の本質が見えません。人の目には神の子のイエスの中に秘められた完全な人間性が見えません。クリスチャンを自称する多くの人々は、聖霊の光なしに、当てずっぽうで嘘を言っているのです。ターニング・ポイントのはっきりしない人のことばは信用ならぬものです。その人は、聖霊のはたらきを魔術の延長線上に考えたサマリヤの魔術師シモンのように、信じてはいても信じてはいないのです。ペテロも悔い改めを命じています。「御子を信じる者はさばかれなない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったのですでにさばかれている。そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみ出されることを恐れて、光のほうに来ない。しかし。真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかになるためである。」(ヨハネ3:18~21)
教会の交わりの光の中で、メッセージや賛美の光の中で、自分を晒すならばどんどん変えられていきます。しかし、どんなみことばを聞いても、闇の中で心を閉ざしていては何も変わりません。私たちの目のうろこは本当に落ちたでしょうか。そのうろこは、信仰を働かせていなければ、いつもで私たちの目に張り付いているものです。私たちがみことばによらず、自分の見たところにより、知恵と経験とに基づいた過去の行動パターンで、漫然と日々を過ごしているなら、それは闇の中の歩みです。目に厚いうろこをつけているので、私たちの行く先々でともにいてくださる主が見えません。闇の中でもがいている人は、その手探りの苦労を語り、その闇の中での感情の変化に振り回されます。話の座標軸は「楽かしんどいか」「嬉しいか悲しいか」自分の状態に関することです。一方、光の中を歩む人には、常に喜びと感謝があります。もちろん、状態の良し悪しや感情の起伏はあっても、決してそれには振り回されないのです。
最後に、もう一度パウロのビフォー・アフターの違いの大きさに考えてみましょう。本当にイエスさまに出会えば、人は180度変わります。あの激しい迫害者が、最も福音の奥義を理解し、いのちがけで誰よりも広く深く福音を伝える人となるからです。 私たちは、善良でまじめに生きている人こそ福音に近い人だと思いがちです。信仰に関して取り立てて強く反対せず、一定の理解を示してくれる人たちを何となく認めてしまったりもします。しかし、人間の資質に関することや、過去の経歴などは、何の関係もないのです。イエスさまとの出会いは全てを一変させます。神のはたらきが、牧師や宣教師の子どもたちに世襲で受け継がれていくことや、自動車学校や三流大学よりもレベルの低い学校によって保障されることがいかに馬鹿馬鹿しいことであるかは、聖書をまともに読めば誰でもわかることです。
神さまはサウロを「選びの器」として選びつつ、彼の無茶な活動をある程度放っておかれる方です。(使徒9:15)さらに、アナニヤやバルナバといった優秀なしもべに、直接指示して導かれるのです。神さまの導きは大胆にして繊細です。私たちはこの偉大な御方の御手に自分を委ねれば良いのです。

2007年6月2日土曜日

5月27日 サマリヤそしてエチオピアへ

 ステパノが死んだ後、主は新たな器としてピリポを用いられます。彼もまたステパノ同様に食卓の奉仕ために選ばれた御霊と知恵とに満ちた評判の良い7人のうちの1人でした。初めユダヤ人に伝えられた福音は、これからサマリヤ人や異邦人へと広がっていきます。サマリヤは長期間にわたり、イスラエル10部族の首都でした。エリヤの時代のイスラエルの王アハブの父であるオムリが建設した町です。(Ⅰ列王16:23~24)同時にサマリヤという名称は北王国全体を指す名称として定着します。アッシリアの王の政策によって、サマリヤに異邦人が送りこまれ、さらに捕囚されたイスラエル人の中から祭司が送りこまれます。その結果長期に渡って、サマリヤでは偶像礼拝と主を礼拝することが入り混じってしまいます。(Ⅱ列王17:24~41) 従って、ユダヤ人が「サマリヤ人」と言うとき、そこには「堕落した民」という一種の侮蔑を含んだニュアンスがあったわけです。 こうした旧約聖書の記述をふまえた上で新約聖書を見ていく必要があります。新約聖書を見ても、イエスさまは、12弟子を任命された当初、サマリヤに入ることを禁じておられました。(マタイ10:5)ヤコブとヨハネに至っては、サマリヤの町そのものを焼き滅ぼしたいと願ったほどでした。(ルカ9:54) しかし、それだけではありません。イエスさまはたとえ話の中で傷ついた隣人に対して、サマリヤ人がユダヤの祭司やレビ人にまさる愛を示したことを語らえました。(ルカ10:33) また、10人のらい病人が癒されたとき、感謝するために戻って来たのはサマリヤ人だけだったという事実も書かれています。(ルカ17:16)さらに、イエスさまは、サマリヤに住む、男にふしだらなひとりの女性に出会うためにあえてサマリヤを通られた記事もあります。(ヨハネ4:4)
主の大きな働きの全体を見ることは難しいことですが、自己中心な動機で、偏って見ていたのでは、真実を大きく見誤る可能性が高いことはおわかりいただけると思います。サマリヤの人たちに対する主のお取り扱いを出来るだけ主に近い視点で見ていけば、聖霊の働きに関する誤解もほどけます。ここの箇所は神学的にもめるところなのです。なぜかと言うと、信じてバプテスマを受けていながら、聖霊を受けていない人たちが登場するからです。「彼らは主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊がだれにも下っておられなかったからである。」(使徒8:16)これは、ペテコステ以前の信者たちも同じでした。まず信じた者たちに、約束としての聖霊がくだったことを信者たち自身がはっきり共通理解する必要がありました。だから、目に見えるしるしが伴ったわけで、勿論その後のすべての信者が聖霊を受けるごとに、激しい風が吹いてくるような響きが聞こえたり、炎のような分かれた舌が見えたりするわけではありません。そして、このサマリヤの人たちの場合、サマリヤ人がユダヤ人である自分たちと同様に救われ、同じ主の霊を受けるということは、簡単には理解しがたい、受け入れにくいことだったのです。主の恵みや憐れみの深さ、広さのサイズを、人間はことばだけで容易に受け入れることが出来ません。ですから、ペンテコステの場合も、サマリヤの場合も、使徒たちが主のみこころについて共通理解できるように、このように体験的に教えてくださっているのです。もともと、サマリヤをはじめ、エルサレム以外の周辺地域にみことばが広がっていったのは、計画的に伝道地域の拡大を図ったからではありません。迫害によって各地に散らされた結果でした。福音は人間を介して伝えられます。それが主の方法ですが、その広がりやつながりは、人間の意図することや願いを遙かに超えています。福音はそれを伝える人間よりも偉大なのです。これから、福音はさらに異邦人世界に広がっていきますが、サマリヤ人は、ユダヤ人と異邦人の中間的存在として位置づけることができるでしょう。異邦人が受け入れるにあたっても、ペテロが主のみこころを理解するには、「汚れた動物をほふって食べなさい」というあの幻を見て、コルネリオというひとりの敬虔なユダヤ人に会うことが必要でした。使徒の働きは、長く律法と死の力が支配していた時代から、いのちの福音による恵みの時代がはじまる過渡期です。その節目に起こった意図的な例外を一般化して曲解するのは、大変愚かな間違いです。例えば、ここではバプテスマを受けてから、権威ある者の按手によって聖霊は与えられています。だから、聖霊を受けていない人に、つまり信仰がはっきりしない人にも洗礼を授けてもかまわないのだとか、権威ある者の按手によらなければ聖霊は与えられないのだとか言い出すのは、間違いです。このように例外から、そのはずれた部分を許容したり、必要条件であるかのように絶対化したりしてはいけないのです。
 聖書全体を見れば、信じた瞬間に聖霊が与えられることは原則です。それは、新しい誕生を意味します。これはいのちの問題であって、意識の問題ではありません。赤ちゃんが生まれた瞬間に自分の誕生や存在を意識することはありませんが、赤ちゃんはその時確かに生まれたのと同じです。いのちが誕生することは、神のわざです。そこに人間は介在しますが、神の力は人間の意思や計画を超えたところで働いています。まして、産み出される当人のはかりしれないところで産み出される準備や環境が整っているのです。 このような後の信者の誤解を予測して、ルカは魔術師シモンのことを例にあげています。サマリヤに住むあらゆる人は、このシモンに関心を持ち、彼が行う不思議なわざに驚かされていました。(使徒8:11)シモンは確かに不思議を行っていたようですが、それは当然聖霊の力ではありません。 シモンはピリポが語ることばとしるしに驚き、その中に自分が行ってきた魔術以上のものを見ました。その評価は間違ってはいませんでしたが、正しくはありませんでした。シモンはピリポの力を自分の力の延長線上のものであると考えたからです。そこでシモンはピリポの権威を金で買おうとします。(使徒8:18~24) なぜ、ルカはシモンの記事をここに挿入したのでしょうか。それはこの聖霊の働きに関して、誤解する人が後を絶たないことを知っていたからです。悲しいことに、みことばを聞く者の中にも、シモンのように自分が権威を得るために、人々を驚かせて注目集めるための魔術の延長として理解する人がいるからです。また、権威ある人に按手してもらおうと目に見える人に頼るすがる人がいるからです。このような動機で主に近づく人が、聖霊にあずかることは絶対ありません。(使徒8:20)
 「このようにして、使徒たちはおごそかにあかしをし」(使徒8:25)と書いてあります。今日の教会の中に、このようなおごそかさがあるでしょうか。
 この後、主の使いがピリポに現れ、エルサレムからガザに行く道へと導かれ、そこでエチオピア人の宦官に出会います。彼は礼拝のためにエルサレムに上り帰る途中、馬車に乗ってイザヤ書を読んでいるところでした。まさに、主によって整えられた人でした。 このような人が、まだまだ私たちの周辺にもおられるはずです。そして、私たちが計画したり探したりしなくても、そのような方々との出会いが与えられるのです。イザヤ53章は、まさにイエスさまの苦難について書かれた箇所ですが、導いてくれる人がいなければ、その意味はとけませんでした。そして、この聖句からはじめて、ピリポが伝えたのはまさに「イエスのこと」(使徒8:35)でした。聖霊を魔術のような力として求めたシモンと、預言者のことばを丁寧に読み、そこからイエスのことを聞かされたエチオピアの宦官は、対照的に描かれています。最後に、使徒の働き全体を貫く重要なポイントを確認しておきたいと思います。今日見た箇所はピリポの活躍が目立っています。先週はステパノでした。  このような賜物にあふれる個人を見るのではなく、その背後にある大きな主の計画、みこころの全体をとらえて部分を見ていくことが大切です。
「さて、エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところへ遣わした。」(使徒8:14)と書かれています。ペテロやヨハネが自分勝手に行ったのではなく、「使徒たちが遣わした」のです。この記述からも、ペテロやヨハネがすべてを自分たちで決めていたのではないことがわかります。使徒たちは、新約聖書もない、教会のスタイルも固定されていない、サマリヤ人や異邦人へと福音が広がっていく過渡期にあって、主のみこころをしっかり受け止めていこうと、聖霊のみちびき敏感でかつ慎重であったはずです。みながみことばを重んじ、イエスさまを中心に仰ぎながら一致して重要なことを決めていったのだと考えられます。
ペンテコステのときも、その天変地異をともなう大きなしるしを正確に受け止められたのは、使徒たちがみなみことばの中で一致していたからです。ペンテコステの箇所にはこう書かれています。「そこで、ペテロは11人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った」(使徒2:14)
ペテロとともに同じ心で立っていた人たち、その証が使徒時代の教会の力でした。使徒の働きは、聖霊の働きであり、教会の働きであり、イエスの働きなのです。今日教会の活動が、「人間の人間による人間のための働き」であることが何と多いことでしょうか。そうであってはいけません。教会は主のからだです。かしらであるイエスさまにつながって、その思いを具現化するいのちの
器官なのです。