2009年8月31日月曜日

8月30日 メッセージのポイント

ダビデとメフィボシェテ (ダビデの生涯と詩編 ⑧ )
              Ⅱサムエル9章 
           
A メフィボシェテという人物
  ○サウルの孫・・・・・呪いを受けている
  ○ヨナタンの息子・・・祝福の約束がある
  ○5歳のとき、乳母の不注意で両足が不自由になる(Ⅱサムエル4:4)
  ○本来殺されるべきところを、命を助けられたばかりか、ダビデの息子のひとりの
   ように扱われ、食卓に連なる。(士師1:6~7)

B ダビデの誓い
  ○サウルとの誓い(Ⅰサムエル24:21~22)
  ○ヨナタンとの誓い(Ⅰサムエル20:12~17)
  ○誓いを果たすダビデ(Ⅱサムエル9:1)

C ダビデとヨナタンとメフィボシェテ
  ○サウルはアダムのモデル
  ○ヨナタンはイエスのモデル
  ○ダビデは父なる神のモデル
  ○「ヨナタンのために」恵みは施される(Ⅱサムエル9:1)

D 死んだ犬のような私を
  ○罪過と罪の中に死んでいた者(エペソ2:1)
  ○生まれながら御怒りをうけるべき子ら(エペソ2:3)
  ○天のところに座らせてくださった(エペソ2:6)
  ○行いではない(エペソ2:9)
  ○メフィボシェテの壁
  ○アモン人ハヌン(Ⅱサムエル10章)
  
E 神の前のダビデの思い
  ○自分が神にどう取り扱われたかを知っていたダビデ(Ⅱサムエル7:18~29)
  ○メフィボシェテを惜しむ(Ⅱサムエル21:1~9)

F リッパの母の愛に見る神の痛み
  ○愛は痛む(Ⅱサムエル21:10~14)
  ○ご褒美のない陣痛(ヨハネ16:21)

8月30日 ダビデとメフィボシェテ (ダビデの生涯と詩編 8 )

 ダビデは傑出した戦士であり、優秀な王でした。しかし、古今東西の歴史をひもとけば、ダビデと同じように、運動能力や戦略に長けた戦の天才や、偉大な戦績を持つ英雄は他にも何人かいるでしょう。ところが、今回取り上げるエピソードを持っているような人物は極めて稀です。どのような記録を引っ張り出しても、このような例は他に見つからないのではないかと思います。ちょっと勿体ぶった前振りをしましたが、それは何かと言いますと、敵であったサウルの家の者に施した恵みについてのエピソードです。(Ⅱサムエル9章)

 王権を勝ち取った者が、自分の命や地位を狙う可能性のある血筋の者を生かしておいたり、親切に扱ったりすることは、まずあり得ないことです。当時のパレスチナでも、戦いに敗れた国の王たちは殺してさえもらえず、手足の親指を切り取られて、奴隷以下の扱いを受けることも珍しくはなかったようです。(士師1:6~7)

 ダビデのはからいで特別な恩恵を受けるのは、メフィボシェテという人物です。メフィボシェテは、サウルの孫にあたります。あのヨナタンの息子です。ぺリシテ人との激しい戦いの中で、サウル王とヨナタンら3人の息子は戦死したとき、メフィボシェテはまだ5歳でした。サウル王とヨナタンら3人の息子の悲報を聞いて、乳母はメフィボシェテを抱きかかえて逃げたのですが、あまりに急いでいたため、乳母はメフィボシェテを落としてしまいました。そのせいで、メフィボシェテは、両足ともなってしまったのです。(Ⅱサムエル4:4)

 以前に詳しくお話しましたが、サウル王が死んだ後、サウル家とダビデ家の間には争いが続きました。サウルの将軍アブネルは、サウル家の王位継承権を持つイシュ・ボシェテによる傀儡政権を立て、ダビデに対抗しようとしますが、イシュ・ボシェテがサウルのそばめのこと疑いをかけたことをきっかけに、アブネルはイシュ・ボシェテを見限って、ダビデの側につこうと交渉に出ます。アブネルに見放されたイシュ・ボシェテは拠り所を失います。そのアブネルがダビデの将軍ヨアブの手にかかって殺され、ますます気力を失います。そんな失意の中、昼寝をしているときに、しもべに下腹を突かれて暗殺されてしまいました。

 イシュ・ボシェテが死んでしまえば、次の王にはヨナタンの息子メフィボシェテがしかいないわけですが、彼は足なえだったので、はじめから候補者にさえなりません。それでも、サウルの直系ですから、ダビデ王権のもとではいのちの危険がついてまわります。メフィボシェテがエルサレムから離れたところに移り住んだのは、エルサレムに近いところにいたのではダビデの陣営の者に殺されるかもしれないと恐れていたからです。
 
 このように、サウル家とダビデ家の間には長年にわたって争いがあり、大きな遺恨を残していましたが、ダビデにはメフィボシェテが知らない2つの誓いがあったのです。それは、「サウルの子孫を絶たず、サウルの名を根絶やしにしない」(Ⅰサムエル24::21~22)という誓いと、「たとい、ヨナタンが死ぬようなことがあっても、恵みをとこしえにヨナタンの家から絶たない」(Ⅰサムエル20:12~14)というものです。

 ダビデはこの2つの誓いを決して忘れてはいませんでした。「サウルの家の者で、まだ生き残っている者はいないか。私はヨナタンのために、その者に恵みを施したい。」(Ⅱサムエル記9:1)とダビデは言っています。そして、そのことば通り、ダビデ王は実際に使いを送り、メフィボシェテを王宮に呼び寄せました。メフィボシェテは、ダビデ王の前に出るとき、死を覚悟してひれ伏しました。「あなたの父ヨナタンのために、あなたに恵みを施したい」という王の言葉を聞いたとき、耳を疑ったことでしょう。

 この時の「恐れ」は、罪人が神の前に引き出されるときの心情に似ています。人が神を意識するとき、感じるのは「恐れ」です。なぜなら、私たちは生まれながらにアダムの罪を受け継いで神に敵対しているからです。私たちは一人の人アダムのせいで神に敵対する者として生まれましたが、一人の義人イエスの契約のゆえに罰を免れ、神との和解を受け継ぐ者となれるのです。ダビデとメフィボシェテの関係は、「神と人との関係」の美しいモデルとなっていることがわかります。確かにメフィボシェテは生まれながらに、怒りや呪いを引き継ぐサウルの孫でしたが、同時にダビデとの契約によって祝福を獲得したヨナタンの子でもあったのです。ですから、このメフィボシェテに対する恩寵は、ダビデの特別な慈悲深さを示すエピソードでを越えて、私たちが受けている救いや恩寵の一側面を見事に映した雛型となっています。したがって、この箇所から私たちが受け取るべき霊的なメッセージは、「神の取り扱い」ということです。ダビデの慈悲深さから道徳を抽出することではありません。

 メフィボシェテは「このしもべが何者だというので、あなたは、この死んだ犬のような私を顧みてくださるのですか」とダビデ王に感謝ししています。「死んだ犬」とは自分の身体の障害を強く意識した表現です。当時、障害者は宮にさえ入ることが許されていなかったので、メフィボシェテはよりいっそう強く自分の無価値を思い知らされていたはずです。(Ⅱサムエル5:8) 

 言い換えれば、「ダビデの恩恵を受けても何かをお返し出来る可能性がまるでない」とう告白でもあります。この神に対する「敵対」そして神の前における「無価値」は、私たちが救われる前の霊的な姿です。「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって・・・・・生まれながらに御怒りを受けるべき子らでした」(エペソ2:1~3)とパウロは言っています。さらに、「・・・あなたがたが救われたのはただ恵みによる・・・天のところに座らせてくださった・・・・行いによるのではありません・・・・」(エペソ2:5~9) これらのことばは、まるでメフィボシェテのエピソードを解説しているようです。

 ダビデがメフィボシェテに恵みを施したのは、勿論ヨナタンとの契約があったからです。しかし、ダビデの施した恵みは、その誓い以上のものでした。社会的には無価値であるどころか、お荷物であるとみなされていた者、しかも敵の血筋の者を「王の息子のひとりのように」扱い、王の食卓につかせ、まるで息子のひとりであるかのように扱ったのです。しかも、サウルの地所をすべてメフィボシェテに返したのだから、本当に驚くばかりです。血筋を絶やさないようにいのちを守るのと、「王の息子のひとりのように扱う」のとでは全く次元が違います。ダビデはメフィボシェテを、自分の子どものように受け入れたのです。

 キリストの救いとは、本来殺されるべき私たちが、神の子どもとされることですが、そんな私たちが神に対して何かお返しすることが出来るでしょうか。何も出来ません。私たちは全く受ける資格のない祝福を一方的に受けているのです。これを「恵み」と言うのです。メフィボシェテの受けている祝福は、メフィボシェテの資質や経験には一切関係のない「恵み」です。彼の過去を評価したわけでもなければ、未来に期待しているわけでもありません。何しろ「死んだ犬」ですから。死んだ犬はペットにさえする者はいません。繰り返し言いますが、血統書付きの訓練された犬ではありません。死んだ犬です。それをペットではなく、子どもにしようというのですから、神様は変わり者です。しかし、それが神の愛であり、神の方法なのです。

 ダビデは、自分自身が神からどのように扱われ、自分が何者であるかをよくわきまえていました。ダビデは、人の前に王であり勇士であっても、神の前には自分も「死んだ犬のような者」であることを知っていました。ダビデは、神がやがて登場するキリストの故に自分を特別に取り扱われるのだということを知っていました。それと同じように、ヨナタンの故にメフィボシェテを最大限の恵みによって取り扱ったのです。ダビデの祈りを見ればそれが感じられます(Ⅱサムエル7:18~29)

 このように、原則はけっこう単純ですが、人を取り巻く背景や感情は複雑です。よく考えてみてください。メフィボシェテは世が世なら王になっている血筋に生まれました。サウルの直系ですから、顔も二枚目だったでしょう。ところが、たまたま親が戦いに敗れたためにいのちは危険にさらされ、さらにたまたま乳母の不注意によって障害者となってしまったのです。王家の血筋に生まれたことがよけい彼の心情をかき乱すわけです。このような経歴を持つ人は、屈折したプライドを持ち、不遇を嘆くことが多いのですが、メフィボシェテはそうではなく、自分の現実を真っ直ぐに見つめ、ダビデの恩寵も素直に受け入れています。この姿勢は大事です。「信仰」というのは、実は特別なことがらではなく、「神が示された事実をそのまま受け入れること」なのです。

 この後に、同じような申し出を無効にしてしまうアモン人ハヌンの例があるので、比較してみるとよくわかります。(Ⅱサムエル10)メフィボシェテは王の子どもとして扱われたのです。「メフィボシェテはエルサレムに住み、いつも王の食卓で食事をした」(Ⅱサムエル9:13)です。食事は毎日のことです。日々、王の食卓に預かること。メフィボシェテはそれを味わったのです。交わりを楽しんだのです。決して卑屈な気持ちで食卓についていたわけではないと思います。

 そんなメフィボシェテにいのちの危機が訪れます。祖父サウルの罪のために、ギブオン人へのサウルの子どもたちが引き渡されることとなったからです。しかし、「ダビデは、メフィボシェテを差し出すことを惜しんだ」と書いてあります。(Ⅱサムエル21:7)ダビデはメフィボシェテを引き渡しませんでした。ダビデは最後まで、ヨナタンとの誓いを守ったのです。

 このように考えてくると、「恵み」を施すダビデにも、「恵み」を受けるメフィボシェテにも、それぞれに乗り越えねばならない「壁」があることがわかります。ふたりが織りなした美しいキリストの絵は、ともに信仰によってそれぞれの「壁」を乗り越えたからこそのものであると私は感じています。「恵み」を施す立場にあったダビデも、「恵み」を受ける側にあったメフィボシェテも、さらに大きな「神の恵み」に抱かれています。この世における社会的地位や能力の違いは、ある意味歴然としていて、その立場によるすれ違いもあれば、力の差による評価にも段階があるでしょう。しかし、ダビデとメフィボシェテの父ヨナタンが敵対する立場にありながら、信仰によって結ばれていたように、そのような困難な状況の中で生き続ける契約と、それを受け入れる信仰が、最終的には勝利につながるのです。「それぞれの立ち位置から見えるキリスト」を仰ぐことが大事だと言えます。

 メフィボシェテが、ダビデ由来の祝福とサウル由来の苦しみの間を往き来したように、私たちもまたキリストに贖われ、子どもとされていても、アダム由来の罪に苦しみ、老いや病や怪我や障害や、さまざまな葛藤の中で苦しみながら死を迎えます。このからだが完全な死を通して贖われる日まで、その戦いは続きます。変わることのない圧倒的な勝利は得ていますが、劣勢に見えることもしばしばです。

 神は、私たちをいたずらに苦しめたり、死に至る悩みを経験させようとはされません。激しい愛と痛みをもって見守ってくださっています。その愛なる神の張り裂けんばかりの胸の内は、狂気のような母の愛として表現されています。(Ⅱサムエル21:10~14)。彼女は自分の息子たちのために、その亡骸が骨になるまで、鳥や獣に近寄らせないように、岩の上に荒布を敷いて座り続けたと書いてあります。(Ⅱサムエル21:10)聖書は感情表現や細かい描写を殺して、事実を淡々と書いています。しかし、この母の愛の迫力は、ものすごいものがあります。このリッパの愛は誰が与えるのですか。神です。神はこのリッパ以上の愛で、敗者や罪人の最期をご覧になっているのだと理解してください。

 さらに、メフィボシェテにはミカという息子がおり、ヨナタンの家はこの後も長く続いたことが系図として残っています。(Ⅰ歴代誌8:34~40)これも、また素晴らしい記録です。メフィボシェテという名前は「恥を一掃する者」という意味です。ダビデは、その名前のとおり、ヨナタンのゆえに、メフィボシェテによって、サウル家の「恥を一掃」しようとしたのです。

 神はご自身の愛によっても、決して義を曲げることは出来ません。ここに痛みがあり、苦しみがあり、悲しみがあり、死があり、十字架があります。しかし、すべての痛み、苦しみ、悲しみは、新しいいのちが産み出される大きな喜びに変わります。イエスはそれらすべてを打ち破ってよみがえられたからです。

2009年8月5日水曜日

8月1日 メッセージのポイント

バプテスマについて(特別メッセージ Live in 北見)

 今回は3人の姉妹たちの洗礼式のために私がわざわざやって来たかと言うと、私はそこに大きな意義を感じているからです。

 私も3人の姉妹たちのことを第三者に詳しく紹介できるほど知っているわけではありません。しかし、前回お会いした印象や証の内容からはっきりわかることは、「イエスに対する信仰があるということ」、そして「洗礼を受けたいと願っておられるということ」です。
 「現地のどこかの教会に任せておく」という方法もあるでしょうし、一番良さそうな集まりとつながりを作ることの方が大事ではないかとお考えの方もきっとおられると思いますが、私は全くそうは思いませんでした。
 今後3人の方にどのようなかたちの導きがあるにせよ、そこに私が干渉する気は全くありません。しかし、現時点において、既存のキリスト教会に通う人たちが度肝を抜かれるような救いやいのちの成長があるのだということを発信することに大きな意義を感じています。
 まさに、使徒の働きの時代のように、通りがかりのクリスチャンが「イエスについて」解き明かし、水のあるところで、信仰をもった人の希望に従って洗礼を施すというこのシンプルで原初的な救いの事実を作るようにと導かれていると私は感じています。そのためにやって来ました。

 明日の洗礼に先立って、聖書の中から洗礼、即ち、バプテスマについてともに学びましょう。
 まず使徒時代のバプテスマの記事を見てみましょう。
 約2000年前、ピリポはエチオピヤ人の宦官に洗礼を授けるために、主の命を受けました。彼は「立って南へ行け」と言われたのですが、私の場合は「北へ行け」という感じです。(使徒8:26~40)

 このエチオピヤ人の宦官とピリポとのやりとりからバプテスマに関する非常に大事な教訓をいくつも読み取ることが出来ます。導かれる側と導く側の作法を学びたいと思います。まず、宦官はみことばを知りたいと願っていました。しかも、その霊的なポイントは非常に良かった。見事に的を射た興味と疑問を持っています。(使徒8:32~33)そして、ピリポにはみことばに基づいてイエスのことを正確に解き明かす力があるということです。(使徒8:35)

 宦官はピリポにみことばの解き明かしと洗礼を求めています。それは、「道を進んでいくうちに」ということですから、短時間での即断即決です。その間、ピリポが勧めたり押しつけたりした形跡はいっさいありません。勿論、このバプテスマは、何かの制度や形式に則ったわけではなく、ただ双方の信仰による確信に基づいて、一切のこの世の権威や組織と関係なく行われています。
 「ピリポも宦官も水の中へ降りて行き」(使徒8:38)と書いてあるので、ここで行われたバプテスマは、その意味から考えても水を頭にかける「滴礼」ではなく、体全体を水に沈める「浸礼」だったと考えられます。洗礼を意味するギリシャ語は、「浸す」という意味だし、バプテスマ後から見る雛型としての霊的意味から考えても、水の中に完全に没することには意味があります。

 このような劇的な主のお取り扱いを経験するふたりですが、ふたりの間に人間的な強い依存関係は見受けられません、宦官がそれ以降もピリポに頼ることも、ピリポが自分の影響力を行使することもありません。もちろん、愛着や信頼はあったはずです。しかし、べったり粘着した湿った人間関係はありません。(使徒8:39~40)互いにみことばを仲立ちとし主を見つめて、相互の信頼以上に主への強い信頼の中でことを行っているのが伺えます。

 さらに、重要なポイントについて確認します。ここでのピリポのメッセージの中心は何でしょうか。「イエスのこと」です、(使徒8:35)
 聖書を読むこと、祈ること、礼拝に出席すること、献金や奉仕をすることについてですか。違いますね。洗礼準備会などと称して、くだらない教理を確認していますか。答えは勿論NOです。ピリポが語ったのは、あくまでも「イエスのこと」です。イザヤ53章からイエスの苦難と人格、その人としてのみわざに着いて語り、そこからはじめてはらに「イエスのこと」を語ったのだと書いてあります。「イエスのこと」をまるで語らない、ほとんど語れない教会が何と多いことでしょう。

 あらゆる点において、このピリポと宦官の記事は理想的な洗礼を受けるモデルケースだと私は思っています。本来こうでないといけないのです。
 バプテスマが、教会という組織の仲間入りの儀式であったり、その組織における宗教的奉仕のための資格であったりすることが実際には多いのに驚きます。さらに、導いたり、洗礼を施したりした人が、いつまでも施された人の信仰や人生に口を挟んだりすることも普通に行われていると思いますが、人を操る権利は誰にもないし、操られることを良しとする義務もありません。キリストの奴隷となっても、組織の奴隷や人の奴隷になってはいけません。

 一般的にバプテスマという表現はポピュラーではありませんが、「洗礼」ということばは、比喩として誰でも普通に使います。たいていは、「生涯に一度だけの儀式であること」から転じて、初体験、とりわけ「人生において一度だけ経験せねばならぬ、ほぼ一方的に他者からもたらされる、大きな体験」などの場合にととえて使われます。特に「ワンランク高いところの厳しさを味わうことによって、結果的にステップアップする」というような意味でよく使われています。「○○選手も、初登板でホームランを打たれ、メジャーの洗礼を受けました」など。
 信仰においても、「洗礼」という通過儀礼を経て、ステップアップしていくようなイメージを持っている人がおられますが、それは全く間違っています。
 もうひとつ面白いのは、教会に通い始めた家族を見つめるまなざしです。「別に教会に通うぐらいかまわないが、洗礼は受けてはいかん」というのを結構聞きます。これは、洗礼を通過すると、一線を越えてしまう。得体の知れないものとひとつになってしまうという感覚でしょうね。これは、ある意味当たってます。
 ローマ6章の前半はバプテスマについてパウロが語った箇所です。(ローマ6:1~10)、パウロが言っていることを整理してみると、まず、バプテスマは、「キリストにつく」という意味があり、それは「キリストの死にあずかる」ということです。
 水に完全に没することは、「私たちがキリストとともに葬られたこと」であり、水からあがったということは「新しい歩みがそこから始まるのだ」ということです。ここで注目すべきことは、「もし私たちがキリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら」(ローマ6:5)また、「もし私たちがキリストとともに死んだのであれば」(ローマ6:8)というふたつの条件節です。

 もう少し丁寧に解説するとこういうことになります。
 神は私たちがみことばに従い水に没したことによって、「キリストとともに死んだものと見なした」のです。しかし、私たちが水に没したことをそのように見なさないなら、神が見なしたことは無効になってしまうということです。
 死んだ者は、罪や誘惑に関して一切の反応を失います。しかし、実際の私たちは罪を犯したくなくても罪を犯してしまう弱さを持っています。水から上がっても罪を犯します。だから、たとえ現実がどうであったとしても、「もう死んでいるはずの私のしたことは幽霊の屁みたいなものだから気になどするな」と書かれているのです。このあたりの葛藤と苦悩は、7章に詳しく書かれているとおりです。(ローマ7:7~25)

 パウロは、正確にはこういう表現を使っています。「このように、あなたがたも、自分は罪に対して、死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと思いなさい」(ローマ6:11)
 パウロの言い回しを読めば誰でもすぐにわかりますが、これらのメッセージはバプテスマをこれから受ける人たちに対してではなく、すでに受けた人たちへのメッセージです。(ローマ6:3)つまり、バプテスマを受けたのに、その意味を正しく理解していない信者が多かったということです。
 ですから、再度確認します。水に没したことは、罪TO

 ペテロによれば、「バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。」(Ⅰペテロ3:21)と語られています。 言い換えれば、バプテスマを受けても肉体は汚れたままだと言っているわけです。「正しい良心」の反意語として「邪悪な良心」ということばがあります。(ヘブル10:22)「邪悪な良心」とは、簡単に言えば、「自分は駄目だ」「ふさわしくない」と自分にこだわって神から遠ざかり、自分の内側をのぞき込むことです。そうではなく血の注ぎかけを受け、きよめられた心で、約束された方の真実にすがって近づく姿勢こそが、正しい良心に基づいた信仰姿勢です。(ヘブル10:19~23)

 さらに、使徒たちによるこれらのメッセージは、バプテスマの教理に関する知識理解を正すものだとは思わないでください。知識理解ではなく、「生き方」です。ペテロは「生き方」にこだわっています。(Ⅰペテロ3:2,16)「正しい良心」と「正しい生き方」には関連があるのです。もちろんこの正しさは人間から来るものではないのです。知識ではありません。信仰の基本的スタンスです。
 バプテスマの意味さえちゃんとわからずに、信じたつもり、従っているつもりでいる人たちは、自分がすでに死んだことがわかっていないので、未だに自分の性格の弱さや、罪の問題に悩んでいる。だから、約束の安息にも預かることができす、復活の力も味わえないでいると指摘しているのです。
 ですから、これからバプテスマを受ける方も、すでに受けた方も、その意味や価値を今一度かみしめて、ともに味わいたいのです。

 イエスがご自身の公生涯のはじめに受けられたバプテスマを、みなさんはどのように評価していらっしゃいますか。(マタイ3:13~17)
 ヨハネは、自分がイエスにバプテスマを授けるのは変だと感じたのです。だから、そうさせまいとしたと書いてあります。でも、あえてそうさせてくれと願われたイエスのことばに従ったのです。このことにはどのような意味があるのでしょう。

 神が私たちのバプテスマをイエスの十字架上の死と同一視することは、それ自体不可能なことです。それを可能ならしめるのは、「イエスが」罪人の代表者としての資格を得るために、「イエスが」罪人が悔い改める際に受けるバプテスマを受けてくださったからです。泥水の中で溺れている人を助けるためには、自らも泥水に飛ぶ込む必要があります。悔い改める罪を持たない聖なる御方が、悔い改めのバプテスマを受けに来られたとき、ヨハネがとまどったのは当然です。しかし、イエスの覚悟と思いに触れて、ヨハネは受け入れました。ヨハネはどれほど厳粛な気持ちでイエスにバプテスマを授けたことでしょう。

 バプテスマが私とイエスをひとつに繋いでいるのがおわかりでしょうか。それはイエスが十字架によって、アダムがもたらした罪と死を終わらせてくださり、よみがえりによって新しい聖霊のあゆみを始めてくださるということなのです。私の信仰によって受けるバプテスマが、このイエスとの一体化をもたらすものであるということを知ることほど大切なことはありません。ガラテヤ3:27には「バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです」とあります。キリストとの一体性を、「キリストの義の衣を着ている」「贖いに包まれている」と考えるとイメージしやすいのではないでしょうか。

 イエスが水から上がられると、聖霊が目に見えるかたちでくだり、父の承認の声が聞く者の耳に聞こえました。父が喜ばれるのは、御子です。父を満足させるのは、常に御子です。御霊によって歩む御子なので。バプテスマを受けている私ではありません。従う決意をした私ではありません。そのことが分かれば、この呼びかけや承認は、神の子としての特権を得た私に対する主の呼びかけとなります。よろしいでしょうか。なぜなら、私とキリストはひとつになるからです。これは似ているようで全く違います。

 バプテスマを、父・子・聖霊の名によって授ける意味を今一度考えてみて欲しいのです。(マタイ28:18~20)