2009年6月30日火曜日

6月14日 ダビデ王の誕生とその周辺 (ダビデの生涯と詩篇 6 )

 今日はサウルの死後、ダビデがまずユダの王となり、それからイスラエル全土の王になるまでの7年半の間に、ダビデとその周辺でおこった出来事や、人物にスポットを当ててお話します。このあたりの出来事や登場人物について、よくご存じの方も、あまり馴染みのない方も、よく聴いてそれぞれのキャラクターや関係性を整理してください。

 まず、イスラエルの初代王サウル、そしてサウルの死後王位につく息子のイシュ・ボシェテ、将軍アブネル、そして、ダビデと将軍ヨアブ、その弟でアブネルに殺されるアサエル、ダビデが取り返すサウルの娘ミカルなどが主な登場人物です。

 サウル王の死は、いよいよ王位に着くときが近づいたことを意味していました。しかし、サウル王が死んだことを聞いても、ダビデは単純に喜びませんでした。自分のいのちを狙い、苦しめ続けてきた人間がいなくなったのですから、ほっとした気持ちが全くなかったとしたら、それは嘘になるかも知れませんが、サムエル記の中には、ダビデが喜んで「いよいよ王位が近づいた」と息巻いている姿は出て来ません。

 どうしてもダビデの引き立て役のような役回りを演じてしまうサウルですが、その最期も非常に惨めなものでした。絶望の中で自害するのですが、死にきれませんでした。激しいけいれんに襲われ、苦しみながら、最終的には異邦人に介錯を求めました。これはユダヤの王、軍人である者にとっては、最大の恥辱だったでしょう。その悔しい心のうちを察することが出来ます。

 サウルの最期を見取ったその男は、良き知らせを届けたつもりでしたが、ダビデは逆に怒って彼を殺しました。ダビデはこう言っています。
「主に油注がれた方に、手を下して殺すのを恐れなかったとはどうしたことか。」(Ⅰサムエル1:14)
 このことばはダビデの一貫した姿勢を表している重要なことばです。
 ダビデはサウルの手を逃れて国中を逃げ回り、結果的には国外にまで落ち延びますが、サウルの力に怯えたことなどありません。ガチンコ対決したらいつだって負けることなどなかったでしょう。ダビデが恐れたのは、サウルに油注がれた主です。王としては不適格で、自分のいのちをねらい続けるサウルをあえてそのまま王として扱っておられた主の摂理に服していたのです。ダビデは、理不尽な仕打ちや、理解できない展開に疲れ、傷つくことはあってもサウルに対しておじけずいていたわけではないのです。

 ダビデには勝てないのに、力ずくで殺そうとしたサウルと、勝とうと思えばいつで勝てるのに、あえてそうしなかったダビデ。ふたりが見つめているものは全く違っていました。
 ダビデの心にあったのは、主のみこころが実現することでした。単にサウルが死ぬことや、自分が王位につくことをのぞんでいたわけではありません。ダビデがサウルとヨナタンの死を悼む哀歌を読むと、不思議な気持ちになります。有能な戦士であり、竪琴奏者でもあったダビデの心意気と、彼の経験や人格を通して聖霊が豊かに語ってくださっているのを感じます。(Ⅱサムエル1:19~27)

 サウル亡き後、ダビデもアクションをおこします。しかし、軽はずみに自分から王位を宣言したりしません。その時カナンの南端に近いツィケラグに居たダビデは、これからどうしたらいいかを主にたずねました。「ユダの一つの町に上っていくべきでしょうか」主の答えは「上って行け」です。ダビデはどこへ上って行くべきかをたずねます。「ヘブロンに上って行け」と主から答えがありました。 
 もしヘブロンではなく、当時の首都であったギブアに上るなら、それは彼が王になりたがっている野心だと人々は理解したはずです。ダビデは、当然そういう可能性も考慮に入れて、「ユダの一つの町に上っていくべきでしょうか」と主に伺いを立てたのでしょう。主の答えは「ギブアへ」ではなく「ヘブロンへ」だったのです。この主のことばによって、ダビデは「王になるべき自分の時はまだ来ていないという」主からのメッセージを受け止めたはずです。

 ヘブロンはエルサレムから南西32㎞に位置しており、エルサレム、ガザ、ベエルシェバ、紅海の方面にのびる四大交通路の分岐点にあたる交通の要所であり、古くから栄えたユダの中心部でした。その地でとれるブドウは優良種として有名です。
 そして、ヘブロンはイスラエルの父であるアブラハムが亡くなった妻サラを葬るためにヘテ人エブロンから買い取った地所です。かつてアブラハムはここに天幕を張り、祭壇を築きました。アブラハム、イサク、ヤコブの3人の族長とその妻たちであるサラ、リベカ、レアの墓もあります。そして、何よりこの町はユダ族に属し、あやまって大罪を犯した人たちをかくまう「逃れの町」でもありました。
 そこへユダの人々がやって来て、ダビデに油を注いでユダの家の王としました。ユダの人々は主のみこころはよそに、ただ単純に、サウル亡き後はダビデしかないと思って集まって来たのです。 

 一方、首都ギブアでは、サウルの息子イシュ・ボシェテがサウルの後継者として、王位を継いでおりました。イシュ・ボシェテとは、「恥(ボシェト)の人(イシュ)」(恥さらし、面汚し)という意味です。本名はエシュ・バアルといいます。欄外に書かれているのが本名で、歴代誌にはちゃんとその名で記されています。(Ⅰ歴代8:33)ちなみに本名のエシュ・バアルは「神の子」の意味です。(Ⅱサムエル2:8~9)

 ギルボア山での決戦でペリシテ軍に大敗を喫したイスラエルですが、その後、ユダ族はヘブロンに戻ったダビデの許に集まり、彼に油を注いで「ユダの家の王」としました(Ⅱサムエル:1~4)残りの部族は、ヨルダン川東岸マハナイムへと拠点を移した将軍アブネルのもとで、サウルの子イシュ・ボシェテを「全イスラエルの王」とするのでした。ギルボアでの敗北以後、イスラエルはペリシテの属領となったため、サウルに続くイシュ・ボシェテ政権は、ペリシテの実質的な力が及ばないヨルダン川東岸のマハナイムで言わば、亡命政権のようなかたちで樹立されることになります。

 しかし、サウルの子イシュ・ボシェテはあくまでもお飾りであって、将軍アブネルが実権を握っていました。傀儡政権というやつです。これに対し、ヘブロンでユダの王になったと言っても、ダビデは敵国ペリシテの家臣にすぎませんでした。

 この時点では、まだイスラエル全体はペリシテの占領下にあり、独立した王国ではありません。そんなイスラエルの一部族にすぎないユダの王になったといっても、敵にとっても大した驚異ではなく、むしろ、ペリシテによる支配の延長と見なされていたようです。
 とは言え、イスラエルにしてみれば、ひとつの国に二人の王が擁立されたことになりそれはそれで大問題です。その結果、サウルの家とダビデの家の間に内戦が起こり、激しい闘いが続きますが、ダビデの軍が優勢だった様子が書かれています。(Ⅱサムエル2:17)

 この内戦においてダビデ軍の将軍ヨアブの弟である韋駄天のアサエルが、敗走するアブネルを執拗に追いかけた末に、逆にアブネルの返り討ちにあって戦死します。ダビデの将軍ヨアブはそのことを深く恨んでいました。(Ⅱサムエル2:18~23)

 一方、サウルの亡命政権の実権を握っていたアブネルですが、サウルの側女リツパと通じていました。それを王であり、サウルの子であるイシュ・ボシェトが非難したのは当然です。もちろんそれはふしだらなことですが、イシュボシェテは別に、道義的責任を追求する気はあまりないのです。むしろ、実質的に王権を奪おうという企みが見えたからでしょう。日本の摂関政治と同じですが、王の嫁や娘をめとるという行為の背景には、王位継承者であることの主張があります。(Ⅱサムエル3:6~11)ダビデは後にサウルの娘ミカルを取り戻しますが、それも、愛情というよりはおそらく戦略上の判断でしょう。

 イシュ・ボシェテは、アブネルに頭が上がりませんでしたが、対ペリシテ戦略を考えると、ダビデと敵対するよりは、取り入った方が有利だと判断したようです。やがてアブネルは、やがてイシュ・ボシェテを見限ってダビデと良い関係をもって操ろうと考えたのです。そんなアブネルの魂胆と行状を見切っていたダビデは、かつて娶っていたミカルを返すことを交換条件として提示します。これを交渉に来たアブネルだけでなく、王であるイシュ・ボシェテに使いを送って言わせました。(Ⅱサムエル3:12~16)この当たりの交渉術を見ると、ダビデは戦士としてはもちろん、政治家としても一流であったことがわかります。
アブネルよりも一枚上手だったダビデは、別に策を弄したわけでもなく。寛大な気持ちでアブネルを歓迎しますが、ダビデの将軍ヨアブはそれが気にいりません。「ネルの子アブネルが、あなたを惑わし、あなたの動静を探り、あなたのなさることを残らず知るために来たのに、お気づきにならなかったのですか」(Ⅱサムエル3:25)と言っています。ヨアブはダビデには断らずに自分の判断でアブネルを殺します。ヨアブは忠臣を装っていますが、本音は将軍の地位を脅かすであろうライバルの芽を断つことそして、何より兄弟アサエルの恨みをはらすためでした。(Ⅱサムエル3:26~27)
今日は、ダビデとダビデの周辺の人たちとの「信仰の違い」と「主のお取り扱いの違い」をしっかり見て欲しいのです。サムエル記を単なる「国盗り物語」や「軍記物」のように表面を追う読み方も出来るでしょうが、それだけでは十分ではありません。ダビデの信仰やサウルの不信仰だけでなく、「主のお取り扱い」に注目しながら注意深く読みたいものです。そのような視点で、もう一度整理してみましょう。

 まず、内戦でアブネルに殺されたヨアブの弟アサエルを思い出してください。アサエルは足が速く、そのことに物凄い自信を持っていたことがわかります。アブネルはアサエルを殺すことを嫌い、忠告を与えますが、アサエルは執拗に追い続けたのでした。ダビデの王アブシャロムも、自慢の髪の毛が木に引っかかって、それが殺されるきっかけとなりました。自分の美しさや力や富に頼る者は、それに裏切られます。

 ダビデの将軍だったヨアブと、サウルの将軍であり、サウル王家の実権を握るアブネルは、このアサエルを巡って遺恨を深めるわけですが、このふたりの確執からも、ダビデは一歩退いたところにいます。

 アブネルは野心家であり、策士でもあり、頭もキレました。イシュ・ボシェテを立てたものの、このままサウル家に仕えても、ダビデに勝ち目のないことを悟っていたからです。そこで、和解を申し出るわけですが、ダビデについておいて、少しでも自分の影響力を保とうという策略です。

 ダビデの将軍ヨアブは有能な軍人です。異邦人との戦いに数々の輝かしい戦績をあげ、ダビデ王朝の基盤を築き上げた功労者であることには間違いありません。しかしヨアブの心はダビデとは違っていました。主に頼るよりも、何でも自分の力でやりくりするタイプでした。敵を滅ぼすためには、勇猛果敢に、時には卑怯な手を使っても、容赦なく立ち向かいました。

 ダビデは歴戦の勇士ではありますが、彼が見ていたものは、ふたりの将軍とは全然違います。アブネルやヨアブが狼や獅子なら、ダビデは羊です。ダビデは少年時代から、いつも羊飼いである主の姿を追い続けてきました。

 サウルを殺す機会がありながら、ダビデはあえて手をくだすことをしませんでした。サウルが死んでも、それを喜ばず、ひたすら主の時を待ちます。自分の力で無理やり幸運を引き寄せようとするのではなく、神が実現してくださるのを待ち続けてきました。その結果、サウルの将軍アブネルも、サウルの後をとったイシュ・ボシェテも、ダビデが直接手をくださずに死んでしまいます。そして、サウルの死から7年後6ヶ月後に、ダビデは全イスラエルの王となるのです。

 ダビデはこう言っています。「ツェルヤの子(ヨアブ)らであるこれらの人々は、私にとっては手ごわすぎる。」(Ⅱサムエル3:39) 信仰によらずに、ことを推し進めようとするヨアブは、たとえ力強い味方であっても、ダビデの心からの信頼を得ていなかったことがわかります。

 そして、極めつけはこのことばです。(Ⅰ列王2:5~6)
 「ダビデの死ぬ日が近づいたとき、彼は息子のソロモンに次のように言いつけた。」その中でヨアブについて指示します。『あなたはツェルヤの子ヨアブが私にしたこと、すなわち、彼がイスラエルのふたりの将軍、ネルの子アブネルとエテルの子アマサとにしたことを知っている。彼は彼らを虐殺し、平和な時に、戦いの血を流し、自分の腰の帯と足のくつに戦いの血をつけたのだ。・・・彼のしらが頭を安らかによみに下らせてはならない。』」ビデはソロモンへの遺言の中で、自分に仕え続けたヨアブを殺せと命じたのです。

 このダビデの遺言の中にあるヨアブへの評価は、極めて公正なものとして注目に値します。ダビデはヨアブがアサエルのことで憎しみを燃え上がらせたように、ヨアブを恨んでいたわけではありません。ダビデは息子アブシャロムの件については触れず、アブネルアマサの件についての罪を指摘しているからです。
 いわゆるキリスト教の理解では、「アブネルは悪者、ヨアブは良い者、その心はダビデの味方だから」みたいなメッセージもあるようですが、このことばを見る限り、それは間違いであることがはっきりわかります。

 ヨアブは、アブネルとは似た者同士。お互いの腹は容易に読めるし、それだけに赦しがたい相手なのでしょう。エルサレムを攻めたとき、真っ先にエブス人を撃ったのも、ダビデの命令に従って、その意味を問うこともなく、ウリヤを殺したのも、自分に代わって将軍となったアマサを殺したのも、ダビデの息子アブシャロムにとどめを刺したのもヨアブでした。

 行動の動機が全く信仰と関係ないなら、かたちだけダビデに仕えても駄目です。たとえ、結果を出したように見えても、それは主がヨアブを使ってご自身のみことばを成就させただけであって、それは、ヨアブの信仰の結果ではないのです。
 
 自分で自分の未来を有利に切り開いていこうとせず、自分の思いを十字架につけ、みことばの成就を待ち続けるとで、主への絶対的な信頼を明らかにしたダビデの思いが、詩編の中に綴られています。

 悪を行なう者に対して腹を立てるな。不正を行なう者に対してねたみを起こすな。
 彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだ。
 主に信頼して善を行なえ。地に住み、誠実を養え。
 主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
 主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。
 主の前に静まり、耐え忍んで主を待て
 おのれの道の栄える者に対して、悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。
 怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。
 悪を行う者は断ち切られる。しかし主を待ち望む者、彼らは地を受け継ごう。
(詩編37:1-9)

 主はご自分のすべての道において正しく、またすべてのみわざにおいて恵み深い。
 主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに主は近くあられる。
 また主を恐れる者の願いをかなえ、彼らの叫びを聞いて、救われる。
 すべて主を愛する者は主が守られる。しかし、悪者はすべて滅ぼされる。
 私の口が主の誉れを語り、すべて肉なる者が聖なる御名を世々限りなくほめたたえますように。
(詩篇145:17-21)

 自分の力に頼り、策をめぐらし、有利な展開を切り開こうとすることは、主の最善の計画が実現されることを阻みます。

 現実生活の中で単純にみことばの約束の実現を待つことは、実はそれほど簡単ではありません。多くの人が力を持てあまし、己を過信し、神のいのちによらず、神のことばによらず、勝手に計画を立て、巨大なプロジェクトを実現するために、多くの汗や血を流し、崩壊と破滅に向かっていくのです。

 ダビデにならって、みことばの約束をしっかりにぎり、主を愛し、主を求め、主の御手にゆだねることが大切です。