11月2日 邪悪な時代(イエスのたとえ話27)
マタイ22:1~14
A 邪悪な時代はその邪悪さを自覚しない
○イエスに酷評されたユダヤ教指導者は尊敬の的(マタイ23:2, 7)
○知識の深さ、厳格なライフスタイル(ガラテヤ2:11~14)
B イエスの律法学者・パリサイ人批判のポイント
○彼らが何を主張したかではない(マタイ23;3)
○偽りの父から始まる偽りの系譜(ヨハネ8:31~44)
○指導者が最も大きな救いの妨げとなる(マタイ21:42, 23:15)
C 神のことばを聞いてそれを守る人たちの幸い
○幸いなのは神のことばを聞いてそれを守る人たち(ルカ11:28)
○個人が特定の団体への所属をもって承認することなどない
→家族や肉親でさえひとくくりとは見なさない(マタイ12:46~50)
D 邪悪な時代が求める「しるし」と「不思議」
○イエスは「型」や「影」ではなく「本質」であり「実体」
○イエスを見たものは父を見た(ヨハネ14:7,9)
○日々みことばを味わうことがイエスと出会うこと(ヨハネ6:63)
○ヨナやソロモンに劣ると見えた人間イエス(マタイ12:41~42)
E 変貌の山で3人の弟子が見たもの
○神の栄光を完全に現すのは誰か(ヘブル1:3)
○神と人との仲介者は誰か(Ⅰテモテ2:4)
○神が満足するのは誰か(マタイ17:5)
F 邪悪な時代に必要なことは
○みことばを聞いて逆らうといっそう悪くなる(マタイ12:43~45)
○人に惑わされないこと(マタイ24:4)
→大事なのは新しい創造(ガラテヤ6:15)
○悔い改めが求められている(マルコ1:1~2,15)
→悔い改めが福音の根を支える(使徒17:26~31)
○バプテスマのヨハネに「しるし」も「不思議」もない