披露宴のたとえ (イエスのたとえ話 26)
マタイ22:1~14
A 神を拒む3つのたとえ
○ ふたりの息子のたとえ(マタイ21:28~32)
○ 悪い農夫のたとえ(マタイ21:33~44)
○ 披露宴のたとえ(マタイ22:1~14)
「ユダヤ人の指導者たちが、待ち望んでいたはずのキリストであるイエスを拒
むことによって、罪人や異邦人たちに救いが広がっていく」
→唯一の神からの栄誉よりも互いの栄誉を重んじた(ヨハネ5:44)
→新しい着物を着ようとは思わなかった。
古い権威への執着(マタイ21:23,45~46)
B 披露宴の象徴するもの
○ 王・・・・父なる神
○ 王子・・・・御子イエス
○ 披露宴・・・・教会の交わり
○ 招待しておいた客・・・・ユダヤ人
○ 大通りで集められた人・・・・異邦人
C 「礼服」こそが参加資格
○ 当時のユダヤでは、王は招待客に晴れ着を送る習慣があった
○ 礼服を着ているかいないか・・・参加資格は「人」ではなく「服」
「礼服を着ている悪い人は楽しく飲み食いしているのに、礼服を着ていない良い
人は手足を縛られて放り出されているということも当然起こり得る」
○ 礼服はイエス・キリストの義による贖い
○ 礼服を着ていくことは信仰の告白
「私は罪人であり、イエスおひとりが義であり、そのイエスの義が私の罪を覆っ
ている。だから神はキリストの義のゆえに罪人の私を、そのままで受け入れる
ことができる」(ガラテヤ3:26~27)
○ 礼服を軽んじることは威光を傷つけ名を汚すこと・・・・救いの拒絶
○ イエス・キリストを日常的に着ていること(ローマ13:14)
D 天の御国とは
○ 父なる神のご人格そのもの(マタイ22:2)→イエスを味わうこと
○ 人となられたイエスがおられない世界は本質的に空っぽ