まことのぶどうの木 (イエスのたとえ話 22 )
ヨハネ15:1~8
A ぶどうの木はイエスの影・教会のモデル
○ぶどうの木は低く横に広がる
○ぶどうの実はひとつの実ではなく房状
○ぶどう酒は契約の血
B とどまるべきところ
○実を結ぶものは刈り込まれる(ヨハネ15:2)
○「わたしはすでにきよい」というみことばに立つ(ヨハネ15:3)
○イエスを離れての居場所などない(ヨハネ15:4~6)
C すでにきよい
○残すところなく示された愛(ヨハネ13:1)
○「上着を脱ぐ」(ヨハネ13:2)
→特権を主張しない(ピリピ2:6)
→いのちを捨てる(ヨハネ10:11)
○ペテロはすでにきよめられている自分を再発見した
→しっかり反省できた自分に納得できたのではない
○聖霊による更新の洗い(テトス3:5)
D 欲しいものを求めよ
○私たちが主にとどまる
→みことばが私たちにとどまる
→何でも私たちの欲しいものを願う
→私たちの為にそれはかなえられる(ヨハネ15:7)
○鍵はみことばがとどまって「いる」か「いない」か
○50パーセントや70パーセントの「確信」「安息」の欺瞞
E 弟子は実を結ぶ
○実を結ぶことと弟子になることはひとつ(ヨハネ15:8)
○「イエスとともにいたのだ」というリアリティーを伝えること(使徒4:13)
○枝を含んだ全体がぶどうの木
○「まこと」は誰に属する?・・・弟子とはイエスの「忠実」また「真実」(黙示19:11)
を知る者