2008年10月3日金曜日

9月7日 メッセージのポイント

まことのぶどうの木 (イエスのたとえ話 22 )
   ヨハネ15:1~8

A ぶどうの木はイエスの影・教会のモデル
  ○ぶどうの木は低く横に広がる
  ○ぶどうの実はひとつの実ではなく房状
  ○ぶどう酒は契約の血

B とどまるべきところ
  ○実を結ぶものは刈り込まれる(ヨハネ15:2)
  ○「わたしはすでにきよい」というみことばに立つ(ヨハネ15:3)
  ○イエスを離れての居場所などない(ヨハネ15:4~6)

C すでにきよい
  ○残すところなく示された愛(ヨハネ13:1)
  ○「上着を脱ぐ」(ヨハネ13:2)
      →特権を主張しない(ピリピ2:6)
      →いのちを捨てる(ヨハネ10:11)
  ○ペテロはすでにきよめられている自分を再発見した
      →しっかり反省できた自分に納得できたのではない  
  ○聖霊による更新の洗い(テトス3:5)

D 欲しいものを求めよ
  ○私たちが主にとどまる
      →みことばが私たちにとどまる
      →何でも私たちの欲しいものを願う
      →私たちの為にそれはかなえられる(ヨハネ15:7)
  ○鍵はみことばがとどまって「いる」か「いない」か
  ○50パーセントや70パーセントの「確信」「安息」の欺瞞

E 弟子は実を結ぶ
  ○実を結ぶことと弟子になることはひとつ(ヨハネ15:8)
  ○「イエスとともにいたのだ」というリアリティーを伝えること(使徒4:13)
  ○枝を含んだ全体がぶどうの木
  ○「まこと」は誰に属する?・・・弟子とはイエスの「忠実」また「真実」(黙示19:11)
    を知る者