2009年7月5日日曜日

7月5日 神の箱とダビデ (ダビデの生涯と詩編 7 )

 「聖地エルサレム」などという言い方をします。ある時期にはこの地を手中に治めるために、人はたくさんの血を流しました。いわゆる聖地争奪の争いです。こんな都市は世界中でこの町をおいて他にありません。エルサレムはご承知のように、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教の聖地とされ、第2次大戦後に再建されたイスラエルとパレスチナや周辺アラブ国との確執はしばしば報道されるとおりです。今日も各種宗教のごった煮状況で紛争も絶え間なく、混沌としたイメージがあります。
 一番大事なことは、ダビデがキリストのモデルであるように、エルサレムは新エルサレムのモデルだということです。キリストのモデルとして見ないならダビデはただの歴史上の人物であるように、エルサレムを新エルサレムのモデルと見ないなら、エルサレムはロンドンやパリというような世界の一都市にすぎません。今日は、そのエルサレムを、特別な場所(神の臨在と祝福があふれる聖なる都市)にするため、「神の箱」(契約の箱)を運ぶというお話です。
 「神の箱」には4つの呼び方があり、場面よって使い分けられています。まず、「契約の箱」。次は「あかしの箱」。そして「主の箱」。最後が今日出てくる「神の箱」という言い方で、これはヨシュアの時代以後表現です。治められている契約そのものよりも、神の御臨在にポイントが置かれているからでしょう。「神の箱」はモーセの時代に作られ、会見の幕屋の至聖所に置かれ、そこから主はモーセに語られ、大祭司アロンが年に一度イスラエルの贖罪を行なったと伝えています。イメージしていただくために、もう少し補足説明すると、「神の箱」は、アカシヤ材という材で作られています。長さ約1.1m、幅約66cm、高さ約66cmで、純金をかぶせ、肩にかついで持ち運ぶために左右に2個ずつ金の環を取り付け、金で覆った担ぎ棒を差し込んであります。まるで、日本の御輿そのものです。箱の中には律法の象徴である十戒を書き記した2枚の石の板が収められました。後になってアロンの杖とマナのつぼも治められました。
 さて、そのダビデの時代に話を戻しますが、この当時のエルサレムはエブス人の町であり、異教徒の都市でした。ダビデは、このエルサレムをイスラエル統一王国の首都とするため、そこを政治・軍事の中心とするだけでなく、礼拝の拠点とする必要がありました。そこで、ダビデは自分を王位に導いた神の臨在の象徴である「神の箱」を、エルサレムに運んで来ることで、その権勢を確固たるものにしたかったのです。自分はサウルとは違うという自負があったでしょう。神の約束によって王位を得て、神の祝福によってその王権を確立するのだと宣言したかったのです。ですから、ダビデが王に即位してまず真っ先に取りかかった事業が、この「神の箱」の搬入でした。まさに国家的プロジェクトとして実行に移すわけです。ダビデはこの事業を出来るだけ劇的に行おうと考えたようです。この事業の決定に関しても、ダビデの鶴の一声ではなく、異例の民主的手続きをとっています。まず代表者たちと協議し、丁寧に全会衆の賛同を得ています。(Ⅰ歴代誌上13 :1~2)

 「ダビデは再びイスラエルの精鋭三万をことごとく集めた。ダビデはユダのバアラから神の箱を運び上ろうとして、自分につくすべての民とともに出かけた。神の箱はケルビムの上に座しておられる万軍の主の名で呼ばれている。彼らは神の箱を、新しい車に載せて、丘の上にあるアビナダブの家から運び出した。アビナダブの子、ウザとアフヨが新しい車を御していた。丘の上にあるアビナダブの家からそれを神の箱とともに運び出したとき、アフヨは箱の前を歩いていた。ダビデとイスラエルの全家は歌を歌い、立琴、琴、タンバリン、カスタネット、シンバルを鳴らして、主の前で力の限り喜び踊った」(Ⅱサムエル6:1~5)

 凄く華やかな光景です。3万人の精鋭部隊です。(Ⅰ歴代誌12:23~38)しかも、この精鋭部隊は、誠実な心で並び集まって、心を一つにしてダビデを王にした武装兵士たちの中の選りすぐりです。契約の箱を載せる車も新しいものをあつらえました。車を御すのは、これまで神の箱を安置していたアビナダブ家の子どもたちです。音楽隊も大いにムードを盛り上げています。弦楽器や管楽器(歴代誌にはラッパの記述あり)打楽器の音に合わせて、全イスラエルが、王とともに神をほめたたえ、賛美の歌声が高らかに響いています。何事もうまく行くかのように思えました。しかし、ここで思わぬ事故が起こったのです。運搬中に、牛がよろめいて大切な「神の箱」が落ちそうになったのです。その時、御者のひとりであったウザが機転を利かし「これはいけない」とばかりに、あわてて手で押さえようとしたところ、神に打たれて即死するという事件です。

 落ちそうになった「神の箱」を反射的に受け止めようとしたわけですから、良いも悪いもないではないか。むしろ褒められることはあってもどうして殺されなければならないのかと理解に苦しまれる方もおられるかもしれません。しかも、たまたまウザは後ろにいて、同じ仕事をしていた兄弟のアフヨは前にいたのです。ウザがずいぶんかわいそうな気がします。アフヨがいい奴で、ウザが嫌な奴だったのでしょうか。いろいろ不思議に思います。 
そもそも、神の箱をエルサレムに運ぶのがみこころなら、どうしてここで牛がよろめくんでしょうか。
何が神をここまで怒らせたのでしょうか。神はただ気まぐれにご機嫌を損ねられたのでしょうか。物理的に箱に触れたから、電気ショックのように心臓が停止したのでしょうか。イスラエルの人たちも、ダビデもこの出来事をただの事故、偶然の変死とは見なしませんでした。神の怒り、神のさばきとして、またメッセージとして受け止めました。この事件を聖書は「ウザによる割り込み」と表現しています。(Ⅰ歴代誌13:11)それは、その場所の地名にもなって出来事も語りつがれたでしょう。

 その日ダビデは神を恐れて言った。「私はどうして、私のところに神の箱をお運びできましょうか」(Ⅰ歴代誌13:12)とダビデは告白しています。
 まさに、ダビデは自分のところに、神の箱を「祝福の道具」として運ぼうとしたのです。これが根本的に思い違いであることを知らされ、ダビデは恐れます。神は常に私たちの原因であり目的である御方です。決して私たちが何かを得るための、私たちが幸福になるための手段とは成り得ない御方だということです。たとえそれが、私ではなく、国家が安定して平和であるためであったとしても・・・です。

 直接打たれたのはウザでしたが、打たれるべきはダビデでした。そして、ダビデに賛成したイスラエルの全会衆だったわけです。このことについて、もう少し丁寧に見ていきましょう。この事件には、今日にも通じる大きな意味と教訓があります。
 「神の箱」は、神の人との契約の象徴です。それは本来、会見の幕屋の至聖所に置かれるものです。決してダビデの王権の象徴ではありません。ましてや、ペリシテ人をはじめとする諸外国に対して軍事的なキャンペーンをするための道具ではないのです。  律法によると、神の箱はレビ人のケハテ族だけが運搬に携わることが許されていました。(民数記4:15)さらに、箱の下の四隅に取り付けられた金の輪に竿をさして肩に担がなければならないと厳密に定められています。(民数記7:9)
 ですから、ダビデが準備すべきだったのは、3万人の精鋭部隊ではなく、レビ人のケハテ族4人だったのです。あれほど人の力を嫌い、自分の思いを退け、主によって王位についたはずのダビデですが、この時は明らかに油断や慢心があったのでしょう。ダビデは、決してみことばを侮っていたわけではありません。しかし、「神を礼拝すること」に関して、「神の聖ということ」に関して、一番大事なポイントを外していました。それは簡単に許されることではなかったのです。

 ダビデは、自分が神によって立てられた王であることのお墨付きとして、自分の町に神の箱を置いて、そこで国家的な礼拝が組織しようと考えました。そして自分の頭で考え、自分の力で、この事業を行ったのです。先にも見たように、この事業の決定についても、代表者と協議し、会衆の同意を取り付け、民主的に事をすすめますが、神は二番目でした。「もしもこのことが、あなたがたによく、私たちの神、主の御旨から出たことなら・・・」と確かにダビデは言っています。全集団は同意し、すべての民がそのことを正しいと見たと書かれています。(Ⅰ歴代誌13:1~4)しかし、敵を攻めるときのように、「主にうかがった」とは書かれていません。主にうかがったのなら、主がそうせよと命じられたのなら、代表者との協議や、会衆の意見を確認する必要はないのです。なぜ、ダビデはそれを怠ったのでしょう。ダビデの頭にはまずこの事業の成功が頭にありました。「それは悪いことであるはずがない」という思い込みがあったのです。新しい車を作ったことは、確かにダビデの敬虔さや心構えの現れです。ただ神の箱を運べばいいという横着さはないと思います。しかし、たとえ車が新しかろうが、お金をかけて作ったものであろうが、牛に牽かせて車で運ぶのは、異邦人が自分たちの偶像を運搬する方法だということです。実際にペリシテ人が神の箱をイスラエルに返した時に取った方法と同じものです。

 ダビデは、恐れてすぐには神の箱を運び直そうとはせず、オベデ・エドムの家にそれを置きます。神の箱がおかれた彼の家と彼に属するすべてのものが祝福されたのを見て、ダビデはもう一度神の箱を運びました。ダビデはこの3ヶ月の間に自分の慢心や油断を振り返り、罪を悔い改めました。そして、今度は正しい方法で神の箱を運搬するように命じています。(Ⅰ歴代誌15:2,12~15)
 ダビデは神の怒りが燃え上がったのは、「わたしたちがこの方を定めのとおりに求めなかったから」(Ⅰ歴代誌15:13)であるという結論に至っています。そうなのです。私たちが祝福されるのも、されないのも、このみことばの法則に従っているかいないかです。「ダビデだから祝福される」「良いことだからうまくいく」のではないとうことです。結果的に言えば、誰が賛成しようが、反対しようが、神の箱がエルサレムに運ばれることは神のみこころだったと言えるでしょう。
 確かに、福音を伝えること、神を賛美することは、みこころにかなっているでしょう。しかし、その動機や方法が問題です。キリストの名を自己実現の生活の手段にしているのは誰ですか。自分の安心や満足のために奉仕や伝道をしてはいませんか。それらすべてはウザの割り込みであって、神の怒りの対象だということを今日の箇所は厳しく、鋭く警告しています。
 これだけの厳しい訓練を受けて、いよいよ王位につこうというダビデが立ち止まらされたのです。神の臨在というのは、それほど厳粛なものだということです。私は、以上のような理由で軽薄な聖会だの代表者の協議を経た一致団結などを、心の底から嫌悪し、霊の痛みをもって拒否しているのです。もし私のメッセージを聞いて、心の奥底にアーメンがあるなら、直ちにそうした穢れたものからは離れるべきです。

 神への礼拝や奉仕は、人間の側の熱心や敬虔さによって成り立つものでありません。人間がどれほど熱意をもって奉仕に取り組み、礼拝を捧げたとしても、それがそのまま神に受け入れられ喜ばれるものではありません。神を礼拝する者は霊とまことによって礼拝しなければなりません。当時は、神の箱を担ぐにはレビ人が必要でした。しかし、今はどうですか。その資格を自称する現代の使徒・預言者の力が必要ですか。「レビ系の祭司職は終わった」とヘブル人への手紙の記者は言います。メルキゼデクの位に等しい大祭司とは誰でしょう。イエスです。私たちがイエスの血以外の何かによって近づくとき、神の聖さが私たちを滅ぼしてしまいます。偶像を運ぶ人が偶像を運んでも実害はありません。しかし、クリスチャンを自称する者が、偶像を運ぶ方法で神の臨在を運ぼうとするなら、運び手は神に打たれます。

 ウザのことがあっただけに、「神の箱」が無事にエルサレムに運び上げられたことは、ダビデにとって大きな喜びだったでしょう。同時に物凄く大きな責任を感じていたはずですから。ダビデは嬉しさのあまり、民衆を前であることを気にせず、王としての威厳を捨てて、裸で踊ってその喜びを全身で表現します。「力の限り踊った」(Ⅱサムエル6:13)と書かれています。後のミカルのことばにもあるように、どうやら、それは身内でさえ嫌悪するような醜悪さだったようです。ただ単に服を脱いでいたことだけではなさそうです。こう考えると、いわゆる宗教儀式における見せかけの荘厳さや、もったいぶった形式とは無縁な自由さが、このエルサレムにおける最初の礼拝にはあったことがわかります。
 ダビデをとんだりはねたりして踊らせたのは、無事神の箱をエルサレムへ運び上げられたという満足感ではありません。赦されている喜び、神のみことばに従う中で、罪深い私が聖なる神の臨在にあずかれるという喜びなのです。なぜ、そう言えるのでしょうか。ダビデは、かつぎ手が6歩進んだときに、生贄を捧げたました。(Ⅱサムエル6:13)なぜ、6歩ですか。6は不完全さを表す人の数字です。不完全な人の歩みを赦してくださり、完全に贖ってくださる血を象徴した生贄でした。さらにダビデは亜麻布のエポデを身につけていました。これは、神の臨在の前に王としての立場ではなく、一礼拝者として賛美しますというダビデの告白なのです。最後に、このときダビデが組織した音楽隊が歌った賛美を見てみましょう。(歴代誌16:7~37)アサフに賛美させたこの歌は、ウザの割り込みの後に作ったものでしょう。特にダビデが過去のあゆみを振り返り、もう一度立ち直る心の動きを歌った箇所は心を打たれます。(詩編77:4~12)この歌の中ではワンフレーズでサラッと歌われるだけですが、背景には主の御前でのダビデの霊の葛藤があったことが伺えます。(Ⅰ歴代誌16:11~12)