2007年5月23日水曜日

5月20日 ステパノのメッセージ

使徒7章はステパノのメッセージです。みなさんは、このメッセージをどのようにお読みになったでしょうか。ステパノは、ユダヤの歴史をアブラハムから今日に至るまで振り返りながら、ダイジェストで語りました。そのアウトラインはユダヤ人なら誰もが知っている先祖の歴史です。しかしながら、その解釈は誰も聞いたことのない独特のものでした。選民としての強い民族意識に燃えるユダヤ人の宗教指導者たちにとって、「あなたがたは、その父祖アブラハムから今日に至るまで、一貫して神に逆らい続けて来たではないか」という辛辣な内容は、絶対に受け入れることができないものでした。ステパノのことばは、誤解する余地がないほど明確でした。「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち。あなたがたは先祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が誰かあったでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もってのべた人たちを殺したが、今は、あなたがたが、このあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。」(使徒7:51~52)ステパノは、ユダヤ人の全ての歴史と誇りを完全に否定しました。人々は、これを聞いて心を刺され、悔い改めはしませんでした。逆にはらわたが煮えかえるほど怒り、全員でステパノに石を投げつけて殺しました。果たして、ステパノのメッセージは失敗だったのでしょうか。もっと別のことを違った方法やことばで伝えるべきだったのでしょうか。どう思われますか。私たちはステパノの死から約2000年のときを経た今日、この問いに誠実に答えるべきです。
ステパノのメッセージの結果は、大喝采や賞賛ではなく、怒号と暴力でした。語ったがために殺されたのです。私は、このステパノのメッセージを読みながら、深く反省させられました。語ったがゆえに殺されるほどのメッセージは、まさに力あるものです。
このメッセージのもたらした悲惨な結末と同時に、その力強さの秘密を、ルカは殺されてゆくステパノの表情の中にとらえています。ステパノは御使いのような顔で、聖霊に満たされながら語り、そして喜びの中で死んでいったのです。ステパノに死に様は、まさに十字架のイエスさまと重なります。(使徒7:54~60)彼は主に霊をゆだね、自分に石を投げた人々をとりなす祈りをします。語る相手を伺い、顔色を気にしていては、このようなメッセージは絶対出来ません。ステパノの死は、「教会の歴史の中で初の殉教者の記述である」と言われます。しかし、私はこの種の言い回しも「殉教」という表現も好きにはなれません。日本語では、エクレシアは教える会の「教会」であり、それに合わせて教えに殉ずる「殉教」なのでしょうが、ステパノは信念のために自ら死を選んだわけではありません。みことばを語ったがゆえに怒り狂った人たちが彼を石で打っただけの話なのです。ステパノが見つめていたのは、メッセージを伝えているユダヤ人ではなくイエスさまでした。ステパノの心を支配していたのは、イエスさまであって、決して「教え」ではありませんでした。殉教者の内面が小説の題材になることは多いですが、これは極めて人間的で、実に非聖書的です。教会の中にも「殉教」を頂点として、信仰を徳目としてとらえる弱さが常に働いています。「御使いのような顔をした人になろう」という発想は全く逆さまの発想であって、ステパノ自身は「自分の表情がどのようであったか」ということになど、何の関心もなかったでしょう。ステパノの顔がそのように輝いて見えたのは、彼の全存在がイエスさまの栄光を真正面から受け止めた結果なのです。
このステパノのメッセージを受けた私たちは、今この時代に対していったい何を語るべきなのでしょう。ステパノのメッセージのポイントを整理してみます。まず第1に、ステパノのメッセージは、どの文章もすべて神が中心です。「神が現れた」「神が言われた」「神が約束された」「神がお与えになった」「神がともにおられた」と、神を主語として語られている内容が、大半を占めています。それに対して人間がどのように応え行動したかというまとめ方になっています。今日の証やメッセージは、ほとんどが「私」を主語とした問題や祝福の話です。ステパノのメッセージと比べてみれば違いは明確です。ステパノが神を主語にして語るとき、神は常に変わらず、憐れみ深く働きかけ、恵みを注ぎ続けておられます。しかし、人はそれを拒み続け、逆らい続けるという内容です。
そして第2に、そんなどうしようもないユダヤ人の歴史のポイント、ポイントに、神が選ばれた憐れみの器をお立てなったことを語っています。アブラハムに始まり、イサク、ヤコブ、12人の族長の中からヨセフ、そして、モーセ、ヨシュア、ダビデ、ソロモンです。彼らは預言者として神のことばを預かり、民に語りましたが、彼らは必ずしも受け入れられず、常に孤独でした。迫害や苦しみの中でみことばの約束に握って歩み、それぞれの時代に神に従った結果、彼らの人生そのものが来たるべきキリストの雛型となりました。例えば、ヨセフが兄弟たちにねたまれエジプトに売られるが、その後エジプトに大臣となって、ききんで苦しむ兄弟達を救って再会を果たすことは、イエスさまを十字架につけて殺したユダヤ人がやがて、その罪に気づくときに和解することの雛型です。いくら年寄り子のヨセフが可愛いからといっても、ひとりだけ特別扱いして上等な服を着せたりしたヤコブの愛情表現はどう考えても偏っており、賢い子育てではありません。その結果、兄弟がヨセフをねたんでエジプトに売るわけですが、神の手によれば、そのような愚かさも許容されています。また、モーセが同胞を救うために立ち上がるが、民から理解を得られず、逃れたミデアンの地で異邦人の女性と結婚して子どもを設けることは、ユダヤ人の手によって十字架につけられたイエスさまの福音が異邦人に受け入れられ花嫁としての教会が異邦人から迎えられることの雛型です。また、ダビデは羊飼いから王になるに至るそのドラマチックな人生そのものが、ソロモンはその類を見ないほどの知恵と繁栄ぶりが、イエスさまの苦難と栄光を映しています。そして、彼らの信仰のあゆみがひとつにつながって、イエスさまを生み出す系図を作り出しているのです。神の主権と選び、そして人の失敗と信仰による選択が、見事に織りなされてキリストの救いの計画を実現に至らせ、教会を誕生させるのです。
ステパノは、アブラハムからイエスさまの時代までのユダヤ人の歴史について語りましたが、選ばれた器たちの歩みは、さらに先の教会時代をも含む歴史を先取りしたかたちで予表しています。それらを今日に当てはめて、ペンテコステから再臨に至るまでの教会の歴史について語るなら、その反抗や不信仰ぶりも、同じかもっとひどいものになるはずです。教会もまた主に逆らいどおしで、同じ愚かさをさらに拡大して繰り返しているのです。 神の偉大さも、人の愚かさも、変わることはありません。
 第3番目に、ステパノは神の臨在の本質について語りました。移動可能だった荒野での「あかしの幕屋」から、約束の地で王国を確立した後の固定した「神殿」に至る歴史を振り返りながら、初めから手で造った家になど住まないのだという根本的なことを思い出させます。(使徒7:48~50)このあたりが、「聖なるところを壊し、慣例を変えてしまう」といった批判につながるのでしょう。(使徒6:14) しかし、これはもともと、神殿を造ることを計画したダビデに伝えるために、主が預言者ナタンに語られたことばにあるとおりです。(Ⅱサムエル7:7)ダビデは、神の家を造りたいと願ったのですが、逆に神がダビデに「あなたの家を造る」と繰り返し言っておられるのです。(Ⅱサムエル7,11~13)勿論、「あなたのために造られる一つの家」とは、「あなたの身から出る世継ぎの子の王国」とは教会のことです。先に引用されていたイザヤのことばでも、主のいこいの場所は、特別に人が造った場所ではなく、「へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者」であることが語られています。(イザヤ66:2)主は、常にそのような者とともにおられ、今日では、私たちの内側にその霊とともに住んでくださるのです。
最後に、ステパノがあげた選びの器のことばから、その信仰の態度を検証したいと思います。逆らい続けた民と、名を上げられた人物にはどのような違いがあるのでしょう。ヨセフの場合を例に見てみます。
「今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。」(創世記45:5)「だから、今、私をここに遣わしたのは神なのです。」(創世記45:8) これは、兄弟と再会したヨセフが語ったことばですが、自分の歩んできた道のりを恐れと感謝をもって、神の摂理の中できちんととらえています。 ヨセフはのその生涯の大半をエジプトで過ごしました。そこで大臣になりました。一方カナンには飢えた兄弟たちがいたのです。 しかし、ヨセフの心はエジプトの富や地位にはなく、約束の地にありました。その彼の信仰の証として、骨についての指図をしたのです。(使徒7:16)(ヘブル11:22)(創世記50:24~25) このように、いつの時代にも、心砕かれへりだって神のことばにおののく人たちを通してもたらされる恵みと、神に逆らい続ける人たちの抵抗する力がせめぎ合っているのです。