2007年6月2日土曜日

5月27日 サマリヤそしてエチオピアへ

 ステパノが死んだ後、主は新たな器としてピリポを用いられます。彼もまたステパノ同様に食卓の奉仕ために選ばれた御霊と知恵とに満ちた評判の良い7人のうちの1人でした。初めユダヤ人に伝えられた福音は、これからサマリヤ人や異邦人へと広がっていきます。サマリヤは長期間にわたり、イスラエル10部族の首都でした。エリヤの時代のイスラエルの王アハブの父であるオムリが建設した町です。(Ⅰ列王16:23~24)同時にサマリヤという名称は北王国全体を指す名称として定着します。アッシリアの王の政策によって、サマリヤに異邦人が送りこまれ、さらに捕囚されたイスラエル人の中から祭司が送りこまれます。その結果長期に渡って、サマリヤでは偶像礼拝と主を礼拝することが入り混じってしまいます。(Ⅱ列王17:24~41) 従って、ユダヤ人が「サマリヤ人」と言うとき、そこには「堕落した民」という一種の侮蔑を含んだニュアンスがあったわけです。 こうした旧約聖書の記述をふまえた上で新約聖書を見ていく必要があります。新約聖書を見ても、イエスさまは、12弟子を任命された当初、サマリヤに入ることを禁じておられました。(マタイ10:5)ヤコブとヨハネに至っては、サマリヤの町そのものを焼き滅ぼしたいと願ったほどでした。(ルカ9:54) しかし、それだけではありません。イエスさまはたとえ話の中で傷ついた隣人に対して、サマリヤ人がユダヤの祭司やレビ人にまさる愛を示したことを語らえました。(ルカ10:33) また、10人のらい病人が癒されたとき、感謝するために戻って来たのはサマリヤ人だけだったという事実も書かれています。(ルカ17:16)さらに、イエスさまは、サマリヤに住む、男にふしだらなひとりの女性に出会うためにあえてサマリヤを通られた記事もあります。(ヨハネ4:4)
主の大きな働きの全体を見ることは難しいことですが、自己中心な動機で、偏って見ていたのでは、真実を大きく見誤る可能性が高いことはおわかりいただけると思います。サマリヤの人たちに対する主のお取り扱いを出来るだけ主に近い視点で見ていけば、聖霊の働きに関する誤解もほどけます。ここの箇所は神学的にもめるところなのです。なぜかと言うと、信じてバプテスマを受けていながら、聖霊を受けていない人たちが登場するからです。「彼らは主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊がだれにも下っておられなかったからである。」(使徒8:16)これは、ペテコステ以前の信者たちも同じでした。まず信じた者たちに、約束としての聖霊がくだったことを信者たち自身がはっきり共通理解する必要がありました。だから、目に見えるしるしが伴ったわけで、勿論その後のすべての信者が聖霊を受けるごとに、激しい風が吹いてくるような響きが聞こえたり、炎のような分かれた舌が見えたりするわけではありません。そして、このサマリヤの人たちの場合、サマリヤ人がユダヤ人である自分たちと同様に救われ、同じ主の霊を受けるということは、簡単には理解しがたい、受け入れにくいことだったのです。主の恵みや憐れみの深さ、広さのサイズを、人間はことばだけで容易に受け入れることが出来ません。ですから、ペンテコステの場合も、サマリヤの場合も、使徒たちが主のみこころについて共通理解できるように、このように体験的に教えてくださっているのです。もともと、サマリヤをはじめ、エルサレム以外の周辺地域にみことばが広がっていったのは、計画的に伝道地域の拡大を図ったからではありません。迫害によって各地に散らされた結果でした。福音は人間を介して伝えられます。それが主の方法ですが、その広がりやつながりは、人間の意図することや願いを遙かに超えています。福音はそれを伝える人間よりも偉大なのです。これから、福音はさらに異邦人世界に広がっていきますが、サマリヤ人は、ユダヤ人と異邦人の中間的存在として位置づけることができるでしょう。異邦人が受け入れるにあたっても、ペテロが主のみこころを理解するには、「汚れた動物をほふって食べなさい」というあの幻を見て、コルネリオというひとりの敬虔なユダヤ人に会うことが必要でした。使徒の働きは、長く律法と死の力が支配していた時代から、いのちの福音による恵みの時代がはじまる過渡期です。その節目に起こった意図的な例外を一般化して曲解するのは、大変愚かな間違いです。例えば、ここではバプテスマを受けてから、権威ある者の按手によって聖霊は与えられています。だから、聖霊を受けていない人に、つまり信仰がはっきりしない人にも洗礼を授けてもかまわないのだとか、権威ある者の按手によらなければ聖霊は与えられないのだとか言い出すのは、間違いです。このように例外から、そのはずれた部分を許容したり、必要条件であるかのように絶対化したりしてはいけないのです。
 聖書全体を見れば、信じた瞬間に聖霊が与えられることは原則です。それは、新しい誕生を意味します。これはいのちの問題であって、意識の問題ではありません。赤ちゃんが生まれた瞬間に自分の誕生や存在を意識することはありませんが、赤ちゃんはその時確かに生まれたのと同じです。いのちが誕生することは、神のわざです。そこに人間は介在しますが、神の力は人間の意思や計画を超えたところで働いています。まして、産み出される当人のはかりしれないところで産み出される準備や環境が整っているのです。 このような後の信者の誤解を予測して、ルカは魔術師シモンのことを例にあげています。サマリヤに住むあらゆる人は、このシモンに関心を持ち、彼が行う不思議なわざに驚かされていました。(使徒8:11)シモンは確かに不思議を行っていたようですが、それは当然聖霊の力ではありません。 シモンはピリポが語ることばとしるしに驚き、その中に自分が行ってきた魔術以上のものを見ました。その評価は間違ってはいませんでしたが、正しくはありませんでした。シモンはピリポの力を自分の力の延長線上のものであると考えたからです。そこでシモンはピリポの権威を金で買おうとします。(使徒8:18~24) なぜ、ルカはシモンの記事をここに挿入したのでしょうか。それはこの聖霊の働きに関して、誤解する人が後を絶たないことを知っていたからです。悲しいことに、みことばを聞く者の中にも、シモンのように自分が権威を得るために、人々を驚かせて注目集めるための魔術の延長として理解する人がいるからです。また、権威ある人に按手してもらおうと目に見える人に頼るすがる人がいるからです。このような動機で主に近づく人が、聖霊にあずかることは絶対ありません。(使徒8:20)
 「このようにして、使徒たちはおごそかにあかしをし」(使徒8:25)と書いてあります。今日の教会の中に、このようなおごそかさがあるでしょうか。
 この後、主の使いがピリポに現れ、エルサレムからガザに行く道へと導かれ、そこでエチオピア人の宦官に出会います。彼は礼拝のためにエルサレムに上り帰る途中、馬車に乗ってイザヤ書を読んでいるところでした。まさに、主によって整えられた人でした。 このような人が、まだまだ私たちの周辺にもおられるはずです。そして、私たちが計画したり探したりしなくても、そのような方々との出会いが与えられるのです。イザヤ53章は、まさにイエスさまの苦難について書かれた箇所ですが、導いてくれる人がいなければ、その意味はとけませんでした。そして、この聖句からはじめて、ピリポが伝えたのはまさに「イエスのこと」(使徒8:35)でした。聖霊を魔術のような力として求めたシモンと、預言者のことばを丁寧に読み、そこからイエスのことを聞かされたエチオピアの宦官は、対照的に描かれています。最後に、使徒の働き全体を貫く重要なポイントを確認しておきたいと思います。今日見た箇所はピリポの活躍が目立っています。先週はステパノでした。  このような賜物にあふれる個人を見るのではなく、その背後にある大きな主の計画、みこころの全体をとらえて部分を見ていくことが大切です。
「さて、エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところへ遣わした。」(使徒8:14)と書かれています。ペテロやヨハネが自分勝手に行ったのではなく、「使徒たちが遣わした」のです。この記述からも、ペテロやヨハネがすべてを自分たちで決めていたのではないことがわかります。使徒たちは、新約聖書もない、教会のスタイルも固定されていない、サマリヤ人や異邦人へと福音が広がっていく過渡期にあって、主のみこころをしっかり受け止めていこうと、聖霊のみちびき敏感でかつ慎重であったはずです。みながみことばを重んじ、イエスさまを中心に仰ぎながら一致して重要なことを決めていったのだと考えられます。
ペンテコステのときも、その天変地異をともなう大きなしるしを正確に受け止められたのは、使徒たちがみなみことばの中で一致していたからです。ペンテコステの箇所にはこう書かれています。「そこで、ペテロは11人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った」(使徒2:14)
ペテロとともに同じ心で立っていた人たち、その証が使徒時代の教会の力でした。使徒の働きは、聖霊の働きであり、教会の働きであり、イエスの働きなのです。今日教会の活動が、「人間の人間による人間のための働き」であることが何と多いことでしょうか。そうであってはいけません。教会は主のからだです。かしらであるイエスさまにつながって、その思いを具現化するいのちの
器官なのです。