悪い農夫のたとえ (イエスのたとえ話 17 )
マタイ 21:33~46
マルコ 13:1~12
ル カ 20:9~18
A 十字架は神の弱さ・神の愚かさ(Ⅰコリント18~25)
○ユダヤ人は「しるし」を、ギリシャ人は「知恵」を求めるが、最大のしるし、最高の
知恵である十字架が、人の目には弱く愚かにしか見えない
○引き裂かれた肉体の垂れ幕を通る一体感をイメージすること
B 人の知恵や力では神を解き明かすことはできない。(ヨハネ1:18)
○「すり替え」(ローマ1:23)
○「横取り」(ヨハネ7:18)
C たとえは聞く力に応じて語られている(マルコ4:33)
○聞き方や動機が悪ければ理解できない
○「理解すること」「受け入れること」「豊かに実を結ぶこと」は別
○聞いた責任と理解できたのに行動しない罪
D ぶどう園の意味(ヨハネ15章)
○多くの実が集まってひとつの房になる
○実を結ぶことがすべて
○まことのぶどうの木とその枝はつながっている
E たとえ話の「歪み」と「ねじれ」の原因
○あまりにも残虐な農夫と信じられないほど寛容な主人
○「そんなことがあってはなりません」→人はこの歪みやねじれを罪の問題として
意識出来る
○人に与えられた自由と良心と知恵
○神の期待と人の裏切り(エレミヤ2:21)
○ぶどう園に絶えず向けられる主人の関心と愛(イザヤ5:1~2)