油注がれるダビデ(ダビデの生涯と詩編①)
Ⅰサムエル16:1~5
A ダビデの生涯に現されているのは何か
○イエスの生涯の型
ダビデの生涯は、やがて来るべきキリストの歩みを予表している
○私たちの霊的追体験の型
私たちの地上での歩みは、すでにダビデが歩みイエスが歩んだ道である
○ダビデを導き、イエスを導いた霊が、私たちのただ中におられる
ダビデの生涯とダビデに現されたイエスの生涯をひとつにされた霊が、
私たちを個別に取り扱って導いてくださる
○人となられた神イエスの時空を越えた表現(詩編18:9)
ダビデはキリストを主と呼んでいるのに、どうして彼はダビデの子なのか
(マタイ22:41~45, 詩編110:1)
B 王位
○人間のリーダーは本来不要
人による暫定的統治の問題点
○うわべによる判断
ダビデ登場の背景としてのサウル(Ⅰサムエル9:2)
預言者サムエルでさえ(Ⅰサムエル16:8)
C サウルの失敗(肉のしわざ)
○自身による低い自己評価(Ⅰサムエル15:17)
○空虚な誓いと努力(Ⅰサムエル14:24~30)
○自前の力を蓄えようとするやりくり(Ⅰサムエル14:52)
○占いと偶像礼拝の本質はみことばの軽視(Ⅰサムエル15:22~23)
D ダビデの心(聖霊のみちびき)
○ダビデはサウルに劣らず破廉恥で卑怯で傲慢
→ありのままの自分をさらけだし、決して取り繕わない
(詩編19:12~14)
○ダビデの心は羊飼いの日常で養われた
→私たちは日々何を見つめ、何を求めているのか
(詩編23)